なんと徹マガの取材を受けてしまった。宇都宮徹壱さん(@tete_room)と、同席して下さった内野宗治さん(@halvish)との対話の中で、Jリーグに対する姿勢についに決着がついた。
Jリーグについて書くべきか……
「スタジアムに行くのも、特定のチームを応援するのにも何かしらの理由が必要だ。」
というような趣旨のことを、以前書いた。これも一理はあるが、必ずしもそうとは限らないのかもしれない。
先日こんな記事を目にした。
(引っ越しから始まったスポーツ観戦ライフ。「ただ、そこにある」Jリーグの現在、未来、可能性(川端暁彦) - 個人 - Yahoo!ニュース)
海外サッカーを生業にまでしていた人がいつの間にか町田ゼルビアという「小さな」チームにはまっていった過程が描かれている。
どんなレベルであれ、スタジアム通いは、「意外に楽しい」のだ。海の向こうのビッグクラブより、家の近くのマイクラブ。このリーグがこの国にもたらせる最高の財産は何なのか。彼が新たに紡いでいるライフスタイルと、そこに見出した“幸せ”に、忘れられようとしている理念と理想の欠片が見え隠れしていた。(本文より引用)
理由なんかなくてもいいのか?!
この記事はとても不思議だった。スタジアムに通うこと、それをライフスタイルにすることが最も大切なことで、「理由」とか「意味」というのはあまり関係がないのだろうか。
ぼくの場合は、「東京」という名前に込められたメッセージを感じ、応援するという形式で試合に参加し続ける観衆に心を打たれた。しかし、この記事に登場する「池さん」はふらっといったグラウンドから離れられなくなっているが理由は特にないらしい。
サッカーを観に行く理由なんて、何となくでもいいのかもしれない。しかし、理由があろうがなかろうが、一度サッカークラブを応援しはじめると最後、とりつかれたように応援せずにはいられなくなるものらしい。
「何か気になってしまう」
こういった気持ちが生まれ、育っていく。不思議だ。
物書きとしての自分にとってもそうだ。
気まぐれにJリーグのことを書いたら、それが思わぬ反響を生んでしまった。それからJリーグのことが「何か気になってしまう」状態が続き、気付くとブログの記事がJリーグだらけになっている。
「初観戦記」の時はわかっていなかったが、Jリーグのことを書くというのは非常に重苦しいものだ。
それぞれのチームの試合には数千人から数万人のサポーターが押しかけ、その瞬間、人生のすべてを懸けて応援している。
クラブチームは、サポーターにとって何なのか。
恋人であり、家族であり、子供であり、人生そのものでもあるかもしれない。
Jリーグや各クラブについて書いてくれと言われることがあるが、それはこういうことなんだろうと思う。
「俺の彼女について何か書いてくれよ!」
「うちの家族とても幸せなの!その幸せな感じを是非取材して!」
そんなもん書けるか!!と思うようになった。
そりゃ書くこと自体はできるけど、「君の彼女はまぁまぁ可愛いけど、正直料理は下手だね」とか「あなたの家庭は一見うまくいっているように見えるけど、保険のプランニングがうまくいっていないので一転して大不幸になる危険性があるよね。見ていて怖いよ。」なんてことを書いたら、そりゃ嫌な気持ちにさせてしまうだろうと思う。
「ほっといてくれよ。うちはうちで幸せに楽しくやってるんだから部外者は口を出すなよ。」
こういった排除の声が出てくるのは自然なことなのかもしれない。
例えば浦和レッズというチームについて「書いて欲しい」という人がたくさんいる一方で、「部外者は書くな」という人もいるようだ。そのどちらの気持ちもわかる。
ここでぼくは態度を決めなければいけない。Jリーグについて、各クラブについて、サポーターについて、感じたことや考えたことを綴っていくべきかどうか。
…………
書くべきだ。そういう結論に達した。
Jリーグについて書く理由
間違えたことを書いて大炎上する時も来るかもしれないが、ぼく自身がブレていなければ問題ない。自分が感じたことを偽らずに書くという信念が貫けていれば、たとえ多くの人を怒らせたとしても胸を張ることができる。
もし、間違えていたならば謝って直せばいい。そりゃ間違いがないほうがいいけど、完璧なものは書けない。どんなサッカー選手だって必ずミスをする。でも、全体としては良い仕事すれば認められる。
仕事として書くならば、炎上だってファンレターみたいなものだ。大歓迎するべきだ(たまに、でいいけど)。
仕事で書くならば、Jリーグについて全て勉強して、緻密な調査をして、書く前に関係者に裏をとってから文章を公開すれば安全かもしれない。しかし、そうしてしまうと、自分の新鮮な感覚が遠ざかってしまう。しばらくは、予備知識をあまり入れないようにして、素人目線、ライトユーザー目線を経験できるようにしたほうがいいだろうと思う。
関係者が怒らないようなものばかり書くという姿勢はジャーナリズムではない。自分の目で見たものを、自分の責任で書く。それをどう受け取るか、どう活かしていくかは、読み手の問題であって書き手の問題ではない。
ともかく、書くべきだ。
書くことに決めた理由は3つある。
1つ。
「何か気になってしまう」
ぼくがふらっと立ち寄ったのは野津田のグラウンドではなく味の素スタジアムでもなく、国立競技場だった。国立だったというのが一つのキーポイントになっている気がする。あれがもし味スタだったらFC東京以外には興味がなくなっていたかもしれない。
国立に辿り着いた以上、興味の対象はJリーグ全体となる。
それはそれとして、FC東京の動向も気になって仕方がない。最近、天皇杯で勝ち上がっていることをしって、どうすれば応援にいけるかを考えている自分もいる(次のは勝ち上がってくれないとどうしようもないんだけど)。この心情がどう進んでいくのか、自分でもよくわからない。
自分の心を観察対象とし、じっくりスケッチしていきたい。
1つ。
「喜んでくれる人がいるから」
何がどう嬉しいのか、ぼくには掴み切れていないのだが、ぼくがJリーグについて書くと喜んでくれる人もいるようだ。これは大きなモチベーションになる。
少なくともエンターテイメントとして成立しているのであれば、それは良いことだ。
1つ。
「各チームやJリーグのためになるから」
ぼくの書く内容。新鮮な目でスタジアムで起こっていることを見つけて、それをスケッチするという手法。これは、あるようでなかった新しいものらしい。
ぼくの書くものは、ウソを書いていないという意味では正当なものだが、古参のサポーターから反感を買うこともあるだろう。というよりも、買わないほうがおかしい。
よくわからない部外者の余所者が、わかったような口を利くのをみたらイライラするほうが自然な心情だろうと思う。思い起こせば、自分にもそういう経験はある。
でも、そこは仕方がないのではないだろうか。
「部外者は来るな」「ニワカは去れ」「テレビで1年見てから来い」
こういう考え方はもう通用しなくなってきているような気がする。こういう発言の正当性を認めすぎると、スタジアムに行ってみようと思う人は増えづらい。
既に誰かが専有しているところに、後から頭を下げて入っていこうという気持ちになる人は、決して多数派ではあるまい。Jリーグ観戦が、もっと突き抜けて魅力的なら頭を下げて入ってきてくれる人も出るかもしれないが……そういう時代ではない。
この間、浦和レッズのゴール裏に行ったことを友人に話したら「大丈夫だった?怖くなかった?」と心配されてしまった。こういうイメージは残念ながらある。古参にチェックされて、気合いが入っていないと怒られることもあるんじゃないかと正直思っていた。
しかし、現実には「怖い」とは全く逆の体験をしてきた。優しく愛に溢れた空間に驚いた。行ったことがある人は当たり前にみんな知っていることなのだろう。「浦和レッズのゴール裏は日本一だ。だから見に来て欲しい!」と言いたくなる気持ちもわかった(もちろん、本当に日本一かどうかは誰にもわからない)。
排他的な言説をする人間がいる一方で、サッカースタジアムは決して排他的ではない。排除の仕組みは原理的には働いていない。チケットさえ持っていれば誰でもスタジアムに行くことができる。応援しようと思ったら誰でも応援することができる。
もし、「部外者は来るな」という発言をしている人がいるならば、ゴール裏の自由席のチケットを買うための条件として、「サポーター歴1年以上」みたいな資格をつける運動をしたらいい。ニワカや半端者などの不純物に本気で来て欲しくないのならば、それが実現するように全力を尽くすべきだ。
チケットセンターでも「このチームは全力で応援しない方の参加を歓迎しません。」と警告を出したらいい。
でも、万一そういった排除の力を許してしまうと、Jリーグの観客動員数は減り続けるだろうと思う。来るなと言われて来る人は多くない。
どちらかというと、「みんなおいでよ!」スタイルのほうが、Jリーグにとっても、そのチームにとっても良い結果を生むと思う。
観客やサポーターが多ければ多いほど、応援は迫力があるものになるのでチームは勢いづく。
興行成績が上がれば上がるほど、チームは運営が楽になるし、戦力も整っていく。
「部外者は来るな」から「みんなの楽しいスタジアム」のほうが、対外的なイメージは上がっていき、スポンサーを集めやすくなるなどの効用が生じる。
ぼくとしては、「来るな」とか「書くな」という苦言は、受け付けないことにしよう。チケットを手にしたならば、そこにいく権利はあるし、感想を書くことも禁じられていない。もちろん、あんまり苦情が多かった場合には二度と行かないだろうし、二度と書かないと思う。書くのも自由だが、書かないのも自由だ。
間違いを書いたら修正するが、そのためにひれ伏す必要はない。
ゴール裏を神聖視する人がいるのもわかるが、どれだけ神聖視していようが、そこは自宅の神棚ではない。神聖視していない人も入ってくるし、それを止める権利はない。
暴力や暴言に訴える人もいるかもしれないが、もしそうであれば、排除されるのはそっちのほうではなかろうか。
(でも、できればそういう人達も気分を変えて、みんなで盛り立てていこうという気持ちになって欲しいんだけどね)。
もっともチケットがあればゴール裏には入ることができるといっても、その場合には、応援を覚えたり、積極的に応援に参加したり、チームカラーの服を着ていったりするというのは、礼儀として必要だと思う。そのチームが人生すべてである必要はなくても、その場ではチームを全力で応援するべきだろう。
そのほうが正当だし、サッカー観戦を楽しむことができる。
日本ではマイナースポーツに位置しているアメフトのXリーグを観に行くと(大学の帰りによく行ってた)、綺麗なお姉さん達が出てきて、応援の仕方、ルール、盛り上がるシーンなどを説明してくれる。
サッカーではここまでやらなくてもいいけど、「おめぇらちゃんと練習してこい。適当な奴は来るな」と偉そうに構える余裕は、今のJリーグにはないだろうと思う。
ともかく、ぼくは書くことにした。
ハシブトガラスだのワタリガラスだの変節感だの浮気者だの言われようが、色んなチームを観に行きたい。そこで感じたものを書いていきたい。その一方で、自分が傾倒しつつあるFC東京との距離感についても考えて、書き記していきたい。
(といっても、ゴール裏での観戦は、そのチームのサポーターの人が一緒にいてくれる時だけにしようっと。)
このように、迷う期間を経て、サッカーについて書いてみようと思えるようになった。しかし、つい昨日までは悩み続けていたのも事実だ。
このラインを突破する切っ掛けを与えてくれたのが宇都宮徹壱さんだった。
徹マガの取材をうけたった!
なんと恐ろしいことに、徹マガの取材を受けてしまった。
徹マガというのは、写真家でありノンフィクションライターでもある宇都宮徹壱さんが手がけている有料メールマガジンのこと。
宇都宮徹壱公式メールマガジン「徹マガ」
メールマガジンといっても、ウェッブ雑誌というほうが近い。どこかのブロガーが広告収入目当てにサラサラ書いたものとは大違いで、しっかりとした取材に基づいた「かゆいところに手が届く」記事が載っている。
……そして、そのしっかりとした取材をぼくが受けてしまった。
ライターとして、自分で取材をしたことがないうちに、この世界の大御所ともいえる宇都宮さんに自ら取材してもらうなんてことがあっていいものだろうか?
元々の切っ掛けは、今年の9月30日に開催されたイベントだった。(宇都宮徹壱さんと清水英斗さんのお話を聴いてきた@『フットボール百景×観戦力』)
このときに、著書を購入した際、握手をして頂いて、ついでに名刺を渡してきたのだった。フリーライターというからには何か書いてるの?と言われて、「ぼくはサッカー詳しくないからバスケで何か書こうと思っています」と答えたのを覚えている。
ともかく、この時名刺を交換させて頂いたご縁で、Facebookの友達になって頂いた(これもすごい話だ)。そして、それから約三週間後、ぼくの書いた記事が爆発的にヒットして、徹マガの編集部で話題になったらしい。
以下、著者の勝手な妄想。
「Jリーグ初観戦記ってのが流行ってるでしょ。あれ読んだ?」
「あー 読んだ読んだ! 珍しいよね、ああいうの。宇都宮さんは読みましたか?」
「あれ、ぼくその著者を知っている気がする。ほらみて、Facebookで友達だよ(笑)面白そうだから取材のオファーしてみようか」
「がってん!承知の助!!」
妄想終わり。
とにもかくにも楽しい時間だった。
自分の人生について、「書く」ということに向けた態度について、Jリーグについて。あれこれ喋ってきた。
しかし、あんなので記事になるのだろうか…… 自分が考えていることを、自分で整理して文章に直すという作業には慣れているが、自分が考えていることを、他人が整理して文章にしてもらうという経験はない。
一体どういうものになるのかすごく興味がある。こんな体験はなかなかできるものではない。「物書き」が「物書かれ」の気持ちを味わえる機会は本当に貴重だ。
そこで話した内容については、ここに書くつもりはないけど、ぼくの物書きとしての姿勢や、書いている内容の新鮮さについては、非常に肯定的な御意見を頂いた(そりゃ、否定的だったら取材のオファーなんかしないだろうけどね)。
サッカーのことを書く。そのために必要な気付きを与えてもらったし、ぼくが書くと楽しいことになりそうなテーマについても示唆して頂いた。こうなると俄然楽しくなってくる。
Jリーグは、日本人を幸せにしてくれるのだろうか。
我々の人生に、夢を、希望を、生きがいを与えてくれるのだろうか。
恐らくJリーグは非常に良いものだろう。しかし、何か決定的なものが不足している。
冒頭に紹介した川端さんの表現を借りると「忘れられようとしている理念と理想の欠片」がある。それは何なのか!
自分の目でしかと見定めたい。