出版記念トークイベント!!
『フットボール百景×観戦力』 サッカーを通して観た新世界とは?
イベントページ
会場はお台場にあるTOKYO CULTURE CULTURE
初めて中に入ったが、洒落た雰囲気であることと、スタッフさんがイベント運営に尋常ではなく慣れていたこと(当たり前のことじゃないんだな、これが)が印象的だった。
何より素晴らしかったのは、スクリーンが3つもあり会場のどこからでも楽に覗き込める点。こういうのはとても良い。
出演
宇都宮徹壱 twitter
清水英斗 twitter
ジェントル(司会)twitter
宇都宮徹壱さんは、文化的でありたいと考える人間の魅力を全て凝縮し、その頂点の一角にいる方だと勝手に思っている。
芸術系の大学に学び、メディア関係の仕事をした後に、フリーランスとして写真家&ライターとして活動されている。
とにもかくにもかっこいい。
撮る写真もかっこいいし、文章の中にさらりとにじむ高い教養もかっこいいし、お酒の飲みっぷりもかっこいい(講演中に何回ワインをお代わりしただろうか?)。
清水英斗さんは、ぼくが大学院をやめてフリーになるトリガーを引いた最初の1人と言えるかもしれない。もちろん面識はなかったが、偶然本屋で手に取った一冊の本が、ぼくをサッカーの熱狂に引きずり込んでいった。それ以前はサッカーが嫌いだったが、それ以降は大好きになった。そのへんの経緯は別記事にまとめたい。
サッカー関係のライター&ジャーナリストには、それぞれ得意なポジションがあるものだが、清水英斗さんの場合はプレイヤー目線の分析を得意としているようだ。海外の練習メニューを紹介した本などを多数執筆している。といいつつ、ぼくは一冊しか読んだことがなかったのだが、それが非常にクリティカルなものだった。
サッカーを観るのが楽しくなるし、サッカーを思い切りプレイしてみたくなる。サッカーに出会わなかったら、未だにイライラしながら研究生活をしていたのかと思うと、本当に感謝してもしたりない。
司会のジェントルさんは、ミルククラウンというお笑いコンビの方のようだが、もうそっちの活動はしていないのかもしれない。調べていたらwikipediaの内容が面白くて驚いた。芸人さんは滅茶苦茶書かれちゃうものなのね。
イベントの内容
少し遅れていったこともあり全体の主旨がよくわからなかったのだが、サッカーの取材を通して見えてくる世界の人々とサッカーの結びつきというようなテーマだったように思う。
・ブラジルの現状
会場に入ったときはW杯を控えたブラジルの現状について紹介されていた。
ブラジルのスタジアムの様子や会場に押しかける人々の雰囲気、町の風景や文化、全然あてにならない飛行機。
結論としては、ブラジルの飛行機はあてにならないから移動には余裕を持った方がいいということになった。
実用性はさておき素敵な結論だ。
・ブラジルにおけるサッカー文化の普及活動
詳細には覚えていないが、ブラジルの貧しい地域にサッカーコートを整備するという活動をしている30歳くらいのプレイヤーについて。
その活動によってサッカーコートが整備され、子どもがたちが安心してサッカーをすることができるようになった。
それだけに留まらず、コートの整備や管理を地元の人達がボランティアで行うことから、連帯感が生まれ、地域コミュニティが生まれる。
というような話だった。
スポーツというのはプロリーグだけが“見世物小屋”としてあるだけでは長期的にみると成り立たなくなるのではないかと、最近漠然と考えている。
“見世物”に過ぎないのであれば、飽きられたら終わりだし、その時は必ず来る。
だから、地域文化として定着していないといけない。大地に巨大な根を張ることができると、その上に自然と強いチームが出来てくる。ブラジルに生える巨木の根っこは、今よりももっと強くなっていくのかもしれない。
・エチオピアについて
これも詳細な内容までは再現できないが、W杯の最終予選に進み、初出場の期待もかかる(という話だったと思う)エチオピアの現状について。
ラインもゴールもない荒野で靴下を丸めて作ったボールでサッカーをしている子ども達について。
子ども達にとって一番欲しくて仕方がないものは「ボール」なんだとか。
ちゃんとしたボールを初めて蹴ったときの子どもの顔を想像すると、複雑な気持ちにさせられた。
ぼくの家には、バスケットボールが4つ、サッカーボールが6つ、フットサルボールが3つ転がっている(ボールのような猫も1匹転がっている)。
エチオピアの子ども達を1000人くらい集めたとしても、金銭的な意味ではぼくのほうが裕福なんだろう。
だからといって全額寄付してしまうわけにもいかない。ぼくにもぼくの事情があって、そんなにお金に余裕があるわけではない。
なんとも複雑な気持ちにさせられるが、彼らと一緒にサッカーをしたら少しはすっきりするのかもしれないね。
・セルビアについて
ぼくはサッカーについてはスペイン代表とかバイエルンミュンヘンみたいな雑誌で毎号特集されるようなメジャーな部分しか把握できていない。しかし、サッカーという文化活動の全体像を考えると、メジャーなチームというのは“一部分”に過ぎない。
世界中には名も知れぬプロのサッカープレイヤーがたくさんいるし、アマチュアのプレイヤーはもっとたくさんいる。サッカーの観戦を生きがいにしている人もいるし、日々の憂さ晴らしにしている人もいる。
セルビアというと旧ユーゴスラビア圏の一国だが、ぼくにとってはあまり馴染みのない国だった。というよりも、日本人でセルビアに馴染んでいる人は少数派ではないかと思う。話が始まる前に、オシムの通訳を務めたことでも有名な千田善さんが壇上に呼ばれ、ゲストとして参加した。
「突然お呼びしてすみません。」
「いえいえ、セルビアのことなら喋らないわけにはいかない。」
というやり取りが印象に残っている。
サッカーを深く愛し、仕事にしている人達は、非常に仲が良くフランクに付き合っていることが感じられ、非常に気分がよくなった。
このあたりから、宇都宮さんがワインを飲み始めて、文字通り止まらなくなって行ったのも悪くなかった。
深い愛着があるセルビアについての話をするのが楽しくて仕方がなくて、そのためにお酒もどんどん進んでいくということなのだろうか。
旧ユーゴスラビアについては、大学受験の際に散々勉強したがあまりに複雑すぎて今ではよく覚えていない。
ただ、一つだけ強く印象に残っているのが、カリスマ的な指導者であるチトーの存在だった。
ユーゴスラビアという国は、様々な人種、民族、宗教の背景を持つ人達が集まっていた。ある意味では寄せ集めともいえるような国家だった。
しかし、そのバラバラの寄せ集めが奇跡的にまとまり、一つの強国として存在していた。
その理由はただ一つ。チトーが存在したことだった。強力な指導者のカリスマはありとあらゆる主義主張を飲み込み、民族間、宗教観の対立を飲み込んだ。
カリスマ美容師なんていう言葉があるが、そういう“まがい物”ではなく、本物のカリスマだった。
もっとも、カリスマによって成立していた国家は、チトーの死後には急速に求心力を失ってしまった。
これは、だいぶ前にどこかで読んだものなので細かい部分は違っているかもしれない。また、民族の対立という大問題に対してチトーが具体的に何をやっていたかまでは知らない(あるいは全く覚えていない)。
しかしながら、チトーという存在の強烈さはぼくの心にも染みついていて、時折チトーの名前を聞くとじんわりと涙がこみ上げてくるのを感じた。何故こういう現象が起こるのかはよくわからない、チトーなんて見たこともないし、写真も数回みただけだった。これがカリスマというものなのかもしれない。
カリスマという言葉は軽々しく使って欲しくないものだと思う。本物に対してあまりにも礼を失している。
そして、この講演ではチトーの名前も出てきた。
「チトーが死後、ユーゴスラビアが崩壊し始めたころ、あの頃が一番良い時代だったかもしれない」
というような談話を聞きながら白黒の写真を何枚か見せてもらった。聴いているうちに色々と思いが巡っていたこともあって、どういった会話が繰り広げられていたかを理路整然と再現することはできないが、重みがあり、深みがある非常に良い話を聞くことができたという感触が残った。
あ、そうだ。レッドスターというチームの試合を観戦する人々の写真も凄く良かったことを付け加えたい。
そこには男達だけが写っている。スタジアムには男しか来ないらしく、野太い声で殺伐としたやりとりがなされているらしい。これもサッカーの姿だ。
日本で言うと地方の競馬場なんかが近いのではないだろうか。実際には行ったことがないのでイメージとして。
レッドスターの歴史を調べてみると、CLで1度優勝していることがわかった。
準決勝でバイエルン・ミュンヘンを破り、決勝でオリンピック・マルセイユを破っている。
マルセイユのベンチにはストイコビッチが座っていたみたいなんだけど、どういうことなんだろう? 怪我をしていたのだろうか。
そして国立競技場で行われるトヨタカップで、「コロコロ」というチームを倒して世界一になっている。
その時はベオグラードはどんな様子だったのだろうか。熱狂したのかなという気はするが、どの程度の盛り上がり方をするのか想像がつかない。旧ユーゴ圏にはどういう人達が住んでいるのか、本当に想像がつかない。
世界は非常に広いし、色んな人達が住んでいる。そして、その人達の多くがサッカーに興味を持っていたり、自分でもプレイしていたりする。サッカーというスポーツは本気で巨大なスポーツだ。いずれ人類の歴史を語る上で不可欠なツールになるかもしれない。
2ステージ制について
最後にちょこっと2ステージ制について。条件つき賛成(基本的には反対だけどやるからにはしょうがないよね)と反対の意見が多かった。正面から大賛成という人は見かけなかった。
しかし、ぼくの意見は正面から大賛成ということになる。ぼくはJリーグに関してはライトユーザー中のライトユーザーだ。
スタジアムには行ったことがないし、試合もたまに流しながら横目に観るくらいだ。天皇杯とクラブワールドカップの広島は観た。
だから年間4試合くらいしか観ていない。
これはサッカーをまともに見始めたのが去年からだった上、欧州サッカーと日本代表を中心に見ていたことによる。Jリーグまで回らなかった。ぼくはサッカーを仕事にしているわけではないから、週に3試合も4試合も観る時間がなかった(NBAだってあるしね)。2試合観るなら、一つはバルサで一つはマンUということになってしまうわけで、Jリーグはなかなか分が悪い。
優先順位の問題に加えて、どこのチームのサッカーをどうやって見ればいいのかが最後までわからなかった。最終的に、浦和、大阪、広島、鳥栖のサッカーについては薄ぼんやりと理解した。しかし、他の14チームがどういうサッカーを目指していて、どういう面白みがあるのかについてはわからなかった。
だから、テレビも観ないし、スタジアムにも行かない。
これは、ぼくの反省点でもある。もう少し日本のサッカーを観るべきだった。しかし同時に、日本のライトユーザーの真実ではないかと思う。
スタジアムに観に行くファンというのはとても大切だろうと思う。一方で、テレビでしか観ないというファンも大切なのだ。プロスポーツというのは放映権をテレビに売らないと経済的には苦しくなってしまう。ぼくは特定のチームにはお金を落としていないが、WOWOWとジェイスポ4に加入しているので、それなりにサッカー関係にはお金を使っている。テレビを観る層だって大切なお客さんだし、そのお客さんは常にどの試合を観るかテレビ欄を観ながら悩んでいる。
2ステージにした場合、優勝がかかった緊迫した試合が増える(優勝の意義は軽くなるにせよ)。その結果、ぼくはその試合を観る確率が高くなる。また、プレーオフシリーズがあるならば、それは必ず観るだろうと思う。見所についても、やべっちFCを見るなり、ダイジェストやマガジンやキングを買うなりしてチェックするだろうと思う。
プレーオフが3試合あるとしたら、それは全部見るだろう。天皇杯を見たのも、フォーマットが圧倒的に見やすいからだった。強いチームが戦って勝てば天国、負ければ地獄。これは非常に見やすい。
もちろん不公平ではあるだろう。けど、全員がまとめて地獄に落ちるよりも、誰か外れクジを引いたやつに代わりに地獄に落ちてもらうという残酷ショーのほうが、正直いって観ていて面白い。
2ステージ制にすることで、問題点は多々あるだろうと思うし、チーム数が多すぎるということは、いかなるシステムを取っても問題になってくるだろう。
サッカーだって野球だって、応援しているチームだけじゃなくて、対戦相手についてもよく知っているからこそ面白いのだ。
アーセナルvsマンチェスターシティという試合と、アーセナルvsクリスタルパレスという試合では、前者のほうが圧倒的に視聴率が高いだろう。そして、18チームもあるとどこがどういうチームなのか、理解するのは非常に難しい。もちろん、プロとマニアは別のお話だ。
ライトユーザーにいかにテレビを観てもらうか。こういう勝負をするためには、2ステージはあながち間違った策ではないだろうと思う。
「リーグ優勝が軽くなり、本当の意味で強いチームを判断できなくなる」という意見をよくみるが、欧州を取ってみてもリーグ戦の視聴率よりもCLの視聴率のほうが高いのではないだろうか(数字を調べてはいないが、放映権料を考えるとそんな気がする)。
やっぱりCLのほうが圧倒的に見やすいし、興業としてはわかりやすい。
日本のクラブチームはCLには出場できない。しかし、ACLの人気がいきなり上がるとは考えられないから、国内で緊迫した試合を演出できる装置を用意するしかない。ナビスコカップがあるという意見もみたが、FAカップだって、コパデルレイだって、そこまで大人気ではないと思うのだけどどうだろうか?
そういう意味では支持できるし、少なくともぼくはテレビで試合を観る回数が増えるのではないかと思う。
これは、Jリーグにまだ入り込めていなくて、スタジアムに通い詰める根気もないライトユーザ-の意見である。
二次会
二次会は、和気藹々とサッカー談義に花が咲いていた。
ぼくはふらふらしながら色んな方と話させて頂いたのだが、会う人会う人凄すぎて驚いた。
家に帰ってから調べてみて、驚きの余り口があんぐりと開いたままになった。目玉が床に落ちて転がっていくようなショックを受けた。
世の中には凄い人がいるものだ。
それに比べて自分の現状は実にお寒いものだと一瞬自嘲しそうになった。
でも、それではいけない。ぼくには夢があるし、そこに向かって堂々と歩いているのだ。
今は雲の上のような人達だが、ぼくが全力で、一歩ずつ道を踏みしめていけば、いつか同じ世界の末席くらいには届くかもしれない。
とはいえ、本を出して作家になるという夢は、「実際に本を出して作家として活動している人」の前で語るのが何か恥ずかしい。編集者さんの前で語ると、物乞いの類いに間違えられてしまうかもしれない。
夢の上方修正が必要だと感じた。
本を出す、作家活動をすることを通じて、ぼくは何を成し遂げたいのか。どういう自分になりたいのか。もっと突き詰めて考えていこうと思った。
本当に凄い人ばかりで恐縮してしまったけど、強烈な刺激を受け、モチベーションが一気に噴き上がってきた。
帰り道に、直前に走った短距離走と、「書くこと」について考えた。
気持ちが冷めないうちに書き記しておきたかったので、眠気が限界を迎えるまで下書きをした。それで書いたのがこれ。
とても充実した良い日になった。
こういう日が人生の転機になるのかもね。