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不倫と朝のお仕事について【ブ・ログ24時間耐久③】

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午前7時5分。3つめの投稿。
朝5時に起きてからBlog記事を書きたくってきた。
しかし、そろそろ中断しなければならない。

7時半過ぎには朝食とお弁当を作り、子どもを着替えさせて保育園に送らなければならない。
その前にもう1件だけ投稿しようと思う。

朝1でお弁当を作るのは、正直言ってかなりの苦行だ。
のんびりと目が覚めるまで待てたらどれだけ幸せだろうか。
寒い中、身体に鞭を打って起き上がって、メニューを考えないといけない。

もちろん、前日のうちに献立や下ごしらえをしておくこともあるし、その場合には作業量としても、精神的な負担としても非常に楽だ。しかし、洗い物すら終わっていないこともある。その場合は消耗戦になる。

弁当を作るのは大変なのだが、簡単でもある。半分はご飯を詰めればいい。後は、タンパク質と野菜類を入れるだけだ。後は捕食として持って行くおにぎりを2つ作る。ご飯を炊き忘れていなければ簡単なことである。

最悪の場合にはレトルト食品を詰め込めばいいので楽なのだ。
しかしながら、その簡単な作業ですらも寝起きの頭にはつらい。

それでもまだ、子どもが起きてくるまでは自分のペースでこなすことが出来る。しかし、起きてきた後は……。

子どもを着替えさせることと、朝食を作ることを両立させられる器用さがないのだ。ああ、昨日もナスを焦がしてしまった。


今日は何を作ろうか。
冷蔵庫を開けるまで、何も思いつかない。こういうのがいけないんだろうな。

7時半からご飯の準備をして、諸々すべてが終わるのが9時前である。そして、子どもを車に詰め込んで送っていき、帰ってくるのが10時頃。朝の貴重な時間が2時間半も吹っ飛び、疲労が残るのである。

もうちょっとうまくこなせたらいいのだが、毎日コンスタントに出来るようなタイプではなく、試合によって大活躍したり、まったく消えていたりするようなムラのあるタイプなのである。それでもほぼ毎日作っているわけだし、子どもはしっかりと大きくなってきたから、自分を褒めてあげないといけない。

昨晩は新しい遊び方を開発した。
パパを布団から落とすゲーム。
布団の上に座っているパパを、タックルして押し出すゲームなのである。

なかなか身体の力が強くなってきたので、不安定な姿勢で押されると、抗えずに落とされることもある。パパに勝つのがたまらなく嬉しいらしく、昨日は10回くらい遊んだ。

遊んで満足したのか、あるいはお化けが出る時間になったからなのか、自分からお片付けをして眠りに就こうとしていた。

パパはいることが大切だ。ぼくは、あまり優秀な家庭人ではない。安定して家事は出来ないし、とりわけ洗濯物の取り扱いがあまり上手ではない。でも、いるということによって、子どもの情緒は安定していくことは強く実感している。

何かをするわけではなくても、いるだけでいいのだ。関わるだけでいいのだ。

子どもと妻を2人にすると喧嘩してしまうこともある。しかし、そんな時も、パパがいるだけで収まることがある。逆のパターンもある。子どもと接するのは、果てなき消耗戦なのである。

消耗戦という言葉は、この耐久レースの中で、他の箇所でも使った気がする。世の中消耗戦ばかりなのである。消耗戦を戦いながら、別の消耗戦をするのはなかなか難しい。ぼくには出来ない。弱音を吐きたくなる。いや、しょっちゅう吐いている。

本当に育児は大変。本当に育児は大変。脳がバラバラになってしまうから。

母に「人は、子どもを育てることによって一人前になるのよ」と言われて、そういう考え方もあるかと思った。しかし、一人前になる頃には人生の大変が終わってしまう。

人生というのは、半人前の状態で向き合うべきものらしい。

子どもがいることが幸せでしょうがない。
これほど可愛い存在はない。
しかし、同時に、家庭も子どももいない自由で気ままな生活にも憧れる。

家庭とロマンスのアンヴィヴァレンツである。
そりゃ不倫ものの物語が流行るわけだ。

あれは現状を大きく改変することなく、アンヴィバレンツを解消するための劇なのである。

先日『紙の月』という映画を見た。宮沢りえ主演の映画である。鑑賞した動機は、宮沢りえがあまりにも綺麗だったからという以上のものはなにもない。

すごく面白かったかというとそうでもないが、意外にもテーマは深かった。旦那は金を稼いでくればいいってもんじゃないな。お金入れとけば何とかなると思っているパパがいたら、大いに反省したほうがいい。大事なのは空気を読めるかどうかと、自分を捨てられるかどうか。

ああ、そうなのよ。家庭をこなすには自分を捨てないといけない。それが辛いのよ。
ただ、ぼくには文章があるから、何とか自分を保っていられる。自己再生としての文章というのも悪くはない。

『紙の月』の感想を妻に話す。不倫をテーマにした映画について夫婦で話し合うのも変な話だが、意外にも会話が弾んだ。これは夫婦で見てこそ価値があるのかもしれない。

古来より、不倫や不義について描かれた作品は多数ある。それは、多くの人が家庭という枠組みの中で苦労してきたことの証かもしれない。今更若い独身の男女が恋愛する話を見せられても、いいからさっさと告白して付き合えよとしか思わないもんなぁ。

若い男女の恋愛物もそれはそれで悪くはないのだが、人生の深みという意味では十分なものにならない。ならないというかしづらい。

だから、不倫とか、ホモセクシュアルな恋愛物が流行るのだろう。表現しやすいからだ。

とはいえ、不倫物の映画を色々見ようという気にもならない。宮沢りえが出ていたから見ただけなのだ。


今検索してみて驚きの事実がわかった。
「不倫」という用語が使われるようになったのは最近のことらしい。

それまでは「よろめき」と言われていたのだそうだ。

「おいおい、大丈夫か。仕事ばかりしていると、よろめかれちゃうよ。せっかく美人の奥さんがいるのに」

とか

「ああ……。私はあなたとよろめくつもりなんかなかったのに……。もう離れられないわ……。」

というような表現になるのだろう。新鮮な語感だが、めまいで倒れそうになっているようにしか思えないという欠点もあるので、不倫という言葉が定着したのだろう。

性愛とは背徳感である。
西洋では、肉欲をむさぼることを禁じる神に対する挑戦として、性愛は意義を深める。
日本では、人には見せられない恥をむさぼるという意味合いで、性愛を意義づける。

これはどこで読んだんだっけな。和光大学の、心理学の先生……。誰だっけ。最近手に取っていないから忘れてしまった。

思い出した。岸田秀の「ものぐさ精神分析」であった。

話が逸れた。

えっと。よろめきという言葉は、三島由紀夫の『美徳のよろめき』という作品に由来するらしい。文学的な表現である。

それに大して、1983年に『金曜日の妻たちへ』というドラマが流行ったことで、作中で使われた「不倫」という言葉が広まったのだそうだ。

[

「放送日の金曜日夜10時には、主婦が電話に出ないとまでいわれるほど大ヒットした。」

という驚きの事実が書かれていた。83年に20代、30代の奥様は、今は50代、60代ということになる。

[

「放送当時は、結婚してからは夫は仕事に妻は家庭に専念すべき、という固定観念が強く残っていたが、このドラマの主人公たちが結婚し、子供を持っても自分の生活を楽しみ友人たちと学生時代のように集い過ごす姿は、羨望とともに受け入れられた。」

ふむふむ。不倫を描いた作品は、ある種の解放の文学なんだな。

別に僕はそんな面倒なものを求めていないけど、朝方弁当を作り続ける生活と、それに伴うある種の苦痛をやわらげるための、痛み止めとしての麻薬を処方するようなものとしての不倫文学は理解できるなと思った次第だ。

現実に執り行うのとは違って、文学は、表現は自由なのである。
そして、いかなる表現に触れていようと、ぼくが朝、弁当を作らなければならないという事実については変わらない。

この前、FC東京サポの友人達と新橋で馬鍋を食べたのだが、その時にこんな話を少しだけしたのを思い出した。

ここから話を深めていくのも面白いが、ブログに載せる文章としては生々しくなってしまうので、ここで止めておこう。それに、お弁当を作る時間になってしまった。

さて、何時に執筆を再開できるか。朝から2時間程度、1万字くらいを更新することが出来た。ということは、ぼくの執筆速度は、1時間に約5000字ということになる。

10時間あれば5万字書ける。内容が酷いのがたまに傷ではあるが、自分の疾走速度を把握しておくという意味では意義がある。

ブ・ログ24時間耐久2016③ 
執筆時間 40分。累計124分。
3545字。累計9979字 。

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