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政治の話題を出すときに気をつけたい3つのこと

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若者が政治に関心を持たないことが問題視される中で、ブログやSNSなどに政治的な信条を書く人がいるのは頼もしくもある。話題に出すのは本当に大切なことだ。芸能人があれだけビッグマネーを稼げるのも、多くの人が話題に出すからだ。


政治の話はタブーという扱いにしないで、大いに語るべきなのかもしれない。一方で、突然政治の話を目にして不愉快になることもある。深夜に目が覚めて某スポーツ関係のブログを読んでみたら、「改憲派の馬鹿面」という記述があって、正直不愉快に感じた。

スポーツに関する記事を読みに来たつもりなのに、なんで一方的な政治的主張を読まされなければいけないのか。自分とは異なった政治信条を持っていることは大変結構なのだけど、突然目に入るとどうしても不愉快さが湧いてくる。

政治について考えたり、書いたりするのは良いことだと思う。一方で、唐突に政治的な信条をまくしたてると、これまで気付いてきた価値を失ってしまうことにもなりかねない。揉めやすい分野なのは間違いない。しかし、我々若い世代は、政治を語るという術を身につけていくべきだ。

そのためには以下の3つを守るべきだ。

1.ある程度自分でちゃんと調べる。思い込みをしていないか、事実関係に誤認はないかを確かめる。
例えば先ほどのスポーツブログではいくつか簡単に指摘できる点があった。

某ブログの記事を改編して引用
「改憲派、自民党支持者の人は、このことに答えられない。竹島は韓国に武力占拠されているにもかかわらず、何故米軍は攻撃しないのか。米軍基地などいくらあっても不要なのだ。」

しかし、これには簡単に反論できてしまう。

事実1.日本とアメリカは軍事同盟を結んでいる。
事実2.韓国とアメリカは軍事同盟を結んでいる。

アメリカは同盟国を攻撃できない。だから、当事者同士で話し合って解決してねと言うしかない。多分、この書き手の人は事実2を知らなかったのではないだろうか。知らないなら知らないで仕方がないし、勉強して次に進めばいい。「すべてわかってからじゃないと表現してはいけないなんてのは大嘘だ」。そんなことを言っていたら政治については永久に発言することができなくなってしまう。

ただしここで重要になるのは2点目。

2.自分が間違っている可能性を捨てない。

そもそも韓国と日本は、アメリカの戦略上、共産主義の防波堤として考えられていた。ソ連、中国、北朝鮮という強力な共産国の波が、太平洋まで押し寄せてくるのを防ぐ役割を持っているのが、韓国と日本だ。もし、この2国が共産主義に染まってしまっていたら、広い太平洋に共産主義国家が進出してきてしまう。

アメリカが、日本と韓国と軍事同盟を結んでいる理由は、共産主義vs資本主義の対決を東アジア内での小競り合いという構図に封じ込め、自分は安全圏を確保したいからだ。そういう意味で、対共産主義の仲間であるはずの日本と韓国が軍事的に争うというのは想定外の事態だったはず。

というような事情を考えると、アメリカが同盟国である韓国を攻撃するということはありえないことがわかる。そもそも同盟国の時点で攻撃しない。

今回の「韓国を攻撃しないからアメリカ軍は不要」という説は、妥当ではないだろうと思う。

けど、このぼくの見解だって間違っている可能性はある。東アジアの近現代史について一通りは知っているけど、米軍の事情について詳細に知っているわけではないし、同盟の際の条約の内容をすべて把握しているわけでもない。何かしら間違えている可能性が高いといってもいいかもしれない。物事の批評をし始めると「全能感」に囚われる。まるで、自分が偉くなったかのように思い、批判対象を馬鹿だと考えるようになってしまう。

サッカー関係の批評でもよくみる。監督をこき下ろし、馬鹿はやめろと言う。しかし、その人が代わりに監督をしたとしても出来るわけがない。

自分が正しい保証はないということをよくよく自覚しておく必要がある。そうすればある程度謙虚になることができる。政治に関する判断は100年後になってみないとわからないかもしれない。例えば、徳川慶喜の大政奉還が正しかったのかどうか、慶喜は賢かったのか馬鹿だったのかどうかについて、150年前のことながら判断するのは難しい。

何が正しいかはわからない。自分が間違っているかもしれない。そういう気持ちを忘れてはいけない。

3.反対意見を尊重しよう

反対意見を持つ人を馬鹿扱いするのは、知的な態度ではないと言いたい。ぼくは、前安倍政権の時からずっと安倍首相を支持している。だから、「改憲派」ということになる。安倍政権や改憲の是非についてはさておき、某ブログで最も不愉快だったのが「改憲派の馬鹿面」という記述だった。つまり、筆者はぼくのことを「馬鹿面」だと思っていたようだ。筆者には穏やかで知的なイメージを持っていたのだが、一気に崩れてしまった。

こういう書き方をしてしまうと、せっかく良いスポーツ記事を書いたとしても支持されなくなってしまうだろう(少なくともぼくは今後支持しない可能性が高い)。また、政治的なプロパガンダとしてもあまり優秀とは言えない。「馬鹿面」と言われて「すみません、私が間違っていました」と謝る人は少ないだろうと思う。

ぼくも平和憲法を守りたいという人の気持ちは尊重している。戦争をしない世の中を守っていきたいという気持ちもよくよく分かる。しかし、日本が戦争に巻き込まれずにやってこれたのは平和憲法のおかげではないし、憲法を変えないほうが中国に攻め込まれる可能性は高いとぼくは考えているわけで、そこには意見のギャップがある。

議論するべきなのはそこだろう。反対意見を馬鹿面と罵り合うのは不毛でしかない。

改憲派について批判するなら、改憲派に敬意を持って書くべきなのだ。それじゃないと罵り合いにしかならない。議論にならない。反対意見に敬意を持つことが、Web上で政治の話をするときには重要なのだ。もっともこれはWeb上ではなくても同じ事なのかもしれないが。

我々の世代は、冷静に政治についての議論ができるWEB文化を創っていきたい。

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