Name
中村慎太郎
「鳩」と呼ばれることも。mixiネームが由来。
Works
Freelance writer
Tornadoes Academy Tokyo 23 広報&スタッフ
Sports
バスケットボール、サッカー、フットサル
Activities&Properties
・ねこじたブックカフェ
・野鳥観察家
・新町自治会青年部
・育成系の勉強会(企画中)
・元研究者(海洋生態学 marine ecology)
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About This Blog
このブログで考えたいことは、「いかにして生きるのが幸福なのか」というテーマです。
サッカージャーナリズム界の賢人サイモン・クーパーは、「スポーツのビッグイベントは社会を経済的に裕福にはしないが、人々を幸福にすることはできる」ことを示唆しました。
オリンピックをやっても観光客が増えるわけではないそうです。イベント目当ての人は来ますが、通常の観光客は減ってしまうためです。そして、インフラや競技場の整備のために多額の税金が使われます。
経済的には殆ど効果がないとする一方で、開催地の人の心を明るくし、幸せで満たす効果があることに言及しています。重要なのは「カネ」ではなく「幸せ」のほうではないでしょうか。
スポーツとは、生き方の表現形の一つです。
巨人や阪神の熱烈なファンもいれば、スペインバスケに深く傾倒する人もいるし、セルビアのサッカーに愛情を注ぐ人もいます。プレイヤーとしてプロを目指す人もいれば、地元のクラブチームの勝敗に人生をかける人もいます。50歳になっても現役バスケットボールプレイヤーという超人にも出会ったことがあります。また、プロになるという夢を横に置き、育成という夢を新たに描く人もいます。
立場はそれぞれありますが、スポーツに関わる人の心は、充実しているように思えます(もちろん、スポーツに限ったことではありませんが)。そして、それは「生きるつらさ」とか「上司が嫌い」のような日常的なストレスに満たされているよりもずっと幸福なことではないでしょうか。スペインの貧しい移民街「サンフェルミン」でバスケットボールコーチをしているセルヒオ氏は、「子供達がスポーツをしている時間は、悪いことをしない。また、嫌なことを思い出さないで済む」と語ってくれました(スペインのバスケットボール育成コーチ“セルヒオ”の視点)。
一方、スポーツは人を不幸にすることもあります。
怖い監督が怒鳴りながら指導をするというのは、残念ながら日本では「日常風景」です。
最近でも高校の部活で、監督から何度も暴行を受けたキャプテンが自殺するという何ともやり切れない事件がありました。
日本では育成すべき子どもを殴って従わせる指導者はまだ多いようです。物理的に殴らずとも言葉や態度で精神的に追い詰めていくケースはもっと多いでしょう。
子ども達の柔らかい頭を叩いてはいけないし、柔らかい心を痛めつけてはいけない。
ぼくはそう考えています。逆らえない立場の人から殴られ、反論も許されなかったという経験は、その下の世代に暴力として襲いかかっていきます。これは大人だって同じです。仮に職場で、上司から毎日殴られ、逆らうことが許されなかったとしたら、どれだけストレスが溜まるでしょうか。
人を殴るという行為は傷害罪とか暴行罪に相当します。大人と大人では犯罪になりうることが、スポーツの育成現場では「愛情」と表現されてきました。異常事態だと思います。
これはスポーツだけの問題ではありません。
日本社会に根付いた病です。
強者による弱者への圧迫と、それを悪と見なさない空気が日本にはあり、それが「成長」を阻害しています。
「部下は使えないやつばっかりだ」という上司や「ガキどもが言うことを聞かないからイライラしてヘビースモーカーになった」と言うコーチが上にいては、「成長」は阻害されてしまいます。もちろん、悪い環境をバネにして成長するということもあるかもしれませんが、効率は悪いだろうし、成長の最大値に達することも難しくなっていきます。
多くの人が「最大値」まで伸びることができずに、ストレスや不満を抱えてしまっている社会、これが日本のダークサイドです。目を背けたくなる事実ですが、年間に3万人もの自殺者が存在し、自殺未遂をする人はもっと多いという現状があります。
こういった状況は日本社会の病根と言いましたが、逆に言うならばこの部分を変えていけば日本にはまだ伸びしろがあると言うこともできます。
そして、現状を変えるためには、スポーツや育成現場から変えていくことは現実的かつ強力な手段ではないか考えています。
「いかにして生きるのが幸福なのか」
それは、誰かに言われてやらされている状態や、意味もわからず何かの歯車になってすり減っていく状態ではなく、高いモチベーションを発揮して自発的に物事を進めていく喜びと充実感を得ることではないかと思っています。
そのための具体策としては、「夢」を持つことが有効です。
夢とは遠くで輝く虹のようなもので、美しく魅力的だけど、そう簡単には手が届かないものです。
簡単には達成することはできないものの、人生を賭けて挑戦したくなるほどの魅力的な大目標を掲げていれば、志し高く充実して生きることが出来るのではないでしょうか。
子供達には夢を持って生きて欲しい。
そのためには、自分をはじめとした大人達の世代にもやるべきことがあります。まず、自らが夢を描き、夢を追うことをしなければいけません。そういった生き方が魅力的で充実した人間の姿だということを身をもって示す必要があります。
そして、子供達が安心して夢を追えるように、つまづいた時に違う夢を見つけられるように、環境を整えることに尽力する必要があります。
夢とは、叶えるためには甚大な労力を必要とし、それでも実現可能性が低いという特徴があります。そのため、上手くいかずに打ちひしがれることもあるかもしれません。
しかし、もしあなたが本気で夢を目指していたならば、あなたを支持し、応援し、協力してくれる人が、共に夢を目指して走り出す人と必ず出会うことができます。
ぼくは「作家として生きて行く」という夢を掲げました。今は自己紹介する度に恥じることなく堂々と語るようにし始めました。すると、いつの間にか同士・盟友と呼べるような仲間が両手では収まりきらないくらい集まってきました。心の底から尊敬できる人にも出会えるようになりました。
「いい年なんだからもっと現実を見ろよ」というような意見もあると思います。それはそれで間違っているとは思いません。しかし、ぼくは「本気で夢を目指すことで現実を打ち倒す」という決断をしました。
今よりも良い日本になるように、未来を担う世代が夢を追い、伸び伸びと活躍できるように、暴力や圧力で夢を見失わないように、文章を書くという手段を用いて貢献していきたいと考えています。
略歴
執筆中