どうも書く時間が足りていない。
昨日は合間を縫って何とか鹿児島ユナイテッドの記事を書いたものの、やっぱり書く時間が足りていないから、もうちょっと言いたいことがあったなぁとかいろいろ思い出しつつ。
今日公開予定の動画で補完できたからいいんだけど、もっと文章表現の密度をあげていかないと。というか書き癖が減っている。昔は気がつけばブログばかり書いていたのに。
いいことを書こうとするから書けない。
注目されたいとか、成果が得たいとか、お金が欲しいとか思うから書けない。
そうじゃなくて書くから書くのだ。
物書きにとって、人生や生活とは、書くためのネタ探し。
ネタあるならいい人生だし、何も書くことが思いつかないならつまらない人生だ。
そういう意味ではとても充実しているものの、もっとやらないとな、と。
しんどめの文章もいくつかある。
「パワハラ疑惑否定記事」
「弁護士と重めの法律相談」
これがしんどめ。ただずっと言われるのもよくないのでしっかり否定しないといけない。謝るべきことは謝ったけど、事実と違うことは違うと言わないといけない。
ぼくは性善説の人間なので、人を信用しすぎるから、欺されたり、お金をもっていかれたりしてしまう。
起業する前は何も持っていなかったから欺されることもなかったし、せいぜい馬鹿にされるくらいだったのだけど、やっぱりね会社をやるとね。
人を信じるためには、絶対に裏切れないような仕組みをつくる。がんじがらめの契約、やりとりをすべて保存する、細かく顧問弁護士に相談するということが必要だと、先輩社長に教わった。ほんとその通り。
華やかに見えるプロレスの世界も、経営という視座からみるとめっちゃくちゃのぐっちゃぐちゃ。
経営ってのはそういうもんなんだろうなと。
ただ、経営をしているメリットもあって、自分の判断で何でもすぐにできること。
やりたいことをすべてやれること。
もちろんしっかり稼がないといけないので大変だけど、自由にやれることはとてもいいことだ。
妻は病気からやっと回復してきて(2年かかった!)、息子はすっかりお兄さんになり、娘はカオス、猫もカオス。そんな状態だけど、少しずつ少しずつ良い方向に向けていかないといけない。
自分の人生をコントロールできるのは自分だけ。
善く生きるも、悪く生きるも、自分次第。
ぼくのアイデンティティは物書きなのでとにかく書き続ける。
自分のストーリーを紡ぎ続ける。
昨日、若い方から「中村のようにスポーツ作家として活動して稼ぐためにはどうしたらいいか」と言われたんだけど、ぼくは稼げてないし、スポーツ作家として生活ができるレベルまで稼げている人はほとんどいない。
というような現実があるので、軽く伝えておいた。それでもやりたいと思うならやるといいと思う。
ただ、自分の好きなことを書いても、それを買ってくれる人がいないと、生活は成立しない。
書きたいことと、読者の皆様が読みたいことを一致させていくこと。
これが最適解。唯一の道。
倫理的な物書き人生。
ぼくは日本の地域クラブのこと、サポーターの人生と幸福のこと、地域密着のことを書きたい。
それは売れるからではなく、書きたいから書きたい。
だから、ずっと書いてきた。この10年間、書き続けてきた。
すべてはこの記事からはじまった。
2013年10月5日。忘れられない日付。
ぼくのサポーターをめぐる冒険は終わらない。
酷い目にあって、あいつは終わったとかサッカーメディア関係者に言われたことがある。
何度も。
でもぼくは書くのをやめなかったし、書く力で何度でも復活してきた。
(ちなみにそういう人たちはもうメディアに残ってません)
ぼくはサッカーで稼ごうとは思っていない。
使ったお金のほうが稼いだお金よりずっと多い。
だからお金なんかなくても書く。
書き続ける。
一番強力なメディアである書籍も作る。
ぼくが死んだあとも、ぼくの旅は残り続ける。
本に刻まれたぼくの魂は、誰かに影響を与え続ける。
といっても現世でもう少し稼がないと子どもの養育費すら足りないのでがんばるんば。
借金はもうすぐ1000万円を超えるし、給料は総額はマイナスで、出る月でも10万円。
周囲は手のひら返しの裏切り者ばかりでうんざりするくらい。
でも、そんなことで歩みを止める人間ではない。
高校生の頃、
薩南示現流に憧れて、
例のポーズで思い切り竹刀を振り続けたことがある。
真冬でも上半身裸で外に出て、ひたすら剣を振る。
殺気を込めて。
その後遺症で、今でも腕相撲が右手だけとても強い。
人生を切り開くのは誰かの助けではない。
前に向かう意志。どんな敵であろうが蹴散らしていく勇気。信念を曲げることなく戦う気概。
どんな絶望的な状況でも、肉体と、脳に血を巡らせ、考え抜き、最後の瞬間まで戦うこと。
というわけで、書いているうちに盛り上がってきたので、旅の準備をして、仕事だーー!!