日本代表と共に世界へ!! ロシアW杯へ向けて
ブラジルワールドカップから1年以上経過した。
多くの人にとって、ブラジルでの死闘は記憶の彼方に追いやられてしまっているのだろう。いや、死闘とすら記憶されていないかもしれない。甘やかされてきた日本代表が犯した失態、大敗北劇、黒歴史、日本の恥である。そこまで思っている人すらいる可能性すらある。
しかし、ぼくにとって、ブラジルワールドカップは特別だった。あの旅が、ぼくの中に浸食し、すり替わっていった。ぼくの中に「ブラジルワールドカップという部屋」が出来て、そこで陽気なやかましい奴らが騒いでるのだ。そして、目をつむれば、音楽が流れてくる。いつもスタジアムで流れていたあの曲だ。しばし思いを馳せると、ぼくの心は即座にクイアバに飛ばされる。
予選リーグの最終戦である、コロンビアとの試合が行われたが行われた場所、クイアバである。
この動画を是非みて頂きたい。クイアバのスタジアムに入った時の動画である(カエルの一平くんとUGさんもたまたま居合わせたので映り込んでいる)。
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この時、日本代表は決勝進出への一縷の望みを繋ぐため、強豪コロンビアに挑んだのであった。しかし……。
岡崎のゴールで同点にすることは出来たのだが、そこからが地獄であった。為す術もなく失点を重ね、日本代表は敗退した。それと同時に、我々サポーターも敗者となった。国内で観戦していた人もさぞかし落胆したことであろう。しかし、あの日、あそこにいた者にしかわからないこともある。あれほど無残な敗北感を、地球の裏側で味あわされるとは……。
スタジアムに押し寄せるコロンビア人の数々。コロンビアを応援するチャントが、呪文のように何度も何度もスタジアムに響いた。一方で、我々日本人はあまりにも少なく、非力であった。日本代表を応援する声はかき消され、存在していないも同然になってしまった。
なぜそうなってしまったのかというと、色々と理由はあるのだが、根本的な原因はスタジアムに訪れた日本人が、コロンビアに比べて圧倒的に少なかったことである。クイアバは、完全なるアウェーの環境になってしまった。
もちろん、ホームの環境だったら勝てたとは言わない。どんなところでやっても負けは負けだったかもしれない。しかし、あれほどの大負け、選手もサポーターも打ちひしがれて、深いダメージを負うほどの負け方をしただろうか。
何が出来るかわからないが、何かをしないといけない。こんなままロシアワールドカップを迎えてはいけない気がする。
かつては、日本代表を心の底から本気で応援する人たちで溢れていたと聞く。日本代表サポーターの先駆けである。彼ら・彼女らは、世界中を訪れ、未熟であった日本代表のために大声を出して応援し、勝利に涙を流し、敗北にも同じように涙を流した。
人によっては2002年の日韓W杯がピークだったと言うし、2006年のドイツW杯だったという人もいる。いずれにせよ、既にピークは過ぎてしまったらしい。アウェーの地まで応援に訪れる日本人は激減してしまったのだそうだ。
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日本代表を追ってブラジルに行ったときに感じたことがある。
「日本とは何だろうか。」
当たり前のように浸かっていた日本という空気であるが、いざ海外に出てみると、それが何なのかと考えざるを得なかった。海外といっても普通の海外ではなく、ぼくは日の丸を背負って日本代表を応援していて、世界中の人も、それぞれの代表を応援するためにブラジルに訪れていたのだ。
一方で、ぼくは日本中のJリーグクラブとそれに準じるクラブのホームタウンを回る活動をしている。数えてみると現在17都道府県の28クラブを回っている。三分の一から半分くらいは訪れただろうか。
どの街にいっても、それぞれの顔があって、その地域独特の味が感じられる。そこで見えてきたテーマもこれである。
「日本とは何だろうか。」
日本代表を見ることは、「日本」という一つの大きな絵を見ることである。一方で、それぞれの街を見ていくのは、「日本」という巨大なパズル絵の、“一つ一つのピース”を見ていくようなものだ。
ぼくは、巨視的な方法と、微視的な方法、その両面から「日本」というテーマに接近しようとしていたらしい。
このご時世に「日本とは何か」と言うのは、古くさく思えるかもしれない。古くは夏目漱石が散々にやってきたものだし、これまで多くの論客によって議論されてきたものだ。
しかし、今は時代が違う。今だからこそ、改めて「日本」に向き合うことが大切だとぼくは思っている。
少し前、グローバリゼーションという言葉がもてはやされた。世界が融和し、平和になるだろう。国家という枠組みは次第に薄れていき、消滅していくだろうという期待が込められていたように思う。
しかし、国境という一つの区切りが、薄ぼんやりしていくことは決して平和の兆候ではないのだ。薄くなった境界線を改めて引き直そうという反動力が働くのである。すなわち、それが戦争である。
世界最強の平和ボケ国家である日本は、「戦後」という言葉を好み、戦争が二度と行われないものだという前提で議論することが多い。しかし、戦争は今も世界中で行われているし、我々が安穏に一日を過ごしている間に、世界の何処かで誰かが銃弾や爆撃で命を奪われている。
1990年前後に、ドイツのベルリンの壁が破壊され、ソビエト連邦も崩壊した。冷戦が終結し、ようやく世界は平和になったかのように思えた。
2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターにハイジャックされた旅客機が衝突し、多くの人命が奪われた。あの日から、少しずつではあるが、確実に世界はきな臭くなっていった。今、世界はギシギシと音を立てて歪んでいる。いつ、どんなきっかけで、第三次世界大戦が始まるかわかったものではない。
そんな時代である。日本は戦争をしたくない。それは当たり前だ。しかし、世界では戦争が起こっているのだ。世界は平和ではない。我々の日本代表をみても、混乱が続くアフガニスタンと、爆弾が降り注ぐシリアでの試合は難しく、中立地のイランとオマーンでの開催となった。
イランというと、日本代表にとっては凶悪なまでにアウェーを感じさせられる国なのだそうだ。日本代表は殺伐としたスタジアムで、勝利を目指して戦うことになる。一方で、イラン人は親日家が多いらしい。あのアメリカと正面から戦い抜き、核爆弾を落とされて多くの犠牲者を出したにも関わらず、凄まじい速度で復興した日本を称賛する気持ちがあるのだそうだ。
行ってみないとわからないことがある。そして、サッカーを通じてしか見えてこないこともある。サッカーという共通言語があると、不思議なことに世界中の人と簡単に親しくなれる。
ぼくは、こんなキナ臭い時代だからこそ「日本」についてもう一度考えてみたい。夏目漱石の時代にも、ルースベネディクトの時代にも、サッカーは全地球的な広がりは見せていなかった。サッカーを通じて、世界を、日本を見ることで、いくら勉強していてもわからない「世界の本当の姿」が見えてくるような気がするのだ。
時々、自分がどこへ向かっているのかよくわからなくなる。水産学の研究者になるつもりだったのに、今はサッカーを通じて日本は何かと考えている。そして、日本中、世界中を旅することを夢見たり、赤羽で朝9時から酒を飲むことになったり、ガンダムのコスプレを愛好するおじさんに弟子入りすることになったりしてしまった。
一体どうなるのか。わからない。一時は深く思い悩んだ。しかし、今や自分の中で確固たる信念が出来た。日本国内についても、日本代表についても、である。
日本代表については、簡単だ。今乗った電車に乗り続けるだけだ。
目的地はロシア。次に降りる駅はシンガポールで、その次はカンボジアだ。全ての駅で下車するには予算が足りないが、なるだけ多くの駅で降りて、その国の空気を自分の心で感じてみたい。
ぼくは、サッカーを通じて、日本や世界を感じていきたい。今はそれしか考えられないし、それ以外の生き方は存在しないような気すらしている。全ては心の赴くままに。
ぼくの乗った電車は誰でも乗れるし、一駅乗るだけでも、時に人生観を変えるような濃厚な経験が出来ることは間違いない。これは、断言したい。
そして、ぼくが一人で旅をするだけでは、本当に大切なものは手に入らない。なるだけ多くの仲間に参加して欲しい。サッカーを通じて、日本や世界を見て欲しい。多くの人が、同じ光景を見た時、何かが変わるような気がしている。
お金がある人は大手のツアーにすればいいし、ぼくのようにサポーターが個人営業に近い形でやっているツアーを探すのもいい。旅が得意な人は個人手配で行くのもいい。
前回のブラジルは旅の準備をするために多大なる労力が必要となったこともあって、今回は観戦ツアーに参加することになった。
※ぼくが参加するツアーは、こちら。代表の応援を長年し続けているウルトラスニッポンのメンバが運営している。比較的安く、サッカー観戦に特化していることが特徴とのこと。11月11日から18日まで滞在予定。
今回の滞在記も、どういった形になるかはわからないが、後で文章として残したいと思っている。日本代表と共に世界を訪れ、その時のことを書き記す。それをロシアまで、あるいはカタールまで、さらにはその先まで続けていきたい。
そして、シンガポール&カンボジアに行く前に、ブラジル本は何とかしないと……!!
日本代表と共に、アウェーに行こうぜ!!
そして……
ロシアに行こうぜ!!
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