若いライターさんがドラゴンボールについて書いた記事が、バズを起こしているようです。中にはネガティブな意見も多いようで、なかなか大変そうです。
ぼくは、この記事を叩くつもりはありませんが、ドラゴンボールが話題になっていると一言言いたくなるので、記事にしようと思った次第です。
『ドラゴンボール』を読んだことのない僕が、先輩に反論するために全巻読了した結果
まず、著者の意見には概ね賛成することを伝えておきます。確かにドラゴンボールは明瞭な弱点がある作品です。ツッコミどころを探そうと思ったら、ものすごい数が出てきます。もっとも突っ込めないくらい完成している作品というのはこの世の中には数少ないため、そもそもツッコミを入れるつもりで作品を読むべきではないという批判は、さもあるだろうとは思います。
そして、多くの人にとっての宝物である作品に対して、ネガティブな意見を言うのはなかなか勇気のいることです。ある程度燃えて当たり前の行動です。
例えば、東京ドームで嵐のライブが行われている時に、その待機列で嵐の批判をしたら……。
甲子園球場の外野席でいかに阪神タイガースが面白くないかと語ったら……。
アラフォーヲタク、アラフィフヲタクの論客が揃っているツイッターに、ドラゴンボールの悪口を書いたら……。
というわけで記事を作る上で一定の配慮が欠けたところはあると思いますが、言いたいことがあるなら言うべきです。実際に、ドラゴンボールを読めと言われ続けて辟易していたのは事実なのでしょう。それが怒るほどのことなのかはよくわかりませんし、「読みました!最高でした!」とか言っておくほうが出世しそうなものではありますが、嫌なものを嫌だと言いたくなることもあります。
こういった過去の作品をゴリ押しする行動は、おっさん界隈には頻繁に見られています。
好きな作品があってもそっと名前を出す程度にしておいたほうがいいという教訓を得つつ、考察に移りたいと思います。
ドラゴンボールのストーリーは面白くないのか
もちろん、それが読者の想像を超えるストーリー展開に繋がっている可能性は大いにありますが、私としては「ゴールのない物語」に感じてしまったのです。
元記事では、ドラゴンボールが行き当たりばったりであることを批判しています。確かに行き当たりばったりの作品です。どこに行くのか、物語の中において登場人物は一切わかっていないし、編集者も、読者も知りません。作者すらもコントロール出来ていません。だから、メチャクチャな作品であるというのは紛れもない事実です。
しかしながら、その行き当たりばったりであることがドラゴンボールの最大の特徴ともいえます。
ジャンプの週間連載は、読者のアンケートハガキに大きな影響を受けることもあり、また当時は編集者が超強力であったことから、行き当たりばったりになる作品はとても多かったのです。
『幽遊白書』も最初は恋愛漫画風でしたし、伝説の漫画『タカヤ』なんか、一回全部リセットしてキャラクターはそのままで異世界みたいなところにワープした後、物語が再スタートしたように記憶しています。ジャンプを読んでいてあんなに驚いたことはなかった……。
そんな中で、面白い作品を作るのは非常に難しく、行き当たりばったりになりながらも大成功したという極めて貴重な事例が『ドラゴンボール』です。大ストーリーが弱いという批判に対しては、なぜそのよういなったについての背景分析を伴わないと、批判の刃が跳ね返ってきてしまうかもしれません。
週刊少年ジャンプという雑誌は、ストーリーの整合性が取れていることよりも、毎週の連載に読者人気がつくかどうかを優先します。このあたりは、漫画『バクマン。』に詳しく紹介されているので、是非読んで下さい(最高に面白いですよ!マイバイブル!)。
読者の要望、編集部の主張、アニメスポンサーの要望、おもちゃ会社の意見などなどを踏まえているので、かなり初期の段階から作者がハンドリング出来るものではなくなっていたはずです。
鳥山明○作劇場には、ドラゴンボールの卵のような作品が1、2話の短編として掲載されています。鳥山明という漫画家は、壮大なストーリーを作り上げるタイプではなく、面白おかしい不思議な世界を作り上げることに長けていることがわかります。
え?読んだことない? 今回の論争にあれれと思った方は是非読んでみてください。面白いですよ。それでいて、それ以上には膨らまない閉じた物語であるとも感じられます。
ここはドラゴンボールを擁護したいところではありますが、行き当たりばったりでストーリー性が薄く、次第に強くなってインフレ化していく敵と戦うだけの作品であることは、当時中学生であった我々も気付いていました。
だからこそ、最強のストーリー漫画であった『ダイの大冒険』が神格化しました。
そりゃその通りなんですよ。でも、ドラゴンボールには果てしない魅力があったからこそ、我々の中でも伝説なのです。そして、商業的な価値は、今でも『One piece!』を寄せ付けず、圧倒的にNo.1なんだそうです(おもちゃ会社の中の人が言ってたお!)
というわけで、何が面白かったのかに迫っていきたいと思います。
ギャグ漫画としてのドラゴンボールと壮絶な戦闘シーン
ドラゴンボールは、行き当たりばったりのメチャクチャな作品で、キャラクターの名前も、設定も実に適当です。それもそのはず、ドラゴンボールは『Dr.スランプアラレちゃん』との連続性を持ったギャグ漫画として誕生しているからです。
カテゴリーがギャグ漫画であったかどうかという内部の話は確証はないのですが、明瞭にギャグ寄りであった『アラレちゃん』と同じノリで書き始めたのは大いにありそうです。
『セクシーコマンド外伝 すごいよ!!マサルさん』とか『純情パイン』とか『ボンボン坂高校演劇部』と同じギャグ漫画のカテゴリーということになります。証拠にストーリー漫画よりも毎週のページ数が少ないようです(当時はまったく気づきませんでしたが)。
ストーリー漫画は19ページなのだそうですが、ドラゴンボールは15ページでした。どうしてページ数が少ないのかについては考察しているブログ記事があったので引用させていただこうと思います。
何故ギャグ漫画のページ数はストーリー漫画より少ないのか考察する - アニメな日々、漫画な月日
大ヒットした前作の主人公、アラレちゃんは可愛い女の子でした。アラレちゃんも地球を真っ二つに割るほど強いわけですが、どうしてもギャグタッチでした。
7つのドラゴンボールを集めるというのがメインの目的なわけですが、やっと集めたと思った時に出てくるセリフは有名なあれです。
「ギャルのパンティーをおくれ!!」
あの松坂大輔を絶望の淵に立たせた言葉ですが、こんなものはどう考えてもギャグです。ドラゴンボールは大掛かりなコントであり、作者は常に適当で、細かい話には触れずに一発ギャグを繰り出して話を進めていきます。
【Sports Watch】松坂「ギャルのパンティー」発言に非難の声?
それよりも、少年である悟空のほうが、バトルをするのに都合が良かったこともあり、また、作者鳥山明が戦闘シーンをイラストとして描く才能が驚異的であったこともあって、ドラゴンボールはバトル漫画へと進んでいきます。
「どうしてギャグ漫画がバトル漫画になるんだ!そんな適当なことが許されるのか!」
という方もいるんだと思います。この辺りは、アンケートハガキによってストーリーが変わっていくジャンプのシステムに影響されています。このへんも『バクマン。』を読んでみて下さい。
さてバトル漫画に進んでいくドラゴンボールですが……。
ドラゴンボールの戦闘シーンの凄まじさはここでは書ききれません。
かめはめ波に代表されるエネルギー波を用いた駆け引き、3次元に展開する大迫力の空中戦、太陽拳、気円斬、衝撃波などの数々の気の利いた小技、などなど……。
ドラゴンボールの戦闘シーンを超える漫画は未だに出てきていないと思っています。初期のナルトは近い境地にいくかと思ったのですが、少し方向性が変わりましたね。大技重視の表現です。もちろんそれは悪いことではありません。
少なくともドラゴンボールほどバトルがわかりやすく、アイデアに満ちている作品をぼくは知りません。スポーツ漫画ですが、『スラムダンク』くらいではないでしょうか。『バカボンド』でもとんでもない境地のバトルが繰り広げられますが、剣客同士の精神的境地のぶつかり合いが最大の見せ場であるという意味で、また違った味わいです。
またバトル漫画になったといっても、ドラゴンボールはギャグ漫画でした。
最初の必殺技は「じゃんけん」。最大の技はカメハメハ大王をもじったカメハメ波です。どう考えてもギャグです。明らかにギャグとして考えられているのですが、段々とシリアスになっていきます。
そのへんがドラゴンボールの面白いところでもあり、欠点であるとも言えます。
ドラゴンボールという物語の真の意味とは
こうは書いては来ましたが、元記事の著者の意見には概ね賛成しています。確かにドラゴンボールの設定はありきたりにも見えます。そしてぶっ飛んでいる箇所は唐突で、荒唐無稽に思えます。世界観に没入するのは難しいと感じるのは無理もありません。
実は著者と似たような経験をしたことがぼくにもあります。
それがスターウォーズです。スターウォーズを熱烈に勧められ、頑張ってみてみたものの、やはり古い映画なのでツッコミどころが多くて、あまりのめりこめなかったという経験があります。もっとも、ぼくはそこから努力をして、当時の技術などを調べていく中でだんだんと好きになっていきました。しかし、所見でエピソード4を見た時は、あまりの古臭さに見ていられませんでした。
そして、確かに設定もストーリーもありきたりに思えたのです。
似たようなことは音楽でもありました。父は、昔からのギター弾きで、ビートルズの来日ライブに行ったことをずっと自慢しています。その父が言います。
「ビートルズには音楽のすべての要素が詰まっているし、時代と共に色褪せることはない」
そう聞いて高校生の時に聞いてみたのですが、ビートルズの音楽性は後のアーティストにこすられ続けているため、あまり斬新性は感じなかったのです。もちろん、突き抜けて面白いと思う曲もありましたが、父ほどのめり込むことはありませんでした。
偉大なる『ドラゴンボール』が、若者に疎まれる時代になった。そう言うことも出来ます。そして、ぼくは若者を説得し、この作品の面白さを伝えられる自信がありません。
ただ、ここで一つの見方を提供したいと思います。ぼくにとって、我々の世代にとって、どうしてドラゴンボールが重大な作品なのかについての一意見です。
ネバーエンディングストーリーとしてのドラゴンボール
件の記事ではドラゴンボールの主人公の悟空について書かれています。これは正しい意見ですが、実は途中で明瞭に主人公は交代しています。
少なくともセル編からの主人公は孫御飯です。
実は孫悟空は、主人公として失格だということになり、息子の御飯に主人公の座を降ろされてしまったと言われています。セル編は、悟空がセミリタイヤしていて、御飯も主役としての精神性を欠いているため、ネガティブに語られることも多いです。
魔神ブー編のほうがずっとメチャクチャなのですが、ギャグ漫画がベースになったバトル漫画にうまく戻した意味では良かったのではないでしょうか。当時は意味不明に感じてしまったものですが。
さて、主役を降ろされた悟空の何が悪かったのかというとやはり最大の問題点は……。
童貞ではなくなったことです。
あっさりと結婚して、子どもを生んだことで、悟空はパパになりました。その結果、悟空が命をかけて戦うことは、家庭をリスクに晒すという不穏さを生むようになりました。
やはり悟空は結婚してはいけなかったと思います。普通の物語なら悟空が唐突に結婚することなどありえないことでしょう。もし結婚したとしたら、その時が物語の終わりです。
少年漫画の主人公には童貞であることが求められることが多いのです。だから、『湘南純愛組』と続編『GTO』というバリバリのヤンキー漫画においても、主人公鬼塚は童貞であり続けていました。
主人公が女を知って、余裕を持ってしまうと、物語が発展しなくなるわけですね。
ああ、ぼくが最も愛している童貞は『GS美神』の横島くんなんだ!!!横島ーーー!!!!横島ーーー!!!!
はぁはぁ……。童貞の話はは議論になるところかもしれないので置いておくとして……。
悟空が結婚することが、この行き当たりばったりの奇想天外活劇の面白いところでもあります。
ギャグ漫画として始まった少年悟空の冒険は続き、何度かの天下一武道会を戦います。ドラゴンボールはストーリーなどどうでもよく、天下一武道会を楽しむための漫画だと子供の頃の我々は認識していたように思います。
さておき。
復活したピッコロ大魔王(マジュニア)との死闘を制した悟空は、結婚することになったチチと一緒に暮らすわけですが、この時にコマの外に亀仙人がひょっこり出てきてこう言います。
「もうちょっとだけ続くんじゃぞ」
そう。ドラゴンボールは、ピッコロ大魔王を倒し、悟空が結婚した段階でほとんど終わっていたのです。恐らく、その後訪れる悟空の兄、ラディッツ編だけをちょこっとやって、悟空のルーツを語ったくらいでストーリーは終わっていたはずです。
だから、ドラゴンボールが行き当たりばったりで進んでいくという批判は的外れで、物語が終わった後もずっとずっと続いていったことに驚くべきなのです。
ドラゴンボールという作品は、作者鳥山明の枠を超えて、終わらせることが出来ない物語になりました。そして、その後は作者の手を離れ、延々と物語が続いています。
ドラゴンボールのネバーエンディング・ストーリー化です。
『果てしない物語』、英題が『Never ending story』ですが、この物語がなんで終わらないのかというと、主人公の前に広がるメインストーリーの横に、語られない無数のストーリーがあります。
例えば火の精霊と出会って分かれたとします。その後こんな感じのアナウンスが流れます。
「この後火の精霊は、水の精霊と出会い、二人で冒険を続けています。しかしそれは別の物語。また別の機会に話しましょう。」
出会った人の数だけ物語が生まれていくのがネバーエンディング・ストーリーの趣旨なのです。
メインストーリーが存在せず、世界観も曖昧で、その上に主人公である悟空がセミリタイアしてしまってもなお、作品の勢いが止まらなかったのは、登場人物の多くが生きていたからです。
ヤムチャが、天津飯が、ピッコロ大魔王が、あるいは亀仙人が、ドラゴンボールという終わらない物語を存続させました。そして、『ドラゴンボール超』として未だに続いているみたいですね。恐ろしいです。
ドラゴンボールの真の主人公とは
天下一武道会において、青年に育った悟空はピッコロ大魔王を倒します。そして、結婚しすることで主人公の座からセミリタイヤします。
この後の悟空は、主役を張ることもあるのですが、物語の大部分には登場しません。ナメック星編なんか酷いもので、「宇宙船の中」→「ちょっと戦う」→「変なポコポコする回復装置の中」ということで、ほとんどの時間は理不尽に幽閉されています。
最後のいいところは持っていきますが、悟空だけの物語ではなくなっています。
こうなってきた時に何が起こったかというと、主人公の争奪戦です。
悟空の兄ラディッツが地球を訪れた時、戦いに赴いたのは悟空と、宿敵ピッコロ大魔王でした。地球最強のタッグです。そして、皆さんご存知の通り、孫悟空は魔貫光殺砲に貫かれて死亡します。一般の物語ならこの時点で本格的に退場するわけですが、それでもまだいるのがドラゴンボールの超展開です。
そして、悟空は天界へと向かいます。
同時に、ピッコロ大魔王と孫悟飯の物語が始まります。この師弟の物語は、実の父子である悟空・御飯のストーリーをはるかに超える濃厚なものになります。
二人の物語は、強大なサイヤ人ナッパの前でも、ナメック星におけるフリーザとの戦いのときにも紡がれていきます。
この時点で、主人公の役割は、悟空、ピッコロ、御飯へと分割されます。そして、2人のサイヤ人が襲来します。
このときのナッパの迫力、ベジータの恐ろしさについては、もうDNAまで刻みつけられています。だから、面と向かってドラゴンボールを馬鹿にされたらぼくは怒ると思います。例えば「ナッパという名の絶望」はぼくの人生の一部分になっているからです。
「ナッパって名前はなんだよ」というツッコミはあるでしょう。そもそも相方も「ベジータ」です。野菜の星から野菜の王子様が、菜っ葉を連れてきたわけです。明らかにギャグ漫画のネーミングです。しかしながら、ギャグがギャグとして機能せず、シリアスなものとして受け取られ始めていました。
強すぎる敵を前にして、仲間たちがバタバタと死んでいく。自分の息子も殺されるかもしれない。そんな気持ちで必死に現場に向かう孫悟空。これは非常に恐ろしい場面です。
キャラクターに感情移入していなければ特に大したシーンではないのかもしれませんが、我々は天津飯やピッコロ大魔王の恐るべき強さを、漫画、アニメ、ゲームなどで何度も何度も繰り返し体験してきました。
その二人が、為す術もなく殺されていくわけです。そんな少年漫画がありますか?何というものを見せられていたのでしょうか。ドラゴンボールがあるから生き返らせることが出来るという設定を言い訳にして、少年漫画の舞台では到底許されない残酷なショーが行われていました。
大きな被害を出しながらもベジータを撃退した後、死んだみんなを生き返らせるために、ナメック星へと向かうことになります。
向かうメンバーは、御飯、クリリン、ブルマです。ここで主人公がさらに増えたという認識が出来ると思います。みんな大好きクリリンが待望の主人公になるわけです。
ブルマは、この滅茶苦茶な物語を、起動する役割を持っていたキャラクターです。つまり、ブルマがドラゴンレーダーを作り、孫悟空を見つけなかったら、この物語は始まっていません。
ブルマが物語の主戦場に帰ってきたことは非常に歓迎すべきことでした。
ああ、ナメック星の大冒険よ!!
あれをリアルタイムで味わえなかった若者に対して、可愛そうとは言わないが、我々は生涯その幸福を噛みしめることでしょう。
圧倒的な異世界感と冒険の日々。
そして迫り来る恐ろしすぎる敵……。フリーザ……。
惑星ベジータを牛耳る最強の宇宙人フリーザ。そう、野菜たち(サイヤ人もとい野菜人)は冷蔵庫(フリーザ)に入れられてしまっているのです……。
ああ、なんなんだこれは。ギャグなのかシリアスなのか。
シリアスになっていくドラゴンボールはやはりまだギャグ漫画の根性を残していて、ギニュー特戦隊というギャグタッチの敵が登場します。しかしながら、その強さは尋常ではなく、リクームという悪夢が訪れます。
このギニュー特戦隊は今でもポーズを取るくらい大好きだし、大学の友達と飲み会になった時はいつもギニュー特戦隊のポーズで集合写真を撮っていました。
そして、この物語の真の主人公がナメック星へと到着します。
悟空が真の主人公の座を降りた後、主人公が乱立していったわけです。あたかも群像劇かのように物語の本質が変容していきました。それはジャンプのアンケートでいう人気キャラクターが増えすぎたということも原因なのでしょう。
そしてその中で、真の主役を勝ち取ったのは、あの人です。
優れた血統を持ったエリートでありながら、常にプライドを傷つけられ、劣等感に苛まれながらも、常に努力を続けていた男。その名はベジータ。
ぼくはドラゴンボールをこう読み解きます。
1話からピッコロ大魔王を倒すまでが「悟空とドラゴンボール探しの物語」
その後すべてが「ベジータの成長物語」です。
ベジータについては、ポッドキャスト(ラジオ)で語りまくったので、通勤・通学の傍ら、あるいは家事のお供に是非聴いて下さい!!
第四十二回『激論バトル!ドラゴンボールって本当に面白い?!前編』 - ハトトカ
第四十三回『激論バトル!ドラゴンボールって本当に面白い?!後編』 - ハトトカ
↑ハトトカのアイキャッチイラスト。ハトは私のことです。54作。
そして、主人公はもう一人いる!!
確かにドラゴンボールは、確かに後から一気に読んだ場合、さらに強制的に読まされた場合にはあまりおもしろいものではないでしょう。しかし、リアルタイムで、主人公たちが移り変わってく様子をゆっくりと見ていた者としては、これほど大切な作品はないのです。
孫悟空、孫悟飯、ピッコロ大魔王、クリリン、亀仙人、ブルマ、(ヤムチャ)、天津飯、チャオズ、ヤジロベー、16号、トランクス……などなど。すべてぼくの人生の宝物です。
まぁ人生の宝物がブルマなんていうとかなりやばい話に聞こえるので、もう少し真面目にネーミングをしてほしかったという気持ちはあるものの、ギャグ漫画をここまで発展させた鳥山明御大の力には狂気を感じるし、何よりも、ドラゴンボールを発展させていきたいと我々昭和を生きた人間が思っていたからこそ、ここまでいったのかなとも思います。
毎週水曜日、母と一緒にドラゴンボールを見て、母から感想を聞いて、次の日は友達と天下一武道会を開き……
そう、母も妹も見ていたわけですよ。ドラゴンボールとは、我々が生きてきた昭和そのものだったと言い切ってもいいかもしれません。
そんな日々がドラゴンボールを絶対的なものにしています。確かに読み直すと、どこまでがギャグで、どこまでがシリアスなのかわけがわからないし、斜めに構えて読んだらツッコミだらけになるでしょう。
大事なことは、当時はドラゴンボールを斜めに読むような人がほとんどいなかったことです。そのくらい時代に愛されていました。誰もが好きでした。その時生きている人のほとんどがカメハメ波を知っていたのではないでしょうか。もちろん老人は除く、ですが。これは凄いことです。
そして、いつしか群像劇化をして、主人公の役割が分割していく中で、我々読者も物語を構成する一員として世界に巻き込まれていったように思います。
そして、それは事実なのです。ハトトカの中でも語りましたが、巨大な塊となった我々のドラゴンボール愛が、グッズの購入、アニメの視聴などのコンバージョンを起こしていきました。
ドラゴンボールのゲームを何度やったか。ファミコン版の信じがたい難易度の超ド級のクソゲーを友達と一緒に何度プレーしたことでしょうか。
カカロット…… カカロット……
とか言いながらブロリーが飛んでくるオープニングシーンを何度見たことか。そういえばスカウターのおもちゃが発売されていたし、ぼくは折り紙でスカウターを作って、それを友人に売っていたのを思い出しました(もちろん現金ではなく、クラス内で通貨として流通していた折り紙で放流をもらうなど)。
ドラゴンボールは、我々が生きてきた時代が作った作品であり、同じ時代を生きてきた者しかわからない存在なのかもしれません。
この作品がいかにかけがえのないものであるかを思い出させてくれたという意味で、件の記事を書いたライターさんには心から感謝したいです。
ああ、もしも空が飛べたなら……。
ああ、もしもドラゴンボールがあったら……。
ああああ、仙豆をくれええええええ!!!
そして、もしもエネルギー波が撃てたなら……。
我々は妄想の世界で何百発ものエネルギー波を撃ってきました。ぼくだけでしょうか?いや違うと思います。全日本で、あるいは全世界で何万発もの脳内カメハメ波が放たれてきたはずです。
そして、我々は地球を破壊するだけのパワーを持ちたいと本気で望みました。
仲間のため、世界を救うために戦いたいと!!
ドラゴンボールには大きなストーリーがありません。それは大きな欠点だし、悟空が仲間を大切にしない個人プレイヤーだから、どうしても人間関係を描くことがしづらかったのもあります。
そういった欠点を踏まえて生まれた作品が『ONE PIECE』です。ドラゴンボールが存在した世界だからこそ『ONE PIECE』は生まれてきました。影響を受けていないとするのは、まったくもってナンセンスです。
そういえば、ギャグタッチのシリアスバトルストーリーという意味ではかなり似ていますね。大ストーリーがあって、仲間も多いという意味では『ONE PIECE』のほうが優れているとも言えますが、大ストーリーに縛られて展開が遅くなってしまったり、仲間が多すぎて話が複雑になるという弱点も抱えています。
もちろんぼくは『ONE PIECE』世代でもあるので、ドラゴンボールと同様に大好きです。
この世に完璧な作品などなく、ツッコミ目線で読んでしまうとどんなものも疑わしく見えてきます。夏目漱石の小説に対してAmazonレビューで1をつける人もいますからね。
結論 ドラゴンボールをリアルタイムで見ると、心の底から感情移入して、伝説の作品化する
あ、ハトトカ是非聴いてくださいね。
第四十二回『激論バトル!ドラゴンボールって本当に面白い?!前編』 - ハトトカ
第四十三回『激論バトル!ドラゴンボールって本当に面白い?!後編』 - ハトトカ
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