2017年、気づくと半年過ぎていた。早いものだ。
少しでも抵抗するためには、過ぎ去っていく時間が自分にとってどうだったのか振り返ってみることが大切だ。
いま、ぼくがブログに書いているのは、純然として自分に向けた自分のための文章だ。ブロガーだったら「はとのす式自己採点法」みたいな名前をつけて一般化するのだろうけど、その労力を割くのなら作品作りに使うべきだ。
ブログとは、元来、ウェッブ上にログをつける(Web log)として始まっているので使い方としては間違っていないはずだ。
それに個人的な記録のほうが、人の日記を覗き込むエンタメとして機能するようにも思う。ブログは記事を載せるところではない、生きるために書くところだ。ぼくの場合は、見失った夢のかけらを何とかして探そうと試みる場所でもでもあるのだ。
とはいえ、少しだけ一般化してみよう。何かの折に自分の過去を振り返って、採点してみることはとても大切だ。ぼくの場合は、2014年、ブラジルから帰ってきて少ししてから、非常に自己採点が低い日々が続いている。要するに自己満足感が低いのだ。
それは問題だが、「自分が満足していないということを自覚している」という意味では、まだ救いはあるのかなと思っている。自分を構成する要素をリストアップして、一つ一つ採点していくと、この先、何を目指すべきか見えてくるだろうと思う。
というわけで、採点をしてみよう。
パパ業 60点
渋谷の書店業が始まったこともあり、送り迎え、お弁当作りはできなくなった。また土日の出勤が想定外に多いことから、遊ぶ時間も激減した。
とはいえ、一般のパパからすると子供を見ている方かなと思うのでまぁまぁの採点にしておこう。しょうがないこととはいえ、土日に仕事が入ると、それだけで苛立ちを感じる。
パパ業からは逸れるが、土日に仕事が入るとスポーツ観戦もままならないのが困ったところだ。
書店業 60点
一応務められたということと、外に出ていることで知人が増えていくこと、月給をもらえたこと。それだけで60点。やはり月給が決まっていると支払いなどの計算がつくのでやりやすい。一方で、月給制とは言え、実質時給制と変わらないということがわかったので、勤務時間が足りないとその分月給から引かれていく。
調べてみると、ノーワーク・ノーペイの原則というのがあるらしいのでそういうもののようだ。ベンチャー企業なので、勤怠システムがよくわからない、というか書面での手続きを経ずに変更されることがあるので、こういった類の話が苦手なぼくは常に混乱し続けていた。
勤務時間の計算をしている時間、つまり、ちゃんと給料が出るだろうかと頭を悩ましている不安な時間が長すぎるので、そこは非常によろしくなかった。
また後述するように作家業の進展は最低だった。まったく進まなかったといっていい。フルタイムで働きながら、作家業をするのは非常に難しい。また、勤務時刻がある程度定まっているならリズムも生まれるのだが、7時半に渋谷ということもあれば、23時半まで渋谷ということもあり、不規則な暮らしに疲れ切ってしまった。
夜型なのか朝型なのかもよくわからないまま、十分な睡眠が取れずに精神も肉体も弱っていく。自宅で空き時間があってもベッドから起き上がれない時間が長すぎる。
23時15分に渋谷を出ると自宅に着くのは0時15分。
ストレスが溜まっているので、お酒を一杯二杯飲んでしまう。
寝るのは早くて1時。場合によっては2時。
翌朝は9時出勤だったりすることもあるが、その場合は7時に起きて満員電車に揺られる必要がある。前日の疲れも取れないし、睡眠も足りていない。その状態ではクリエイティビティを発揮することも出来ない。
そして9時に出勤し、勤務時間が不足しているので23時まで残ることも多々あった。その結果、さらに疲労し、さらにストレスが溜まる。愚痴と不満が溜まり、飲酒量だけが増えていく。
書店業でも、作家業でも優れた活躍ができないという結果になる。文章がぼやけてしまうのだ。
今書いているこの文章は、そこまでぼやけていないはずだ。まぁまぁである。それもこれも、足を捻挫したことによる副産物で2日間休めたからだ。久々にゆっくり休めた気がする。おかげで、心身ともに回復した。だから文章も書ける。
その結果、2日分の給与が減るので家計にはダメージは出るのだが、このくらいは休めないとやっていけないというのもあるので、もうこれはしょうがない。経費である。
4月半ばから、望んでいるような仕事が全然できていない。勤務先には愛着はあるのだが、このままでは持続的ではない。7月は大幅に減給される見通しなので、それに備えつつ8月からは、ワーク&ライフのバランスをもう一回組み直す必要に迫られている。
作家業に必要な時間と、必要な月給を計算すると、週3日勤務くらいにしないと、ちょっとどうにもならないようだ。働きはじめの段階でそこまで頭が回らなかったのは、この際しょうがない。
しかし、今は重々理解した。
月に170時間働いた上で、作家業をする体力も気力もぼくにはない。
もちろん、家族を皆殺しにされて、その恨みを晴らすために命がけでやるならば出来ないこともないだろうが、今ぼくはそれなりに満足していて幸せなのだ。
疲れて家に帰った後に「パパーあそぼう!!パパ大好き!」と言われて、子供を蹴飛ばして原稿を書こうという気にはならない。
作家業 10点
仕事に対するネガティブな見解は、作家業が進んでいないことによって起きている。仕事内容とか勤務先が悪いというよりも最初の見通しが甘かったこと(勤務時間について)と、極めて苦手なカフェ店員業務が今の仕事の中心になっていることが大きい。
カフェが苦手というよりマルチタスクが苦手なので、カフェをしながら他のことが見れなくなる。同僚の女性スタッフは非常にマルチタスクを巧みにこなすのだが、ぼくの場合いくら努力しても双方にミスが増えるだけで決して有効とは言えない。
この辺を組み直さないといけないな。
唯一良かったのは6月に14本のブログ記事を更新できたこと。正直内容は伴っていないのだが、書くことが出来た事自体は良かった。
とはいえ、日々サビつきを感じるので、このままでは絶対に駄目。
思えば月に170時間も飲食店勤務をしたことがなかったのだが、これはなかなかしんどいものだ。頭脳労働なら刺激にもなるのだが、性質的に単純作業・肉体労働に近づいていくため脳が重く麻痺していく。
とはいえ頭の切り替えがもう少し早くなればやりやすくなるだろうと思うので、ハトトカで使っているスラックに作家業務の管理用のチャンネルを作って、仕事の連絡をしながら作家業の進捗が目につくようにしたり、原稿をすべてGoogle documentにしてクラウド上で書き進められるようにしたりと、対応策を練っている。
原稿が進まないことのストレスは非常に大きいために最優先で何とかしないと。
運動 20点
5月くらいまでは動く気力もなかったのだが、6月から強引に始めることにした。怪我はしてしまったものの、アグレッシブに動いた結果だからよしとしよう。
本当はフルコートのサッカーがやりたい。しかし基礎体力を戻して、スパイクを履いて走り込んだ後じゃないと怖くてできない。
それに加えて登山も趣味に加えたいと考えているので、現在の充実度は極めて低い。
このようにまとめてみたが、昨年一年の点数として15点か35点とつけたと記憶しているので、それに比べれば今ははるかに良い状況だ。多分60点近くはいっている。ここに原稿の成功が追随すれば、採点は大きく跳ね上がる。
外の世界で刺激を受けた事自体は間違いじゃない。明らかにフットワークは軽くなっているし、原稿を書くよりもはるかに精神的負担が小さい方法で現金収入が得られるようになったのはとても大きい。
こういうのをパラレルワーク業界では、ライスワークというらしい。ごはんを食べるための仕事という意味だ。その対照語はライフワークという。これは生きるための仕事というべきか。
ぼくのは場合はライフワークで本業が作家業で、ライスワークが書店員ということになるわけで、それが逆転しているような状況はよろしくない。
週3 書店業
週2.5 作家業
週1.5 パパ&休日
こんなバランスがいいかなと思う。
ちなみに、合間の時間を削りに削れば作家業を週3日に増やすことは可能だ。一週間を7日ではなく7.5日とか8日に増やすことは、可能なのである。
それは、無駄な時間をいかに削っていくかという勝負にかかっているのだが、決して不可能なことではない。
その前提として、体力をつけ、生活を整えて、日々のケアをもしっかりした上で、ストレスを溜めないように健やかに生きられるかどうかが大事。
ああ、この世は真に生きづらい。
生きていくのは本当につらいことだ。
一人でもつらいが、家族を抱えるのも本当につらい。
なんでこんなつらい思いまでして生きているのだろうか。
もうやめてしまほうが楽なんじゃないだろうか。
心を折り、筆を折り、首の骨も追ってしまえばさぞ楽になるだろう。
甘美な死、快楽としての滅びは魅惑的だ。
しかし、若い頃は別として、死にたいなんて考えることもなくなった。
子どもたちが大きくなるのを見たい。
4歳と0歳を残して死ねるわけがあるか!
老後は妻と一緒に新婚旅行で行ったハワイに行きたい。
そして、体験してきたことを文章にして伝えたい。
書いて書いて書きまくりたい。
書く力は不足しているが、技術じゃないよ、気持ちだろ?
なぜ書きたいのか。
思い出せ。
なぜ書きたいのだ。
なぜ文章など書きたいのだ。
思い出すのだ。
答えは全て自分の中にあるはずだ。
転んでも、躓いても、怪我をしても、何周も周回遅れになっても恐れる必要はない。
人と争っているのではない。敵も味方も自分の中にある。
自分のため、家族のため、友人のため、まだ会ったことがないどこかの読者のため。
魂を燃やし、文章を綴るしかない。
今度こそ、今度こそ、このポンコツにエンジンがかかることを願いつつ、このへんで記事を閉じる。