夢を語れる国にしたい


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もし、明日が最後の日だったとしたら、夢は持てないだろうか? そんなことはない。一日分の夢を持てばいい。一日で達成できる夢を見ればいい。

ああ、ぼくらは不自由だった。小学校三年生の時、ぼくはジャイアンツファン倶楽部の会員だった。毎月送られてくる会員誌を穴が空くほど読んでいた。中畑に親近感を覚え、篠塚の技巧と渋みにしびれ、原辰徳に憧れていた。原辰徳のように巨人の四番バッターになることが夢だった。しかし、それは自分で描いた夢だっただろうか。

ぼくらは不自由だった。自由に夢を見ることもできなかったのだ。ぼくの友人たちもほとんど巨人ファンだった。ヤクルトファンが一名、大洋ファンが一名いた他は例外なく巨人ファンだった(もっともぼくは西武も好きで、朝6時くらいにやっていたライオンズファン向けの番組も欠かさず見ていた)。周りのみんなが野球選手になるという夢を描いていたから、自分もそれに同調していただけだった。

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その後、

夢というのは、追いかけて始めて夢となる。遠くから眺めていれば満足なのであれば、甘美な妄想に過ぎない。野球選手になるためにはどうしたらいいのか。逆算していけば人生プランも出来てくるだろう。けど、それはしなかった。原辰徳になるのに必要なだけの努力はしなかったのだ。でも、それは当たり前のことだった。プロ野球選手になりたいという夢を描くことも当たり前だし、そのために必要な勉強、練習やキャリアプランニングなどをしないことも当たり前だった。

周囲の大人達は、子供に対して夢を見ることは求めていた。学校では「私の夢」というタイトルの作文を何度も書かされたような気がする。しかし、本気で夢を追いかけることまでは奨励していなかったように思う。

「大人になればどうせ現実を知って諦める。だから、子供のうちくらいは好き勝手に妄想しておけばいい」

そういう空気があったのではないだろうか。

夢とはただの目標にあらず。人生を彩らせるためには必要不可欠ではないだろうか。妄想野郎と馬鹿にする人もいるかもしれない。実際ぼくも、文筆業を始めると言って研究業界をやめるときには随分馬鹿にされた。

だから、文筆業について語るときは、ライティングを用いたビジネスの話をするようになっていた。文章で食べていくことが、夢のような話ではなく現実的な話なのだと理解させるために、馬鹿にされないために。

それではいけなかった。

大人であっても、子供であっても、老人であっても。みんな自分の夢を自信満々に語るべきなのだ。照れることなく大言し、それに向けて一歩ずつでもいいから進んでいくべきだ。現実的な話も大事だし、踏まえておく必要がある。金勘定も大切だ。しかし、まず第一に夢があるべきだ。

ぼくは、自分の生まれた国を「夢を語れる国」にしたい。挨拶代わりに「あなたの夢は何ですか?」と聞けるくらい、誰もが夢を持っているのが当たり前の世界にしたい。

そのためには…… まず自分が夢を語り始めるしかないだろう。

先日、古い友人が企画したセミナーに出席してきたのだが、そこで非常に良い話を聞くことができた。話してくれた方が住んでいた街は、駅前にタバコを吸う高校生がたむろしている街だったらしい。それを変えたいと思った。

しかし、今いる高校生に対して力づくで辞めさせるのではなく、自分の子供が高校生になるまでに、駅前でタバコを吸う子供をなくそうと考えた。そのために、他種目にわたりスポーツ少年団も組織し、子供達に目標を持つことやチームワークを知ってもらったとのことだった。そのことがどこまで効いたのかは定かではないが、お子さんが高校生になるころには、駅前のタバコ吸い少年達はいなくなっていたとのことだった。

このアプローチは素晴らしいものと感じた。即効性はないが、無理もない。今ある問題に対して、すぐにでも解決しなければいけないという局面もあるだろうが、10年、20年先を見据えて根本から物事を変えていくことこそ重要なのではないだろうか。

20年後に、日本中の人が自分の夢を語れるようになっていて欲しい。そのためには、自分の夢を描き、その実現のための歩みを止めないようにしたい。

そして、誰に馬鹿にされようが、ぼくは自分の夢を語りたい。

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