泡沫ブログという言葉の素敵さ。
昨日、「怪獣「与沢翼」を知って驚き、思わず記事にしてしまった。」という記事を書いたところ、予想外に広まって驚いた。PV数は、年末に書いたFC東京の塩田記事と同じくらいだった。
与沢翼という男には塩田と同じくらいの戦闘力があるというのか!?
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昨日の記事は、「与沢氏=でろりん」という捏造ネタがやりたい一心で書いた文章だったのだが、なかなか反響があった。
その中でも「売名行為」と捉えた人がいたみたいで、「泡沫ブログが金もらって書いたようにしか見えない記事w」という感想もあった(はてなブックマークより)。
こういう反応が記事がうまく書けた時の特徴といっていいかもしれない。良い記事=ステマというバイアスが世の中にはあるような気がする。これは何でもかんでも「陰謀論」にしてしまう思考停止に近いのではないだろうか。要するに人間の性みたいなところで動いているものなのでそうそう変わらないだろう。
「何かをポジティブに書く」という行為をすると、必ず一定の割合で「金をもらって書かされている」というステマ的な、陰謀論的な解釈をする人が出てくるものらしい。
もっともこの記事の趣旨は「ステマ・陰謀論」ではなくこちら。
泡沫ブログって言葉はなんか素敵じゃないか?
泡沫。
小さな泡がシュワーっとしてすぐに消えていくイメージ。
シャンパンの中の頼りない小さな泡を思い浮かべた。
泡沫をひらがなで書くと「ほうまつ」。ほうまつ。いい感じ。
ひらがな四文字はなんか愛おしい。 ほうまつ、なかむら、はとのす。
ひらがな四文字の世界は「でろりん」と「でろぶろ」という例外を除いて今日も平和だ。
泡沫。
小さくて頼りなくてすぐに消えてしまう儚いもの。
そういう意味ではブログというのはすべて泡沫だ。大きい泡もあるし、勢いがある泡もあるけど、所詮は泡に過ぎない。いつか必ず消える。
何十年も続いている大新聞社とか、それこそ人類の歴史と共に生まれた「紙の書籍」なんかとは比べものにならない(歴史学というのは文献から歴史的な事柄を考察する学問。遺跡とか土器だけでやるのは考古学)。
ブログなんかただのデータだ。何かの切っ掛けで消えてなくなってしまうかもしれない。
泡沫。
Twitterで友人が書いていたが、泡沫というと「ドクター中松のようで可愛い」らしい。
この感覚は何となくわかる。
泡沫=可愛い。
どっしりと根を生やして、何があっても揺らがないものは可愛いとはちょっと違うのかもしれない。
300年生きた巨木は可愛いとはちょっと違う。可愛いのは、コンクリートの隙間から生えているタンポポやクローバーだ。
会社で言うと東京電力とかJRなんていう巨大なインフラ企業は全然可愛くない。
泡沫ブログと称された時に、なんかホワーっと嬉しかったのだけど、それは非常に遠回しに「あなたのブログは健気で可愛い感じだね」と言われたような感じだったのかもしれない。
というわけで、昨日は泡沫を味わってみた。
飲み物の中に、いくつも小さな泡が入っていることを意識すると、ハイボールの香りが一層良いものに感じられた。
はとのすは、泡なんだから頑張らないといけないなと思い、小さなネタでもアップしてみた。
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