東大に11年在籍した後、タクシードライバーになりました

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Jリーグ初観戦記のこぼれ話

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本当に驚いた。

バスケ関係の記事で、2000~3000PV(ページビュー)の記事がちょこちょこ出てきたので、「はとのす」も随分メジャーになったものだと満足していたところ……

Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった。

突然の10万PV。2桁違う。

書いたものが褒めてもらえるのはとても嬉しいことだけど、あれだけ反響があると驚いてドキドキしてしまう。これだけリアクションがあってネガティブコメントが殆どないというのは奇跡だと思う。これは文章が良い悪いの次元を超えている。書くべきタイミングで、書くべきものが書けたのだろう。

しかし、ぼくはまだ何も成し遂げていない。感じる力、知識、文章力をまだまだ伸ばさないといけない。でも、あんまり捻くれていても仕方がないから、多くの人に喜んでもらえたみたいなので、その点は素直にほっとしておこう。

本当に色んな人、色んなサイトで紹介して頂いた。
火付け役になってくれたアシシさん(https://twitter.com/4JPN)がいなかったらこれほど大きな波にはならなかっただろう。正確には把握できていないものの、Jリーグに近い方々が、記事を評価して拡散に協力してくれたのもあるかもしれない。

「Jリーグのことをよくわからずに適当なことを書いて申し訳ない」という気持ちもあるものの、「わかってなくても楽しんでいいんだよ」というメッセージにはなったのかもしれない。

中でも特に驚いたのは……

変人窟 (HJK)

ここは、ぼくが20歳くらいの時に読んでいたサイト。懐かしの“ちゆ14歳”とか、ぼくらの青春“侍魂”などと同じくらい昔からある老舗中の老舗のサイト。変人窟がまだあることにも驚いたし、時空を超えてあそこに載ったことにも驚いた。ちなみに“侍魂”は、ぼくが文章を書きたいと思う切っ掛けを作ってくれたサイト。この文章は半年に一回くらい読みに行く。

Jリーグの記事で、誰かを傷つけるようなネガティブな記述をしないで済んだのはすべて侍魂の健さんのおかげ(あの人どうしてるんだろう)。

このサイトに触発されて“はとのす”というサイトを作り、13年の時を経て現在のブログに辿り着いた。

他にも、はとのすの“モデル”として参考にさせてもらっているわかったブログのかん吉さんにコメントをもらったり(はてなぶっくまーくにて)。

ブログを作るときは「テーマを絞る」のが定石だが、わかったブログの存在を知って、「複数のテーマを共存させる方法」があることを知った。世の中に“わかったブログ”があるのなら、はとのすだってやっていけるはずだと自信を持つことができた。

野鳥の会の交流会で偶然出会ったHさん。「Jリーグわからないし、サッカーのことは書く自信がないんですよ……」と弱気になっていたぼくに対して「いいからスタジアムに来い、そして何でもいいから書け」と力強く背中を押してくださった。Hさんには一生頭が上がらないかもしれない。

そして、「もう少し真剣に文章と向き合わないと駄目だ」と強く自責する切っ掛けとなった宇都宮徹壱さんの著書との出会い。これがなければ、10日間も一つの文章を練ることもなかっただろうと思う。

スポーツ系のライターを志して大学院を飛び出したものの、サッカーのことを書くには知識が足りず、年季も足りない。10年後ならわからないが、今すぐにやるのは不可能だ、という風に8割方諦めていたところだった。ヘビーユーザー(サッカーマニア)の知識量に追いつくには、1年や2年じゃ無理だ。ライトユーザー向きのものが書けたらいいのだけど、ライトユーザーはサッカーの記事なんか読まない。絶望的だ、と。

しかし、気まぐれで書いてみた記事に対してこれだけの反響を頂くと、自信が生まれてきたのも事実だ。ぼくでも書けることはあるかもしれない。同時に、一種の使命感も生まれてきた。現在、Jリーグに対する世間の目は決して暖かいものばかりではない。正直ぼくもスタジアムに行くまでは若干懐疑的だった。

「昔流行ったリーグ」「現在は斜陽」「一部の熱狂的なファン」「排他的」「暴力的」「チームやリーグの運営との対立」「テレビでやらない」「有名選手はみんな海外へ」「ザッケローニがJリーグの選手を使わない」

事実ではないのものも含まれるかもしれないが、悲しいことに、どこかのチームが優勝するよりも、降格するチームが運営部と揉めて座り込みをしたり暴力事件を起こしたりするほうが大きく扱われたりする。

ぼくだって、Jリーグのイメージは正直あまり良くなかったのだ。でも、スタジアムに行った時に感じたのは、サポーター達のチームに対する大きな愛情だった。暖かく、優しく、そして情熱的だった。「Jリーグとはこんなにも愛されていたのか!」という新鮮な驚きがぼくを貫いた。

そして例の記事を書き、多量の反響を頂いた。

反響の多くには目を通した。そして感じたことがあった。

Jリーグファンは寂しかったし、悲しかったのではないか。

心から愛しているJリーグはいつも冷たい目を向けられる。こんなにも素晴らしい体験が出来る場所なのに、話題になるのはネガティブなものばかり。たまにサッカー好きの友人と話しても、「Jリーグなんか18チーム合わせてもレアル・マドリー1チーム分でしょ」なんて言われたりする。

憤ることもあるだろうし、悲しい思いもしてきたのではないだろうか。その上、2ステージ制の導入があり、愛していたリーグが“改悪”されるという危機感も加わった(ぼくは2ステージは賛成だけど)。

そんな中で、Jリーグの良い部分について言及した記事を目にした時、勝ち目のない絶望の戦場に援軍が来た時のような気持ちになったのではないだろうか。これは手前味噌な大袈裟な表現だし、事実とは違うかもしれない。

でも、ぼくはそう感じたし、自分の中に使命感も生まれた。JリーグとJリーグを愛する人たちのために、ぼくにも出来ることがあるかもしれない。

Jリーグがプレミアリーグやリーガ・エスパニョーラみたいに盛り上がるわけがないと思っていた。

国立競技場でぼくが目にしたものは、世界最高峰のハイレベルなサッカーではなかったかもしれない。でも、日本語のチャント(応援歌)が聞こえるリーグは、世界中探してもJリーグしかない。

例えばスコットランドでセルティックを応援したら、それはそれで異国情緒を覚えるだろうし、感動もするかもしれない。しかし、あの時ぼくが感じたような不思議な感覚が得られただろうか。一体感、心地よさ、心の底から這い上がってくる泣き出したくなるような感情、こういったものが感じられただろうか。

サッカーというのは自分の土地を愛するという気持ちの先にあるスポーツなのだ。例えば、マンチェスターという人口50万人程度の小さな街に世界最高クラスのビッグクラブが二つもあるのには、歴史的な経緯がある。19世紀の末、イギリスで産業革命が起こった。そして労働者が世界中から集められてきた。彼らは、過酷な労働と娯楽のない暮らしと祖国を離れる寂しさ(と不味い飯)に耐えて生きていく必要があった。

想像をしてみて欲しい。誰も知らない土地でブラック企業に勤め、残業手当もなく肉体労働をし、言葉もろくに通じない人達と隣人になる。労働環境は悪く、社会保障もないから死んだらそこでさようなら。想像を絶する厳しい環境だったのだろう。

そういった辛さから逃れるために、彼らは地元のサッカーチームを応援し始めた。

労働者達は、地元のチームを応援しているときだけは心を一つにすることが出来た。見知らぬ土地でぬくもりを感じることが出来た。仲間を得ることが出来た。言葉が通じなかろうが、出身が違おうが、応援しているときは世界最高の仲間なのだ。

彼らにとって地元のサッカーチームは本当に特別なものになった。後にマンチェスターを離れ、祖国に帰った後も、愛するサッカーチームのことを熱烈に支持し続けた。時代を経て、地元の小さなチームは世界有数のメガクラブになった。それが、マンチェスターユナイテッドだ。

日本のサッカーが弱い?日本のサッカーで金が集まらない?

それは当たり前といえば当たり前の話なのだ。たかが20年の話なのだ。1世代分くらいの時間スケールしかない。“彼ら”は、自分の人生をサッカーチームへの愛へと変換し、その気持ちを子供の世代、孫の世代、ひ孫の世代へと引き継いできているのだ。

そりゃそう簡単には勝てない。

しかし、100年後ならどうだろうか?

Jリーグ100年計画というが、あれは目線としては正しいものだと思っている。そのくらいの時間スケールで考えないと、サッカーという世界的な地域文化を醸成していくことは出来ないという潔さがあると思う。

今、Jリーグはわずか20歳。世界的にみたら若造だ。これから辛い思いをたくさんするだろうし、停滞したりすることはあるだろう。消えてしまうクラブもあるだろう。

でも、サッカーを愛する人が本気で支えていれば、決して滅ぶことはない。残念ながらなくなってしまうクラブもあるだろうが、生まれてくるクラブもあるだろう。日本にサッカーをプレイしたいという願望を持つ人が消えない限りサッカーリーグは不滅だろうと思う。

明瞭な根拠はないが、サッカーというのはそういうものではないかと思う。但し、リーグのレベルや経済規模、さらに言うなら“どれだけ多くの子供の夢になるか”という点では、Jリーグを支える力が強いことに越したことはない。

ぼくに出来るのは書くことだけ。プロとして書くか、今のようにアマチュアとして書くかはわからないが、今後もJリーグに関することは書いていきたいと思う。

前回真面目に書きすぎたので、今回は思いつくままにとりとめがなく書いた。そして、うまく収まらなかったので蛇足をいくつか。

蛇足1 ぼくとJリーグ

Jリーグ発足時は、小学校6年生。Jリーグチップスが大ブーム。ぼくは、鹿島アントラーズのファンで、黒崎が一押しだった。ジーコ、アルシンド、秋田もお気に入りだった。
エキサイトステージ95というゲームが大好きで、友達と延々とやっていた。

しかし、鹿島のスタジアムまで行くことはなく、ブームが終わると共にいつの間にか興味を失っていた。

ちなみに中学ではサッカー部に入るも、“絶対に上手くならない練習”と“先輩たちの暴力的な支配”に嫌気がして、幽霊部員に。以降15年以上、サッカーは嫌いだった。(育成期間におけるハラスメント経験があると、無関心という名の強力なアンチを生んじゃうから本当に気をつけないといけない。)

蛇足2 Jリーグとバスケットリーグ
何のかんのいっても、Jリーグはファンに強烈に愛されている。一方で、バスケのプロリーグはそういうレベルに達していない。熱烈に愛している人もいるはずだが、数も熱量も足りないように思う(一部のチームは除く)。そもそも、プロリーグが二つに分裂していがみ合っているという時点で、かなり入りづらい。

こっちを何とかするのもぼくの使命なんだけど、今のところ糸口すら見つからないという状況。サッカーも面白いけど、バスケも本当に面白いスポーツなんだけどね。

……というわけで、今日は雨ニモマケズ、FC東京戦vs新潟をスタジアムに観にいこうと思っている。何か感じることがあればまた記事を書くかもしれないし、何も書かないかもしれない。依頼されているわけではないから、そのへんは気の向くままに。

そういえば先ほどの記事にステマ疑惑をとなえる人もいた。「ステマというなら原稿料をくれ!」と叫ぶことで、このとりとめのない雑記を閉じたいと思う。

(でも、仕事で書くとなると“ああいう風”にはならないから難しいところだよね。まずは自由に思うままに書くことで、自分のスタイルを確立するほうが大切なんだろうと思う。)

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