夏の暑さを振り返る時、いつも猫のことを思い出す。
文学は暑い地域には生まれない。
という格言があるかどうかは知らないが、傾向としてはあるような気がする。暑い時に、文章など書いていられないというのは実感を持って言える。
文章を書くには、じっくり「思考」することと、思考した内容を「自己編集」すること、そして「表現」することまでが求められる。
思考なき文章はただの感想文、あるいは愚痴である。自己編集なき文章は、垂れ流しになってしまう。そして、表現ではない文章には魅力がない。
表現ではない文章というのは、契約書とか規約とか法律の条文などを想起してもらえばわかりやすいだろう。
といっても問題は「表現」ではない。暑い時に文章が書けない最大の理由は「思考」という最初のステップで躓いてしまうからだ。
だって、毎年体調崩すんだもん……
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文章書こうと思って集中すると、数時間意識を失うように没頭してしまうことが多々ある。それは、非常に良いことのように思えるのだが、夏の場合は非常に危険な兆候でもある。
夏場に集中できているということは、冷房が効いているということである。そして、冷房下で、意識を失うほど集中してしまった場合には、「冷房病」になってしまう。
これが例年のパターンだ。
昨年はどうやら猛暑であったようなのだが、やはり体調を崩してこんなブログ記事を書いている。夏の体調不良と対処法【冷房病】
2013年の夏はフリーライター業も非常に忙しく、1日に3万字も文章を書いていた。その割りには全然収入にならなかったが。大学院を出てすぐのぼくは、報酬や条件を交渉するという「習慣」を致命的に欠いていたのだ。
ともかく、猛暑なので冷房を入れざるを得ず、その中で延々と書き物をしていたため冷房病になった。
そして体調不良で、ちょっと歩けば意識を失いそうになるような酷い状況になった中でいくつかバスケットボール関係の記事を書いた。これら、それなりに出来が良かったらしい。出世作と言えるのかもしれない。
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しかし、あれを書いたのがもし冬だったら幾分か良い記事になっていたことは間違いない。断言できる。
こんなに消耗しながらフリライターをやっていては、いつまでたっても自分が書きたいものが書けない。書きたいものを書く、魂を込めて書く、突き抜ければ必ずどこかに通じるはずだ。
そう強く誓った時、運命の国立競技場が1ヶ月前にまで迫っていた。
ところで、夏に体調が悪化するようになったのはいつからだっただろうか。
2012年。大学院博士課程2年。
夏場は、三崎口にある研究所に延々と泊まり込みで実験。といっても、夏場は水温が高くて生物がガンガン死んでいくし、研修量の中は虫だらけだし、冷房病になるしで最悪の状況だった。
虫の話を詳しくすると嫌がる人もいると思うので書かないが……みんなが嫌いな例のアレなんかどうでもよくなるくらい虫だらけだった。
8月の初頭にあった8日間の研究調査船への乗船もなかなか酷かった。船内は寒く冷房病。わっち(シフト)が午前0~6時のような形だったので、昼夜逆転。完全に食物を受け付けなくなった。
写真は深海に入れた網にかかったチョウチンアンコウ。しばらく生きていた。かなりのレアもの。
この写真は、ホウライエソの仲間と思われる魚類。やたらといっぱい取れる。
2011年。博士課程1年
震災で研究施設がほとんど使えなくなってしまったこともあるし、修士課程で燃え尽きてしまったこともあって、あんまり記憶がない。サッカーを真面目にプレーし始めるのはこの頃から。
この年も夏場は船に乗って体調が最低レベルまで落ち込む。この世で最も健康に悪いのは研究調査船に乗ること。ブラジルが全然辛くなかったのは、この時の経験があったからだろう。
地面があるほど幸福なことはないのだ。
2010年。修士課程2年。
宮城県塩竃にある研究所に一夏缶詰になって研究をする。その割りに、その実験結果は何の役にも立たなかった。小さな報告書にはなったかもしれないが、ありとあらゆる意味で徒労であった。
この年は猛暑で、宮城県であっても30度以上になっていた。地元の人がいうには、こんなに暑かったことはないのだそうだ。宿泊していた研究所内の建物には冷房がなかった。
実験は深夜に行われ、午前8時に就寝するが、気が狂ったような暑さで起きる。目が覚めると目の前は虫だらけ。寝覚めと共にクビキリギスが目に入った時は、思わず叫んだ。
冷房が効いている部屋もあるにはあったのだが、研究機材が置いてあるので、一晩中不気味なうなり音をあげていてとても眠れたものではなかった。
「ウーーーー ウィン ガンガンガンガンガン ピシピシピシピシ…… ウーーーー……」
文字通り地獄。
夜は実験で眠れず、昼も暑くて眠れない。しかも休みがない。塩竃の表通りにあるラブホテルに1人で入って、クーラーを浴びながら眠れたらどれだけ幸せだったのだろうと毎日のように考えていたのだが、予算が足りずに断念した。
夜の実験は待機時間も長く、1人でやっていたこともあり非常に暇であった。かといって寝入ってしまうと実験失敗になってしまう。眠らないように耐えるのが至難の業で、仕方がなくバスケのハンドリング練習をすることも多かった。
深夜にダムダムと音をさせて迷惑だと思うだろうか? 半径500 mくらいにはほとんど人が住んでいない場所だったので何も問題がなかったのだ。
そういえばこの頃はまだギリギリバスケットボールもプレー出来たなと思いつつ、ダムダム、ダムダムと深夜にボールを突いていた。
何日かすると、ぼくは1人ではなくなった。ボールの音に興味を持った生き物がいたのだ。
ネコである。
仮に「宮城君」と名付けた子猫は、生後1ヶ月ほどであったのだろうか。ぼくがドリブルしているのをじーっと見ていた。そして、時折コオロギの類いを見つけると捕まえて食べていた。
3日、4日と深夜のデートが続いた。疲れ切って空っぽだったぼくの心は、完全に捕まえられてしまった。野生の猫を飼うには覚悟がいる。こやつに幸せな人生を与えないといけないのだ。
出ては来ないが親もどこかにいるのだろう。この子を連れて帰ったらとても心配するはずだ。しかし、親元にいるのがベストかどうかはわからない。何故なら、野良猫の寿命は非常に短いからだ。
何日も悩んだが、ぼくはこやつを捕まえて飼うことにした。猫マニアの友人に電話し、入念にトラップを組んだ。
そして、車で東京に1度猫を連れて行き(4,5時間かかる)、そのままとんぼ返りで戻って(4,5時間かかる)、また徹夜の実験を行った。福島あたりのインターで食べる「玉こんにゃく」だけが正義だった。
「玉こんにゃく」は非常に安価で、財政状況が厳しいぼくにも何とか手が届いたのだ。結構食べ応えあるのに100円だった(当時)。牛タン串なんて500円くらいするのに!
そんな縁もあってか、猫の名前は「玉藻」になりました。
最初はこんなに小さくて、我が家のアイドルだった。
今では立派な「駄猫」になって、飼い主と同様に夏はグテーンとなり、知的創作活動を拒否している。
最も、この猫は冬もグテーンとしている。幸せそうで良かったね。
夏は暑くてきついけど、良い出会いが多い季節でもある。夏の暑さから逃げればいいというものではない。辛さを味わうことも、きっと何かの足しにはなっているのだろう。
とはいえ、もう十分にわかったことがある。それは、8月は書き物が出来ないということだ。来年からは8月は「アウトプットをしない」という前提でスケジュールを組もうと思う。
読書の効率は悪くないので、読書の夏、執筆の秋としたい。冬と春はどうしようかな。
というわけで、だいぶ涼しくなってきたので、執筆生活が再会できそうな見通しです。
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