与沢翼という方をご存じだろうか?
ぼくは昨日まで存在を知らなかったのだが、テレビで大金を浪費するシーンなどが放映されたことで有名になった方らしい。
行きつけの整骨院の待合室においてあった一冊の雑誌に衝撃を受け、一気読みしてしまった。
これはなかなかすごい本だった。
セルフプロデュースによる「オレスゲー本」。結構な赤字になっているみたいだが、それも「名を売るため」と割り切ってやっているようだ。
北朝鮮のお偉いさんのようなというべきか、人造人間19号のようなというべきか。一目見たら忘れない強烈な人物だ。
まだ若く、顔にはあどけない感じも少し残っているように見えるが、高そうなスーツをビシっと着こなし、「金のかかりそうな美女」の腰に手を回す。
一体彼は誰なのか。
与沢翼とは誰なのか
与沢翼氏の経歴から紹介したい。このへんを参考に。
秩父生まれで、小学生の時に大宮に引っ越した後でいじめられる。
中学になるとその反動で、大宮でも有数の不良に成り上がる。
「中学へはほとんど出席もせず、学校へ行けば、生徒や先生が恐怖感から、私の通る道をあけて避けられるほど。」(原文ママ)
(私ってことは、このwiki自分で書いてるのかもね)
中学生の時から洋服の転売ビジネスをしていたらしい。
高校進学後、3日で退学して暴走族に。
大量にアルバイトしながら2年で700万円を貯金する。
「18歳で関東最大級の暴走集会に参加し、ガサ入れからの逮捕。」(原文ママ)
大学受験を決意し、大検を取得へ。
大検取得から9ヶ月で早稲田大学社会科学部に合格。
2年半は法曹を目指して勉強するも、大学三年で企業へ。
そして、その後一旦会社が潰れて、また復活した後で、「2011年(28歳)年収1億達成」だそうだ。
この経歴を読んで最初は頭が痛くなったのだが、よくよく読んでみるとなかなか凄い。
お金を集めるための嗅覚と、そのためのバイタリティはちょっと尋常ではない。
人間というのは弱い者だから、面倒くさくなってしまったり、欲望に負けてしまったりするので、そうそう貯められるものではない。
もう一つ客観的にみて凄いと思えるのは、大検から1年以内で早稲田の社学に受かっていること。
社学は早稲田の中でこそ入試難易度が低いものの、決して簡単ではない。
しっかりと基礎が出来ていない受験生がまぐれで受かるようなレベルの学部ではない。
欲望に対してストイックに努力するという才能がある人なんだろうと思う。
自分に対して甘えがないという印象を受けた。
一方で、それだけ努力しようと思うのは、背後に強いコンプレックスがあるからではないかと推測させられてしまう。テレビで何千万円もの買い物をして注目を浴びたというようなエピソードがあるようだが、お金を使って目立ちたいのは、お金に対してコンプレックスがあるから、と邪推してしまう。それはぼくだけではないだろう。
与沢翼から受ける既視感
「承認欲求の化け物」というフレーズが思い浮かんだ。誰かに評価して欲しくて仕方がない。だからヤンチャなこともするし、評価されるためには手段を選ばない。
これは、「カオナシ」だ。千と千尋に出てきた「カオナシ」そのものだ。千尋に認めて欲しいという欲望だけがあり、それ以外には何も持っていない。カオナシのエピソードは不完全で終わっているので、宮崎駿が何が言いたかったのかよくわからない部分もあるのだが、多分現代的、物質的な価値観、つまり与沢翼的な価値観に対する批判も含まれているのではないか。
矢沢永吉の「成り上がり」も一瞬思いついたが、それとは少し違うような気がする。矢沢にはカリスマがあるが、与沢翼氏にそれがあるとは現段階では思えない。カリスマは獲得していくものなので、この先どうなるかはわからないが、大金を稼ぐというだけでは「永ちゃん」の持つ渋みまでは到達できないような気がする。
一方で思い出すのは漫画「カメレオン」。矢沢永吉に憧れる喧嘩が弱い小男が、はったりとまぐれで成り上がっていく様を描いた作品だ。
矢沢ではなくカメレオン。というのが、偏見込みでみんな感じることなんだろうと思う。
もう1つ思い出す。それは「ホリエモン」だ。世間の評価を顧みず、生意気な自分を貫く様は確かに似ている。似ているが、少し違うような気もする。ホリエモンはあれはあれで、革命家だったのだ。ものごとを合理的に変えていくことで世の中をよくすることができると信じていたのではないだろうか。
非常に近いが違う部分もあるような気がする。
上述した雑誌の中でも、ホリエモンと自分を比較していた。
ただ、このザワつく感じはホリエモン騒動の時と似ているのは間違いない。そういう意味では既視感を感じる。
圧倒的なタレント性があることは間違いない。
一度彼の存在を知ると、好意を持とうが持たなかろうが、無関心ではいられなくなる。8割はネガティブな先入観でみるだろうが、好意的にみて尊敬する人もいるだろうと思う。
今テレビに出る芸人は学校でテクニックを教わってから出てくる。つまり、学校を卒業できる程度には普通の人であることが求められる。
Jリーグ選手だって一緒だ。部活やユースなどではみ出し者にならないことが大事だし、社会人としてちゃんとしていないと袋だたきにあってしまう。平山なんて電車でおにぎりを食べていただけでボコボコに叩かれていたのだ。
だから、ある意味ではいい子ちゃんしかいなくなるため、つまらない。技術があることよりも、タレント性があることのほうが、興行としては重要だろうと思う。
バロテッリが高い車をぶつけたり、タレントのねーちゃんとの恋愛劇をゴシップ記事にされたり…… あるいはスアレスが噛みついて出場停止になったり、ジダンが頭突きをしたり、ガスコインが大酒を飲んだりするようなエピソードがあったほうが興行としては盛り上がるのだ。
ちょっと話が逸れたが、与沢翼氏は強力なアンチヒーローとして、強いタレント性を持っていることは間違いない。
彼に賛同するかというと、正直言ってぼくとはだいぶ考え方が違うので難しい。友達になりたいかと言われても、気が合うとは思えない。
でも、それはそれでいい。悪役レスラーのタイガージェットシンとは友達になる必要がない。
この世の悪い見本として、あるいは自分の心の中にある暗黒をぶつける相手として、さらには「自分の生き方は間違っていない」と確認するための目印として、与沢翼氏のような存在は貴重なのだ。
与沢翼の良いところと悪いところ
与沢翼氏の文章を読んで思うのは、「圧倒的に読みやすい」ことだ。
例えば「2014年度、中途採用を開始致します」という記事を引用してみると……
2014年は、「与沢翼」らしく、
新しい価値観を普及させること
これまでの常識をぶち破ること
奇想天外でトリッキーな仕掛けを行い続けること
常に本質をえぐり、センターピンを倒し続けること
・・・
まとめると・・・・・やっぱり、ぶっ飛んでいきます。
与沢翼グループに、今後、競争相手やライバルは存在しません。
なぜなら、私たちが好きなことを常識に縛られずに思った通りに実行すること、ただそれだけだからです。
お世辞にも上手な文章とは言いがたいが、不思議と頭には入ってくる。
職業ライターが書いたのではこうはならない。
例えばぼくが書き直したらこういう感じになった。
私「矢澤翼」は、新しい価値観を普及させるためには常識破りと呼ばれるようなことを敢えてすることもあります。
そのほうが合理的であり、本質的であることも多いのです。
しかし、普通の人間にはやり遂げるための勇気がないのです。
与沢翼グループにはライバルはいません。ただ自分たちの信じた道を行くのみです。
どうも面白くない。
「常に本質をえぐり、センターピンを倒し続けること」というフレーズはぼくからは出てこない。
そもそもぼくならば「新しい価値観を普及させること」とは言わずに、「新しい価値観とは何か」についての内容を書く。
「新しい価値観を普及させる」という言葉には全く内容がない。何のことかさっぱりわからない。
しかし、勢いはあるし、与沢翼氏はこれを本気で自分の頭で考えていることは間違いない。
「詳細な内容は見えないけど、とにかく前のめりで勢いがある」
これが最大の特徴だろうと思う。
嫌いじゃない。夢は公務員、定時に上がって、家で趣味をしていきたいと語る若者よりも、こっちのほうがぼくは好きだ。
といっても、どうやって稼いでいるのかさっぱりわからないし、根拠はわからないが「詐欺師」と呼んでいる人もいるみたいだから、もしかしたら将来はホリエモンルート(某所からメルマガを出す)になる可能性もあるかもしれない。
ただ、欠けているものにも気付いた。
それは、「自分のために稼ぐ」という哲学だ。
与沢氏の文章を読んでいると、本当にうんざりするくらい「我」が出てくる。
この人は本気で自分のことが大好きで、自分のことばかり考えているということがよくわかる。
物書きというのは、文章の中に、どのくらいの量の「私」を入れるかに常に悩んでいる。
しかし、与沢翼氏に関してはそんな悩みはない。100%「私」の詰め合わせなのだ。
(ちなみに、はとのすは50-50ラインで書こうと試みている。君子は中庸を行く。)
それはそれでいいのだが、社会の一員としてはそれだけではバランスを欠いている。
与沢翼には「公共性」がない。
月に1億円稼ぐメソッドはあったとしても、本人以外誰も得をしないことになってしまう。もちろん、雇用される社員がいたり、サービスとして成立しているわけだから、何らかの効用を得るアクターが別にいることは否定できない。しかし、与沢翼の存在が社会のために何の役に立っているというのだろうか?
彼の足跡や文章を読んでみると、「自分は誰かに生かされている」とか「誰かのために生きている」という考えが全くないことがわかる。少なくとも文章には出てない。「オレは凄い経験をしてきた。今は凄い地位にいる。これからもっと凄くなる。」ということしか書いていない。
ある意味では清々しい。一方で、彼と一緒に楽しく過ごせる気がしない。
これはぼくの哲学に近くなってしまうのだが、「周りにいる人、あるいは自分の周りにある社会のためを思って日々を過ごさないと、精神的な意味での幸福は決して得られない」と思っている。誰かがいてくれることは、1億円を持っていることよりも時に尊い。
1億円のほうが「魅力はある」かもしれないが、友達と一緒に楽しく暮らしている人間のほうが「魅力的に見える」。
「ハンターハンター」という漫画のグリードアイランド編でこんなお宝アイテムが出てくる。アイテムはカード状で、こういう説明がついている。
「このサファイヤの持ち主は巨万の富を得るかわりに一生を1人で過ごす。 友人、恋人、家族すら、すぐに持ち主の元を離れていくだろう。」
どうしても、その背後に孤独な影が見えてしまう。
孤独な影が見えている限り、いくら稼ごうが、いくらビッグになろうが、「見世物小屋の怪獣」という扱いだろうし、
逆に大衆がほっとするような「普通の家庭」とか「普通の友達」のようなものが垣間見えた時には「みんなの与沢」になるかもしれない。
現代において、ここまで強烈なキャラクターの人は珍しいので、是非「怪獣路線」を貫き、いけるところまで行って欲しいなと思う次第だ。