ブラジルから戻ってきてもう3週間も経つのに、いまいち調子が戻らないでいる。時差ぼけは最初の1週間で何とか抜けて、その後ちょっと体調を崩しかけたのだけどそれも抜けたはず。
よし、次回作に向けてガンバロウ!と思ったのもつかの間、なんか目が重くて、すぐに疲れて眠くなってしまうようになった。
こりゃいけないなと思って眼科に行ってみたら、「アレルギー性結膜炎」の診断。目がドロドロになっていた。
ホコリの類が舞っているせいで、アレルギー症状が出て、そのせいで目がよく見えなくなる。見えない状態で執筆業をやろうと思うと、ストレスばかりが溜まる。
ストレス解消にビール
⇒飲み過ぎて調子を崩す
以下、同じ事を繰り返す。
夏場はビールが飲みたくなる。しかし、ビールばかり飲んでいると体調は崩れていく方向に向かっていく。もうずっと前からわかっていることだ。
内臓が強靱な人なら毎日飲んでも平気なんだろうと思うけど、ぼくの場合には肝臓やら胃腸やらが疲弊して体調不良になるところまで行ってしまう。
体調不良の状態だと、どうしても良いものが書けない。
文章というのは「ただの字の連続」なので、どんな状態でも作成することは可能だ。しかし、身体が不調の時は心が暗いことも多く、心が暗いと文章も勢いがなくなってしまう。
良い状態で書かないと、「もちもち」とした文章にならないのだ。「もちもち」というのは、要するに「活き活きとした」とか「血の通った」という意味だろうか。
そして、本当に大切なのは「もちもち」とした文章を組み合わせて、「文脈の波」を作り出すこと。「上手い短文」を作り出すセンスというのは、ぼくの場合は至って標準的な能力しかない。ぼくより文章が上手なライターさんは山ほどいる。
しかし、1つ1つの言葉を紡いでいって「文脈の波」としてダイナミズムを持たせることには、一縷の光があるのではないかと思っている。ぼくが勝負するのはここなのだ。
Twitterの140文字では凡人。
1000字のブログではそこそこ。
ブログにしては長い1万字で初めて特異性が見つかる。
そして10万字を求められる「書籍」において、初めて自分を出すことが出来る。
マキタスポーツという芸人は、一つのネタをやるのに最低5分かかるため、1分ネタが中心の「レッドカーペット」ブームに乗り遅れてテレビに出演できなかったと語っていた。
それゆえ、時間無制限のポッドキャストという舞台を自ら作り、そこから人生を切り拓いていった。あのおじさんの話は、確かに3分ではあまり深みが感じられないかもしれない。しかし、60分以上というスケールで聴いているとじんわりと面白くなってくる。
そういうスタイルも世の中にはあるのだ。
ぼくの場合も同様で、詩や短文ではとても勝負できない。しっかりとした長さの文章を書かないといけない。
そして長い文章というのは、それなりに綿密な準備をしないと書くことが出来ない。適当に書き始めてうまいことまとまることはないと思う。
だから、ぼくにとって執筆するというのは、非常に大変な仕事なのだ(もちろん、誰にとっても大変だとは思うが)。
この仕事に向き合うためには、体調を整えるということが非常に重要で、そのうえで「心を整える」必要がある。「心を整える」前に書き始めると、陰に陽に誰かを中傷したり、卑下したりするような文章になってしまうかもしれない。
どうせ書くんだから、誰かの役に立つようなことが書きたい。そのためには、日々を「善く生きる」ことが大切なのだ。
というわけで今宵は、ビールを我慢してダイエットコークを飲みつつ、夜な夜な執筆スペースの掃除と、まだ終わらないブラジルの後片付けに励むのである。