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100 m走でオールアウトするような生き方=書き方

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町会の運動会に参加してきた。
ぼくの所属する新町自治会は、約35年の歴史を誇り、設立者の中には祖父が含まれている。そういった背景がありながらも、この年まで運動会に参加できずにいた。しかし、良いご縁があり、今年から参加することになった。


ぼくの出場種目は「400 mリレー」

たかが町会の運動会と馬鹿にすることは断じてできない。18の町会が参加していて、参加人数も相当のものだ。各町会50人以上はいたと思うので、1000人規模の運動会だった。江戸川区長も挨拶に訪れるビッグイベントで、このへんの人は運動会の結果やリレーの成果などを1年がかりで噛みしめて暮らしている。こういうのはとても素敵なことだ。

スポーツってのはこういうものじゃないといけない。生活に密着していて、地面から生えていないといけない。とってつけたようなビジネススポーツよりも、はるかに本質的な運動会だと思った。

基本的には和気藹々とした運動会で、町会長&町会役員対抗スプーンレースとかラムネ飲み競争みたいなほのぼのとした種目が続く。しかし、ぼくの出場した「400 mリレー」だけは空気が違っていた。真剣勝負だった。

総合優勝とリレーでの優勝は並列されるほど価値が高く、非常に権威が高いようだった。某町会が非常に強いらしく、S兄弟という厄介な選手がいるらしい。ここ数年、S兄弟に煮え湯を飲まされていると町会の番長(?)が本気で悔しそうに言っていた。

リレーは小学生男女、40才以上男性、20才以上女性が50 mを走り、30才以上男性、20才以上男性が100 mを走る。
ぼくは30才以上男性で参加。50 m走6秒2という方がいたので、その方にアンカーはお願いした。ぼくのタイムはちゃんとはかっていないけど、6秒5くらいしかいかないと思う。

リレーが始まるまでは、みんな町会のテントでお喋りをしていたようだが、選手達が入場すると大きな拍手が起こり、会場の視線が集まったのを感じた。会場がただならぬ緊張感に包まれる。この種目は転倒者やけが人なども多く、そういう意味でも注目度が高いのだそうだ。

短距離走を走る時のコツは瞬間的にすべてを爆発することだ。脳をアドレナリンで満たし、潜在能力を一瞬で引き出す必要がある。アドレナリンが最も分泌されるのは、闘争と逃走の際だ。戦いのイメージで頭の中を塗り固めていく……

負けん!! 勝つ!!!!

身体が小刻みに震えて、涙らしきものが身体の奥からこみ上げてくる。
出番だ。

出走ラインに立ち、前のランナーを待つ。
我々のチームはこの時点で最下位だった。

バトンを受ける。

走!!!!!

走り始めた後は、何がどうなったのかあまり覚えていない。これは良い集中ができていた証拠だ。
前の集団にグングンと追いついていき、1人抜き、その前に追いついた。バトンのところで2人目をかわしていたらしい。
次の走者が1人抜き、アンカーがもう1人を抜いた。

結果として、2位に滑り込むことが出来たため、無事決勝進出となった。

午後に行われた決勝も大変緊迫したもので、ぼくは例によってビリからスタートして1人を抜いて、その後1人を抜き結果は4位だった。1位は、S兄弟が活躍した某町会で3連覇という話を聞いた。どこの世界にもレジェンドというのはいるようだ。


結果は少々残念だったが、久しぶりに決勝に残れたこともあり、観衆達の機嫌は上場だった。
「中村さんちのお子さん足が速いのねー おばさんびっくりしちゃった!」

という風に人気者になることができた。不思議な感じだった。

一方で、疲労の度合いは尋常ではなかった。

足腰がフラフラしてまっすぐ歩けない、股関節が痛い、足首が痛い、広背筋と腹筋がその日のうちに筋肉痛になる、声が枯れる、頭がぼんやりしてよくわからなくなるという状がいっぺんにやってきた。。おまけに、内臓がきゅっと締め付けられてしばらく食事が摂れなかった。

これは、かなり高いレベルで集中することが出来て、火事場のくそ力が出せたということだと思う。
一瞬で全てを燃やし尽くす、オールアウトに近い状態にまで行ったのではないだろうか。
自分に出来るベストは尽くした。

とても気分が良かった。


フラフラのボロボロになって、家に戻る途中でこういった考えが浮かんだ。

「今のこの充実感を文章を書くときにも持ちたい。」

そのためには何が必要だろうか。と考えた際に、最近読んだ一つの文章を思い出した。


それは「村上春樹」の村上朝日道の26ページに載っている「文章の書き方」という短い文章だった。

将来ものを書いて生活したいと考えている若い人から時々「文章の勉強というのはどうすればいいんでしょうか?」という質問を受けることがある。(中略)

文章を書くコツは文章を書かないことである――といってもわかりにくいだろうけど、要するに「書きすぎない」ということだ。

文章というのは「さあ書こう」と思ってなかなか書けるものではない。まず「何を書くか」という内容が必要だし、「どんな風に書くか」というスタイルが必要である。

でも若いうちから、自分にふさわしい内容やスタイルが発見できるかというと、これは天才でもないかぎりむずかしい。だからどこかから既成の内容やスタイルを借りてきて、適当にしのいでいくことになる。

既成のものというのは他人にも受け入れられやすいから、器用な人だとまわりから「お、うまいね」なんてけっこう言われたりもする。本人もその気になる。もっとほめられようと思う――という風にして駄目になった人を僕は何人も見てきた。

たしかに文章というのは量を書けば上手くなる。でも自分の中にきちんとした方向感覚がない限り、上手さの大半は「器用さ」で終ってしまう。

それではそんな方向感覚はどうすれば身につくか? これはもう、文章云々をべつにしてとにかく生きるということしかない。

どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ。(中略)

ひととおりそういうことをやってみて、「なんだこれならべつに文章なんてわざわざ書く必要もないや」と思えば――上手い下手は別にして――自分自身のきちんとした文章が書ける。

自分自身のきちんとした文章というものにたどり着けているかどうか。

確かにそこにたどり着いていないにも関わらず、うまいことやっている人は大勢いるとぼくは思っている。

有名な小説家をみても、ジャーナリストやライターをみても、こういう文章でやっていくのは本当に大変だろうなと思うほど文章がまずい人をよくみる。もちろん、プロでやっているからぼくなんかよりははるかに文章が上手いこともあるけど、下手な人もいる。

例えば、とあるライターの文章があまりにも酷くて絶句してしまったことがあった(調べてみるとその人にはアンチがいっぱいいるようだったが)。

一方、岡本太郎の文章を読むと、そのあまりの迫力に絶句させられる。本人の持つ人格的な破壊力がにじみ出てきて、こちらの魂にまで入り込んでくるほどの力がある。でも、文章の形式が整っているかというとそうでもなかったりする。

岡本太郎は、自分なりの指針があり、全力で生き抜いてきたのだろう。だからこそ、あれほどまでに書けるのだ。

ぼくの場合はどうだろうか。苦闘の末、ある程度自分のスタイルは見えてきた。オリジナリティがどこまであるかはわからないが、自分のリズムで書けるようになってきているという実感はある。一方で、書くべき内容についてはまだ絞り込めていない。


でも、焦ることはない。

レイチェル・カーソンが本当に戦うべき敵である「環境問題」と巡り会ったのは、彼女の人生の終わりにさしかかった頃だった。4年の歳月をかけて資料を集め、「沈黙の春」を発表し、次作を手がけている途中で短い生を終えた。

「沈黙の春」によってレイチェルは、オールアウトするような感覚があったのではないかと推測してしまうがどうだろうか。

心を整え、身体を整え、常に前に進むことを考える。
かといっておべっかを使って人に取り入ろうとしたりせず、自分の足で立ち、自分の意志で前に進む。
自分の目で見て、心で感じて、頭で考える。
出会った人にはなるだけ優しくする。
損得で他人を判断したり、人を利用したりするようなことをしてはいけない。

自分が自分として納得できるようにしっかりと生きた先には、村上春樹のいう「自分自身のしっかりとした文章」が書けるようになるはずだ。

そして、いつか、自分のテーマとぶつかった時が来たら、100 m走を全力で駆け抜けるように爆発したい。

 

グラウンドの状況をチェックするわたし (頑張れサネッティ)

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