シンガポール戦の反省が、仕事に向かう気持ちを変えてくれたらしい。
今日は原稿と戯れる。
勢いに乗って土日である程度目処をつけたいと思っている。とはいっても、気合いを入れて、さぁやるぞ!!と思うと空回りするものなので、あまり気負いすぎてもいけない。それこそ、先日のシンガポール戦のように、シュートミスばかり繰り返すようなことになるかもしれない。
引いた相手をどう崩すかなんて、選手達は今まで何百回も考えてきたことだろう。本番でそれが成功しなかったのは、戦術的な理由なども多々あるにせよ、精神的に余裕がなかったことも大きいのではないだろうか。
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練習の時は気軽に肩の力を抜いてプレーし、難しいパスも何なく通していたのに、いざ試合になると無難なパスばかりを繰り返し、それどころかカットされてピンチを招いてしまう。こんな経験は誰しもあるだろう。
「プロなんだから、いい加減慣れてくれ!」という意見もあるかもしれないが、「プロですら緊張する代表戦の重圧」という換言も出来る。
日本人は、「絶対に負けられない一戦」に象徴するように強い決意を前提として試合を観戦する傾向がある。そして、もし負けてしまった時は「責任を取って腹を切れ!」というムードが漂う。ぼくの大嫌いな戦犯捜し、あるいは魔女狩り、及び処刑である。
「ブラジルワールドカップで負けたのは、現地組の応援がなっていなかったせいだ。」
こんな意見だってあったのだ。我々現地組も、繋がらないインターネットに悩まされているうちに処刑されてしまった。
こうやって常軌を逸したレベルまでプレッシャーを高めていく方法は、日本人の美徳と合致するのかもしれない。そして、それはネガティブなものとは言い切れない。一見勝負にならないような強豪相手に、必死に喰らいついていくような展開では、ある種の必死さが有効に機能することもある。
一方で、格下相手には、決死の覚悟は空回りしてしまう。相手の技量が低い場合には、からかって、怒らせて、その隙をついてドスンっとやっつけてしまうほうが正しいのかもしれない。あの手この手を使って、嫌がらせをする「いじめっ子の精神」である。
これは選手だけではなくサポーターにも言える。このことについては、前の記事に書いた。敗者には冷たい雨が降り注ぐ?【二次予選,日本代表vsシンガポール代表】 | はとのす
原稿の話に戻る。ぼくは『サポーターをめぐる冒険』には決死の覚悟を持って挑んだ。実際の所、デビュー作でこけてしまうと、作家人生もその時点で黄色信号、いや赤信号になってしまう可能性が高い。文字通り決死の覚悟なのである。
幸い、無事に出版することも出来たし、賞を頂いたり、メディアに紹介して頂いたりするうちに2回増刷をすることも出来た。滑り出しは上々なのだ。
しかし、こういった状態では、「決死の覚悟」は機能してくれない。ぼくは中途半端に「幸福」になってしまっているのだ。ある種のハングリーさが不足している。
今までの人生でも何度かこういう場面に直面したことがある。ハングリー精神で努力を重ね、成果を出した瞬間に、努力の原動力を失ってしまうという場面である。
そんな時は、何とかハングリーさを取り戻そうと、自分を追い詰めたり、より巨大で凶悪な敵を思い描いたりしてきた。
今思うとそのアプローチは間違っていたのかもしれない。
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もっと暢気に、小躍りするように、口笛を吹きながら気楽に楽しく取り組んで行くほうがうまくいくのではないだろうか。近頃、ブログを再開させたことで、書く楽しさ、伝える楽しさを思い出してきた。そうなのである。ぼくの中で、文章を書くということが、死をイメージした、陰鬱なものになっていたのだ。だから、こんな記事も書いたのだろう。
公園で自殺しかかっているおじさんを目撃したことと、近況。 | はとのす
日本代表vsシンガポール代表の試合はとても楽しかった。試合自体にはストレスフルなところもあったが、とても楽しかったのだ。それは、10年来のバスケ仲間と一緒に時間を過ごしたり、スタジアムで色んな人に会って話すことが出来たりしたからだ。
良き出会いが生まれたのは、すべてぼくが文章を紡いできたからだ。これからも、文章を紡いでいけば、良き仲間が増えていくだろう。あまり自分を追い詰めることなく、明るい未来を思い描きながら、楽しい文章を書きたい。
ここまで考えが至ったことで、重く見えていた書きかけの原稿の束が、急に陽気な存在に思えてきた。今日も文章がいっぱい書ける。そして楽しみに待ってくれている人もいる。とても幸せなことだ!
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