ガス欠になりながら文才について簡単に記述する【ブ・ログ24時間耐久⑥】


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14時10分。
流石に少し疲れてきたようだ。だがしかし、0時までと考えてもまだ8時間近く時間はある。更新を続けよう。今日はこれだけやっていればいいのだ。書くだけでいいというのは気楽で楽しいことだ。

あまり読まれていないというのも気持ちが良いことだ。原稿を出すメディアが大きくなればなるほど、やはりストレス値も高くなる。

プロサッカー選手が時折草サッカーでリラックスするように、物書きも時折こういうやってのんびりと過ごすべきなのだろう。

さて、何の話をしようか。
書くべきテーマを決めずに始める方が、ゆったりとリラックスして書けるものなのだ。しかし、リラックスしようと白ワインを一杯飲んだら、フワフワと気持ちよくなってきてしまった。

さて、今回は何の話をしようか。
考えるのだが、少し息切れして休まないと続きが書けそうにない。10年前ならこのくらいで疲れることはなかったのだが……。

しかし、このくらいが生産できるギリギリといえるかもしれない。逆に1万字くらいを書き切ったら、その日の仕事は一段落させるほうが効率はいいのだろう。ここから粘っても辛いだけだろうから。

Jリーグのことを書いたり、ブログなどのメディアについて書いたりしたのだが、どうしても先が続かない。息切れである。

無理をしてもしょうがない。朝も早かったし、少し休んでから復活しよう。

とはいえ、この記事に何も内容がないのは、よろしくないから、文才について書こうと思う。

文才とは何か。
それは「量を書く」ことである。

短くて良い文章を書く能力もある意味では「文才」といえるのだが、もしかしたら「詩才」というほうが適切なのかもしれない。

文章を紡いでいくには、多量の文章をはき出せるだけの人間の器がないといけない。器がなくても吐き出し続ける人も世の中にはいるし、大別するとぼくもそういった類いの人間になるだろうと思う。

それはさておき、量をはき出せないことには、本を書くことも出来ないし、記事を作ることも出来ない。多弁である、多量にはき出せるというのも1つの才能なのだ。

とはいっても、何の面白みもない文章だけを吐き出してしまう人もいるかもしれない。そういう可能性はある。けど、そういう人はあまりみたことがない。人間が、心から吐き出した言葉であれば、必ず何かしらの面白みがある。

そして、心からひねり出してきたものではないと人の心を動かすことは出来ないのだ。

エネルギーが切れてきたのでここで一旦止めよう。
時間が掛かった割りには何も出てこなかった。こういう自分の癖を知るという意味でも、この「ブ・ログ」という競技は重要だと感じている。

ブ・ログ24時間耐久2016
執筆時間60分。累計274分。
1110字。累計17632字 。


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