2013年は、飛躍のための力を蓄えた年だった。


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今年は人生の転機と言える年だった。簡単にではあるが振り返ってみたい。

2012年は、研究生活を続けているも、心身ともにバランスを崩しており、ここぞという時のふんばりが利かなかった。それでも、研究者になるという目標のために何とか奮起するのだが、どうしても途中で挫けてしまうことを繰り返した。


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鬱々とする日常を打破するために、タスマニア島で行われた国際学会で発表するなど研究上のハイライトもあったが、もはや新しい成果を出せるだけのバイタリティが自分の中にはなかった。環境を変えるのがベストだったのだろうけど、31になると弱気になるもので簡単に環境を変える選択はできなかった。

また、30歳になってから体調不良に悩まされるようになった。特に酷かったのが逆流性胃腸炎で、何を食べても地獄ような気分になった。良いこともあったが、裏には将来に対する不安が常にあった。

研究者は全くもって自由な職種じゃない。何をするにも上の許可がいるし、研究のための資金は文部科学省などの省庁から取ってこなければいけない。すなわち、間接的であっても省庁の意向にかなり縛られるということを意味していた。いやだいやだ。

いやだけど、どうしたらいいのか。本当に何もわからない。「行くあてはないけど、ここにはいたくない」(小さな恋のメロディ ブランキージェットシティより)という状態だった。

この歌は、次のようなフレーズに続いていく。

「幸せになるのさ。誰も知らない 知らないやり方で。」

1月 第一子誕生

転機になったのが、子供が生まれたこと。当時は収入が細く、というよりも奨学金という名の学生ローンによって借金ばかりが溜まっていく不安定際まわりない状況であった。そのせいで現在も借金ン百万円という、思い出すだけで鬱々としてくる状況が今も続く。

「ナニワ金融道」の帝國金融に融資されるのも、大学院に行くのも変わらないなと思う次第だ。

だからこそ、堅実な就職を選ぶべきなんだろうと思うし、ぼくの場合には大学院での研究をより高い精度で、行なって研究職になれるように努力するべきだったんだろう。少なくとも周囲にいる人は全員そういうアドバイスをしてくれた。

でも、そんな自由のない生活はしたくなかったらしい。

そして、強く思ったのが、このままで子供の前で胸を張れる父親でいられるだろうかということ。研究生活では人間関係がかなりキツくて、ぼくはヘロへロに磨り減っていたのだけど、そんなままで尊敬される父親になれるだろうか。

そもそも、ぼくにはビジョンがなかった。夢がなかった。研究職になったって、誰かのお使いのような研究をこなすだけのくだらない研究者になるのが限界だっただろう。研究には夢を見ていなかったのだ。

夢だ。夢を追うのだ。胸を晴れるように、魅力的に生きられるように。その先に幸せを見つけるべきなのだ。

いつか別の機会に語りたいが、ぼくがサッカーという競技に興味を持った切っ掛けは、「夢」を恥ずかしげもなく語る、本田や長友のような選手を知ったからだ。世界一の選手になる、ワールドカップで優勝する!! いいじゃないか、かっこいいじゃないか!!!

馬鹿にする人もいるかもしれないが、そんなことは関係ないのだ。

そう考えて、夢を追い続け今も走り続ける長友選手から、漢字を一つ頂戴して我が子に託した。

ぼくは、物書きになる。文章で生きていく!! 作家になることが自分の夢なのだ!!!

ぼくの挑戦が始まった。

2月 カウンセラーの元へ行き、研究の道を断念

とはいえ、夢に向かって頑張るなんて途方も無いことだ。相談した人には「甘いことを言うな」とか「おまえの書いたものなど読みたい人はいない。少なくとも俺は読みたくない」などというアドバイスをされることが多かった。

自分でもわかっていた。文章で生きていくなんてことは不可能に近いことだ。家族も子供もいるのにそんな曖昧なことをする人間はどこか歯車が外れているのかもしれない。

かといって、研究業界に残るのはどうしても嫌だった。毎日怒られないかとビクビクしていたし、悪い夢を毎日のように見た。目覚めた時には、心底うんざりしている日もよくあった。

辞めようとは思ったが、辞めて一体どうなるんだという気持ちも強く不安が募り、ついに精神的に崩壊寸前になった。

そこで、大学の学生相談室にあるカウンセラーの元に赴いた。ここを紹介して予約してくれたのは、上記のバッドアドバイスをしてくれた方だから、人生はなかなか面白い。

アドバイスがバッドなのかグッドなのかというのは、実に紙一重であって、受け取る人と受け取る状況によるのだ。

カウンセラーさんは流石にプロで実に話しやすかった。「聞いている限りでは鬱病ではないし、精神科に行く必要もないと思う。」と言われてほっとした。そこで、研究生活への不満をすべて話した。

そこで聞いた衝撃的な事実は、「みんなそうなんだよね」ということと「カウンセラーの元に新規に訪れる学生は、1日2人くらいはいる」ということ。

ということは月単位でいうと、40~50人の学生が、各々の事情があるとは思うが、カウンセラーのもとで悩みをうちあけているらしい。

大学院は駄目だ。この組織は駄目だ。ここにいては駄目だ。数字を聞いて素直にそう思えた。

そして、不満をすべて聞いてもらった後に、ぼくの口から出たのは夢の話だった。ぼくは文筆業がしたい。書くことで勝負したい。何の実績もないけど、それが子供の頃からの夢なんだ。

3月 フリーランスライター中村慎太郎

3月にもカウンセラーの元を訪れた。前回から約2週間だった。そのあいだに、フリーランスライターとしての自分を成立させた。小さいながらも翻訳の仕事をいくつか受注した。研究で培った能力を生かして、医療系の論文を一般向けにわかりやすく解説する仕事も見つけてきた。

プロ仕様のブログ「はとのす」のオープンのための準備も整えていた。その時に読んだ本がこれ。

イケダハヤトさんのことを悪く言う人も多いようだけど、この本に書いてある内容は非常に良いものだった。ぼくも自由に生きてやる!!!

4月 プロ仕様のブログ“はとのす”誕生!

そして、研究世界に分かれを告げた。決して幸福な別れ方ではないが、「納得していないのに握手をするな」だった。これはfootballista編集長の木村さんの言葉で、自分に強い影響を与えた。

納得していないのに、「みなさんのおかげです」と挨拶して回るのはウソになってしまう。ウソならやらないほうがいい。

というわけで、自宅のデスクに向かって記事を作る日々が始まった。

5月 阿部理選手の講演会&クリニックを主催!

そして、5月にはビッグプロジェクトが待っていた。バスケットボール元日本代表選手の阿部理選手の講演会とクリニックをプロデュースすることになったのだ。フリーになって最初の大きい仕事だった。

阿部選手は40歳を過ぎても、世界最高峰のバスケットボールリーグであるNBAに挑戦し続けている超人であり、言いようによっては奇人かもしれない。やはり阿部さんの挑戦を最初にみると、「奇人」というアングルが最初に出てくる。

しかし、じっくり話してみると、そうではないことがわかる。40歳を超えてNBA選手になることはほとんど不可能であるという前提の上で、自分に出来ることをコツコツ積み重ねていた。

何故頑張れるのかと聞くと、それが夢だからという答えが返ってくる。阿部さんには夢に挑戦する姿勢を身を持って示して頂いた。ぼくも夢を恥じることをやめた。

それまでは、フリーランスライターであり、堅実に翻訳などの記事を作って生計を立てている自分であろうとした。そのために努力もしていた。

しかし、阿部さんに出会ってからはやめた。ぼくは作家になる。自分の本を書く。それが夢だから、そのために全力を尽くす。

恥ずかしがっていたらいつまでも叶わない。「夢は恥ではない」という言葉をブログの表題に掲げたのはこの時からだった。

6月 宮古島で10日間過ごす!

フリーランスになって初めての長期休暇だった。大学院時代はほとんど休みが取れなかった。どういう理屈なのかはわからないが、休んでいると上から文句を言われるのでまとまった休みは取りづらかった。お金もなかったから旅行にもいけなかった。

フリーランスとして自分で稼ぐようになって少ないながらもお金が溜まったので、家族で旅行に行った。そこで珍しい鳥をみつけたり、鳥を探したり、鳥の鳴き声を聞いたりしながら幸せに時間を過ごした。

この時、ライター業務を宮古島に持ち込んでいたのだが、途中でバカらしくなってしまった。ぼくが受注していたライター業務は非常に単価が安いものが多くて、時給にすると500円を切ることもあった。

最初は、単価の高い仕事をしていたのだが、どうも会社自体がうまくいかなくなってしまったらしい。最終的には800字で70円という驚異的な安さの仕事が回ってきた。

こんなものを書いていても永久に作家にはなれない。大口の受注先ではあったが、将来性があまりにも低いのでそこから仕事を受けるのはやめた。

7月 体調不良に悩む

毎年のことではあるのだが、夏は体調を崩した。冷房病と不眠に加えて、夏風邪を引いた。暑いが寒いという非常に嫌な状態が続く。

8月 体調不良が続く

8月も全く体調が戻らなかった。地獄のような気分だったが、思えば昨年も同じ症状になった。その時は、研究生活に対するイライラもあったのでさらにきつかった。それに比べれば現状はマシだった。

しかし、8月はどうしても体調が戻らず、不調のまま終えた。

9月 養命酒で復活し、ライター業を辞める

結局ぼくの症状を和らげてくれたのは薬用養命酒だった。こんなもので治るとは……不眠や冷えに悩んでいる人にはとてもお勧め。

体調が治ったあと、受注していたライター業務をすべて辞めることにした。あまりに細かい仕事が多かったし、無記名で書いているからライターとしてのやりがいもなかった。

ましてや作家になって本を出すことだって出来そうにない。

自分のための執筆とライター業をうまく住み分けさせればいいのかもしれないが、仕事で書き物をした後に、違う書き物をするというのはなかなか難しい。

自分の感じたこと書く。書きたいことを書く。まずはそこを突き詰めよう。そう考えた。そうすれば、文章のクオリティも上げることができる。文章は時間をかければかけるほど良くなる。

納得がいくまで文章を書いてみよう。そうすれば必ず道は開けるはずだ。自分の力を信じて、挑戦してみよう。

収入はほとんどなくなるが、自分を信じて全力を尽くせば……結果がついてこなかったとしても、今とは違う地点にいけるはずだ。やってみよう。

「センスは10年」 風立ちぬに込められた真のメッセージ

その時に書いた文章がこれ。さらにそれを受けて、こんなのを書いた。

100 M走でオールアウトするような生き方=書き方

そして、宇都宮さんと海賊の清水英斗さんの講演イベントに出席した(宇都宮徹壱さんと清水英斗さんのお話を聴いてきた@『フットボール百景×観戦力』)。

自分は文章とはどう向き合うのか。センスは10年、その期間の中で何ができるのか。自分と、自分の文章と向き合う時間が続いた。

10月 Jリーグ初観戦

そして運命の10月5日に、Jリーグを初観戦した。今思い出してもつまらない試合だった。試合を楽しめたとはいえなかったが、何か心にモヤモヤするものがあった。

これを言葉にしてみよう。それから10日間かけて書いた記事が、例の初観戦記だった。心を込めて大切に書いた記事は、多くの人に伝わった。不思議な気分だった。昨日までは、ほとんど注目を浴びていなかった「はとのす」が一夜のうちに輝きを放つようになっていた。

とんでもない量の反響だった。そして、その殆どがポジティブなものだった。各種のリアクションを3000件以上読んだが、そのうちややネガティブなものは20件以下だったように思うし、本気でディスリスペクトしているコメントは知る限りでは0だった。

そして、ぼくはJリーグとJリーグ各チームのサポーターのことが大好きになった。その上で感じたのが、「Jリーグファンは寂しかったし、悲しかったのではないか。」ということ(Jリーグ初観戦記のこぼれ話)。

野暮でダサいリーグとして一般の人には全然関心を持たれていないリーグ、こんなにも愛しているのに、人生を賭けて愛しているのに、どうしてみんな興味を持ってくれないんだろう?

そういう思いがあるようだった。

11月 苦しみながらもJリーグの記事を書き続ける

サポーターの皆様からの気持ちをうけて、ぼくもJリーグに俄然興味が出ていた。そして、それからはJリーグ漬けの毎日が始まった。せっかくWOWOWと契約しているのにリーガの試合を観る暇もなくなった。

Jリーグ、Jリーグ、Jリーグ!!!

仕事にもなっていないのに、これだけJリーグのことばかりを考え続けたのはぼくくらいではないだろうか。

……いや、実はそんなことはない。サポーターの皆さんは、ぼく以上に考え続けていただろう。ぼくの熱量なんてまだ全然足りない。サポーターという人々は常にチームのことばかりを考え続けているのだ。

熱量が足りない。もっと熱量を!!! もっとJリーグの面白いところを見せて欲しい。悪いところがあるならそこも見たい。ぼくなら改善案を示せるはずだと勝手な使命感も持った。

Jリーグに対する熱い気持ちは確かに伝わった。それを受けて、後は走るだけなのだ。

……とはいえ、Jリーグのことを書くのは辛くもあった。注目された状態で「知らないことを書く」というのは、目隠しをして綱渡りをしているようなものだ。怖すぎる。

しかし、やりきったと思う。2ヶ月で15回、スタジアムへと趣き、その場の空気をスケッチしてきた。結果的には、客席から見続けていたことが良かったのだろう。プロのライターとは違う視点を持った物書きが出来上がった。

12月 Jリーグを盛り上げるための本を出してやる!

そして12月。

ブログでの活動に限界を覚え始めた。ブログに書いても流れて消えてしまうのだ。いくらインパクトがあっても、それは新幹線から綺麗な景色が見えたようなものだ。新大阪で降りるときにはもう忘れている。

Jリーグが面白いリーグであることを表現するためには、ぼくが見てきたものを、ひとつの塊にまとめるべきだ。

その先に夢もできた。Jリーグを世界一盛り上がっているリーグにして、それどころか世界最強のリーグにする。ACLだろうが、CWCだろうが、日本のチームが最強の座につくのだ。

そうするためには、Jリーグの火を消してはいけない。

Jリーグのサポーター達は胸を張っていい。あなたたちが支えてきたものは本当に素晴らしい。日本が世界に誇れるものだと思う。ただし、不足点はある。爆発力がない。一般の人に対する影響力が低い。それは、誰もが知る通り最大の弱点の一つだ。

そこでぼくは仕事がしたい。
Jリーグの熱を世間に伝えるような仕事がしたい。ぼくなら絶対にできると思う。

仕事にするのは不純なような気もするのだが、仕事として取り組まないととてもじゃないと労力が割けない。

ともかく、自分のデビュー作として、情熱を込めてJリーグの本を出したい。まだ企画書も作っていないし、出版社との交渉もまだなんだけど、きっと面白い本に出来ると思う。だって、Jリーグは本当に面白いリーグなんだから、Jリーグについて書いた本も必ず面白い。

とりあえず、声をかけてくれた出版社さんはあるので、良い本が書けるように交渉したいと思う。

ぼくの人生を賭けて、作家としての未来を賭けて、Jリーグの本を書く。売れなくてもいいと言いたいところだが、それじゃ駄目だ。出版社さんに迷惑をかけてしまう。

必ず売れる本を書く。面白い本を書く。Jリーグのためになる本を書く。今、Jリーグに興味のない人も、スタジアムに駆けつけずにはいられなくなるような本を書く。

伝えたいことがたくさんある。気持ちを紡ぐのはとてもむずかしいことだが、全身全霊でやり遂げたい。

来年は勝負の年だ。


絶対に勝つ!!!!

フィールドに立った以上、必ずシュートを決める!! それだけだ。


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