東大に11年在籍した後、タクシードライバーになりました

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はとのすワーク 書くことについて

心と文章の間にある海より深い溝について

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早いもので「はとのす」を始めてもう4ヶ月が経過した。最初に書いた記事は「Wordpressでブログを作成」


慣れぬWordpressと15時間×3日格闘した末に、もう嫌になって見切り発射をして、最初の投稿を書いた。「とにかく初めてみる」と考えていたので、文体もコンセプトも定まっていなかった。それでも、何か始めないと研究世界の呪縛から逃れることが出来ないと感じた。

研究業界を去るときに、おまえの文章など誰も読みたがらない、文章で食うなどと甘いことを言うな、などという意見を頂いた。至極全うな意見だと思うし、まだこちらも結果を出しているわけではない。

とはいえ、想定していた以上の方にこのブログに来てもらっているようだ。多い日では150人もの方に読んで頂けるようになった。はとのすには、お得情報が載っているわけでもないし、何か特定コンセプトに基づいて書いているわけでもない。

例えば、この記事についても、一体どういう人の得になるのか。考えてみてもよくわからない。「はとのす」にはこの手の記事が多い。読者のベネフィットが存在しないような文章も多いのだ。それでも、「はとのす」に訪れてくれているのは、中村慎太郎という人間の挑戦、文章で戦っていくという覚悟について、賛同し応援してくれているからだろうと思う。

もし、そうであれば、心より感謝したい。

最近アイドルになった友人がいて(本当に)、アイドルになってファンの皆様に支持されたり投票したりしてもらえるのは、「愛」以外何ものでもない。感謝以外に何を思うというのだろうか?

4ヶ月間で投稿した記事は約60本。月あたり15本、2日に1本のペースだ。随分書いたなという気もするが、ブログで飯を食うプロブロガーならば3日で書けるペースでもある。

もっとも、「はとのす」の文章はかなり時間を掛けて魂を込めて書いている(一部例外もあるが)。だから、1日1記事も書けないだろうと思う。テーマを決めて記事を生産するのではなくて、自分の心の中にあるものを、時間と労力をかけて文章に姿を変えるという作業をしている。

内容を書くのではなくて、心を書いている。これはなかなかしんどい作業だ。折り紙に喩えてみる。「鶴」を折るのは方法さえ知っていれば簡単にできる。練習すれば1分間に2個くらい作れるかもしれない。しかし、「夕立に降られてびしょ濡れになった空しい心情」を折り紙で表現するというのは至難の業だろうと思う。

もし折り紙でやろうと思ったら……どうしたらいいだろうか。グシャグシャのビリビリにした上で水に濡らして、車に踏ませて跡をつければ情感は出るだろうか?あるいは、人間の形に切って、頭の上にカバンを乗せて走っている図を作ろうか?

もちろん、折り紙で表現するのは、メディアの制限もあってなかなか難しいだろうと思う。けど、ぼくがやりたいのはこれと同種の試みなのだ。折り紙や油絵や音楽で表現するのはぼくには難しい。しかし、文章でならできるかもしれない。文章は、ただの字であると同時に、無限の組み合わせを持つ宇宙でもある。

誰にでも文章は書ける。しかし、文章を用いて心を表現するのは決して容易なことではない。自分の感じたものと、自分の手から作られる「字の群れ」の間には深い溝がある。どうやっても埋まるものではない。

明らかに心で感じた原感情よりも劣化したものしか表現することは出来ない。もし、ロックイベントに参加して心から感動したとして、それを一番適切に現すとしたらこうかもしれない。

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーー

ほんと!!!!!!ちょーーーーーーーーーーすごい!!!!!!!!!

かっこいい!!!!!!」

………

もちろん、これは文章ではない。だから、加工しないといけない。仮に書くとしたらこんな風だろうか。

「怪しい宗教音楽家のようになったイアンブラウンのせいで、私を含む観衆達はすっかり落ち着いてしまっていた。別の会場では確かKornが出ていたはずだ。しかし、なんだか気が抜けてしまって、わざわざ歩いて別会場に行こうという気にもならない。

あまりにも暑かったため疲れ切っていたのもある。もう、動きたくなかったというのも本音だ。ベンフォールズもミッシェルガンエレファントも見たから、もう帰ってもいいよね、と友人が言った。それに同意しようと思った時だった。大きな歓声が上がった。

プライマルスクリームだ!!そうだ、すっかり忘れていたが次はプライマルスクリームだった。そして、出し抜けに脳から足までを突き抜けていくような気分のいいスネアの音が響き始めた。これは……Rocks!!

疲れが一瞬で身体の中から吹き飛び、我々全員はステージの少しでも前に行こうと走り出していた。イアンブラウンのおかげですっかり落ち着いていた会場が一瞬で生き返った。ビートが空気を支配し、人間は飛び跳ねた。大地が揺れるのを感じた。これは比喩ではない。本当に大地が揺れていたのだ!!! 

初めての経験だった。脳の隅々まで喜びが走り回っているように感じた。」

………これは、私の実体験の記憶を元に書いた文章だ。書いていて、これ何か違うなという感じがついてまわる。もちろん、嘘は書いていない(1曲目がRocksだったかは正直ちょっと怪しいのだが)。しかし、当時17歳、お小遣いをはたいて参加した第二回フジロックフェスティバル(1998年)の、あの時の気持ちはとても表現できていない。

感じたこと、体験したことと、表現したことの間には海より深い溝がある。どうしても埋めることができない。だけど、文章で戦うことを決断した身としては、何としてでも海を渡ろうと努力したい。いや、海を渡るのが正解ではないのかもしれない。哲学的で難しい問いだ。

友人で劇作家の南慎介氏の作品では、こういった内容がテーマとされることがある。彼は、若い頃から表現活動をし続けているので、色々と思うこともあるのだろうと思う。ぼくも、文章で戦うという覚悟を決めて、ようやく同じステージに入れたような気がしている。

文章で戦うと言うことは、ぼくの場合には心で戦うということだ。これは生半可なことではない。商業主義的に言うならば、ぼくの心に魅力がなかったら誰も文章を買ってくれなくなってしまうのだ。売るためにやっているわけではない……とは言えない。家族もいるし、子供もいる。

「自分の文章なんて、どうしようもないポンコツで、何の魅力もない。だから、ツイッターやフェイスブックで友人たちに紹介するのは恥ずかしい……」 そう考えて落ち込んでしまうこともある。

しかし、それは同時に自分の心と向き合った時間でもある。文章に形を変えた自分の心を常に点検することで、人間として成長できているという実感がある。それに伴い、ゆっくりではあるが文章も良くなりつつあると自分では思っている。

この心と向き合う日々を続けていきたい。

書籍を出版する計画はあるが、この試みをもう少し続けてからのほうが良いものが書けると確信している。

本当にありがたいことだ。ここまで読んでくれた方には、私や「はとのす」に対して愛を持ってくれているのであろう。誰かの愛情を受けることが出来る仕事。誇りを持てる仕事だと思っている。

何とか、この舞台に立ち続けていられるように、精進したい。

最後にRocksの動画のURLを載せておく。懐かしい。

 

http://www.youtube.com/watch?v=mZpUcp-wgKM

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