日常的なことを書くことの是非について考えていた結果、朝食のレシピになった。
「取材に行くとお金がかかるから、取材費がかからない日常的なことを書けばいいじゃないか」
というご指摘を複数受けたのだが、自分の中で整理がつかないので文章に記しながらゆっくり考えてみたい。
「日常のことを書けば経費がかからない」というのは事実である。一方で、日常のことを書くのは2つの意味で厄介なのである。
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1つは、誰もが当たり前に過ごしている日常について、わざわざ文章にしても大して面白いものにはならないということ。もちろん、日常を面白く表現する力のある書き手もいるだろうと思う。しかし、決して簡単ではない。何歩か譲って「親しい友人・知人」が書いたものなら楽しんで読むことも出来るが、全く知らない人間の日常に興味がある人は少ない。「商品」として提示する以上、何らかの味付けは不可欠だ。
もう一点。日常を「商品」として切り売りし始めると、生活のすべてが仕事に浸食されてしまう恐れがある。例えば、家族との交流、子供との戯れ、友人との楽しくリラックスした一時。こういったものを「商品化」する癖がついてしまうと、困った現象が生じる。
それは、「表現バイアスがかかった不自然な経験」をしてしまう恐れである。バイアスというのは「先入観・偏見・思い込み」というような意味である。つまり、「後で文章にすることを前提に、ネタにしやすいような日常を送ってしまう」危険性が高いのだ。
例えば、ぼくは朝食にチーズオムレツを作るのが好きなのだが、毎日同じようにチーズオムレツを作るだけでは文章のネタにはならない。入れるチーズを変えてみたり、どれだけ速く作れるか試行錯誤してみたり、ケチャップによるデコレーションをしたりするようになる。あと、ぼくは必ず乾燥したバジルをまぶすのだが、それじゃネタにならないので、自家製のバジルを使うようになる。バジルだけじゃなくて、イタリアンパセリを試して見たり、変化をつけてシソとだし汁を加えてみたり……
結果、ぼくの日常は「育てたくもないハーブを育てる」ことに浸食されるようになってしまう。これは非常にノイジーだ。ぼくはネタを創出するために朝食を作るわけではないのだ。あくまでも健康に力強く生きるために朝食を作っているわけで、誰かにPRするためではない。
などと、小難しいことを考えているうちに、「表現バイアス」を排除した当たり前の日常をそのまま書いてみるというのは、書き手としては1つのチャレンジになるかもしれないと思い始めた。
例えば今日の朝食は、スパゲッティーのアーリオオリオとチーズオムレツ、それに適当なサラダか温野菜にしようと思っている。アーリオオリオというのは、ペペロンチーノと同じものだと思うのだが、この呼び方のほうが美味しそうなので採用している。
まず、オリーブオイルをフライパンで温め、そこに青森産のしっかりしたニンニクを瓶の底で潰して入れる(同時にパスタを茹で始める。ゆで汁には岩塩を加えるが、塩をけちるとまずくなるのでたっぷり入れる)。火加減は弱火~中火、強すぎてはいけないが、朝なので弱火でじっくりとはいかないこともある。オムレツやサラダの準備をしながら、ニンニクが気泡に包まれ、キツネ色にこんがりとしてくるのを待つ。
キツネ色になってきて、少し粘ってから火を止めて、乾燥した輪切りの唐辛子をパラパラと加えて、フライパンを回して香りをつける。そのまま火を止めて少し冷ます。少しするとパスタがゆであがってくるので、ゆで汁をフライパンのオリーブオイルに加える(オリーブオイルとゆで汁の割合は1:1)。この時に、フライパンの温度が高すぎるとゆで汁が跳ねてデンジャラスになるので注意。
フライパンを軽く揺すると、油と水が混ざってドロドロになる。これを「乳化」という。
茹で上がったパスタのお湯を切り、乳化したオリーブオイル&ゆで汁とよく和えて、バジルをパラパラと振りかける。ぼくはバジルが大好きなので、狂ったようにかけることもある。
そしてフライパンを素早く洗い、チーズオムレツを作り始める。こっちはチーズと卵を焼くだけなので、コツのようなものはあまりない。
後は食後のインスタントコーヒーのために、お湯を沸かしておき、食卓に並べる。
変なスイッチが入ってしまって、日常的な朝食について書いてしまったが……こういうのはどうなんだろうね。とりあえず猛烈にパスタが食べたくなったので、上記のレシピを再現してこよう。
(画像はフリー写真素材集 旅Photoのものを使用しました。)
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