反原発活動の善し悪し


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最近とあるブログを目にして、考え込んでしまった。言いたい方向性はわかるが勇み足をしている気がすると感じた。

原発を巡る問題は、既に「思想の問題」になりつつあるため書くのは躊躇したが、これだけはどうしても書いておきたいと考えて筆を執ることにした。

こうやってネット上で議論を深めて行くことは、最終的にあるべき答えに辿り着くためには重要なことだろうと思う。ぼくは、原子力発電や放射線についての専門家でも何でもないのだが、思ったことは言っていくことが大切だ。もし、間違っていれば正せばいい。


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2011年3月の恐怖

あの時のことは未だに忘れることはない。

最寄り駅のカフェで、研究プランを練っていたとき大きな地震があった。慌ててカフェを飛び出して駅前の広場にいくと続々と人が集まってきた。恐怖で泣き叫ぶ女性もいた。

家に戻る途中、何度も大きな揺れに襲われた。

自宅でテレビを見ると、大津波が東北の地を襲っていた。人や車が波に飲み込まれるシーンが放送されていた。恐ろしかった。それでも、地震と津波に耐えれば日常が戻ってくるものだと思っていた。

しかし……

福島第一原子力発電所から恐怖のニュースが流れてきた。あの時の恐ろしさは忘れることができない。原子力発電所が爆発したらどうなってしまうのか、放射能という言葉には漠然とした恐怖を感じるが、具体的に何がどうなってしまうのか。

この時点では、誰にも知識がなかった。放射線関係の技術者や研究者以外、誰も何もわからなかったと言ってもいいくらいだ。

シーベルト、ベクレル、放射性核種、セシウム137、ヨウ素131、プルトニウム、α線、β線、ベント、メルトダウン……

民放はパニック状態になり、放射線による被曝に対する恐ろしさを煽っているように個人的には感じた。

いつ、東京に死が降り注ぐかわからない。いつでも逃げられるようにしなければいけない。しかし、ガソリンがどこにも売っていない。断言できるが、あの時の東京は約1週間ほど、この世の終わりの中にあった。ぼくも心底怖かった。当たり前のようにあった日常がこんなに突然崩れてしまうことがあるのか、これは映画の中ではなくリアルなのかと。

あの時の恐ろしさは決して忘れられないし、忘れてはいけないものだ。

反原発活動の必要性

我々は唖然とした。どれだけ自分たちの生活が「わけがわからないもの」に依存していたかを知ったからだ。我々は「わけがわからない理屈で作られたエネルギー」を使って、ご飯を炊いたり、電気を付けたり、ドライヤーで髪を乾かしたりしてきたのだ。

責任を誰かに押しつけて、リスク管理も誰かにすべて任せて、その代償に電気代を払ってきた。

ある意味では、原子力発電所の問題は我々の無関心が生んだものだったと言えるかもしれない。

福島第一原発で事故が起こってしまったのは、第一には天災が原因だが、無視できない大きな要素として「危険管理の甘さ」と「初動のミス」が挙げられる。特に「危険管理の甘さ」については、言い訳のしようがないのではないだろうか。

非常用の電源を動かすバッテリーがなかったのでホームセンターに買いに行ったというような話もどこかで読んだ。

我々国民としては、こういうことが起こらないようにもっと強く監視をしておくべきだったし、常に関心を払っているべきだったのだ。

もちろん、原子力は高度に政治的な問題なので、これまでは国民が直接関われる余地は大きくなかっただろう。しかし、これからはそうではいけない。万一のことがあれば、我々の日常が完全に奪われてしまう重大事に陥るような事柄は、多少コストがかかったとしても国民の目が届くようにしておく必要がある。

そういう意味では、「反原発勢力」の存在には心強さも感じる。というのは、原子力政策や管理体制などの粗探しを全身全霊で行うからだ。もし、危機管理について甘い部分があろうものなら、猛烈な勢いで批判するだろう。

そうなると、運営側のほうも具合が悪いので、危機管理を見直すなどの方向転換が必要になる。

「反原発運動」の動機が何であれ、結果としてチェック機能が働くならば良い側面はあると思う。

反原発運動が勇み足を踏むことも

原子力発電の危険性を訴えることは悪いことではないと前段では書いた。しかし、「原発は悪」という前提ありきで、その考えを広めるためにはどんな手段を使ってもいいかというと、それは大間違いだ。

たとえ公明正大な目的があったとしても、誇張した表現は使うべきではないし、みだりに人の不安を煽るべきではない。

さて、そこで出てくるのが冒頭に書いた「とあるブログ」である。

全国のママさん達へ、残念なお知らせ。|腹は真っ黒ですが、名前は真白です。

この投稿の趣旨を取ると以下のようになる。

全国のママさんに向けて

・冒頭に『廃炉作業員臨時召集令状』(反原発団体が作ったもの?実際には存在しない。)
・原発事故収束作業にあなたのお子様も駆り出される可能性があります。
・チェルノブイリでは80万人が死亡。福島では800万人が死ぬ可能性に言及。
・東電の元幹部は全員(?)海外に移住した。
・粉ミルクからセシウムが出ていますよ。
・チェルノブイリの作業に関わった人でインタビューに答えていた人は、全員死亡。

原発が怖いのはわかるし、危険性を広めたいのはわかる。それが世の中のためになると思って善意で書いているのだろうということも伝わる。あの時、ぼくも感じたあの恐怖も、著者の方も感じたのだろうと思う。だから、頭ごなしに非難するつもりはない。

しかし、ちょっと言い過ぎているのではないかと思う。言うならば「勇み足」をしているというところだろうか。

原発に対するチェックをするためには、反原発のほうも事実に即した冷静な議論をする必要があるし、それなりの論拠が必要だ。この投稿で1番言いたいことが表れていると考えられるのは、太文字大フォント部分だが、そこを抜粋すると著者の意図が想像できる。

「あなたのお子様も駆り出される可能性があります。」
「とにかくこの事実をママ友に広めて下さい。」
「甥っ子に何かあったらマジただじゃおかねーからな!」

ママさんたちにクチコミの情報として、「我が子が殺される可能性がある」という事実(注:事実とは言えない)を広めて欲しい。こういった言論している動機は、自分の甥にも危険が及ぶ可能性を排除したいため。

ぼくも一児の父になって半年以上が経ったが気持ちはわかる。しかし、手段として選んだ内容にはとても賛同できない。

先ほど挙げたブログの趣旨に対して反論したいと思う。

・冒頭に『廃炉作業員臨時召集令状』(反原発団体が作ったもの?実際には存在しない。)

→戦争時の「赤紙」を想像させる召集令状を、それが実際には存在しないにもかかわらず、作成し冒頭に載せるのはやり過ぎだと思う。ママさんたちの不安心を煽ることを狙いすぎているように思う。

努力規定から義務規定になるとしても、実際に召集令状を出すためには別の法律が必要になるだろう。この時点で、召集令状を出してくるのは早急と言えるし、飛躍しすぎだとも言える。冒頭にこれを持ってきている以上、不安を助長するアジテーションだと批判されたとしても仕方がないのではないだろうか。

・原発事故収束作業にあなたのお子様も駆り出される可能性があります。
・チェルノブイリでは80万人が作業に従事。福島では800万人が作業することになる可能性に言及。

この方が想定しているのは、福島第一原発がどうしても収束しなかった場合に、人海戦術で命を犠牲にして作業する人が40年間で800万人出るということ。その800万人には、子ども達の世代が含まれるということ。

最初の文章の「可能性があります」という言い方は穏当だと思う。そりゃ可能性というものは常に存在するし、仮に40年間収束せず作業員が必要な事態になった場合には、子ども達の世代が作業に当たる「可能性」はゼロにはならない。

ただし「駆り出される」という言い方には「強制徴集」というニュアンスが含まれているのでこれは言い過ぎだと思う。そこまで言わずとも、福島第一原発の事故をさっさと収束させないといけないということは、いかなるイデオロギーを持つ人でも(アンチジャパンは別として)共通して持っているテーマのはずだ。

過剰な表現をしないでも理解は得られるだろうと思う。

後ろのチェルノブイリで80万人、福島では800万人というのはどうだろうか。ぼくは具体的な数値についてはわからないのだが、一点だけ見過ごせないところがある。

チェリノブイリのリクビーダートル(廃炉作業員)が80万人いたとして、その全員が死んでいるかのように誤読できるような内容になっている。
というのも、後半にこういう記述が出てくるから。

以下引用
「これはチェルノのリクビーダートル達の末路を追いかけた、ドキュメンタリーです。

十数年にわたって追いかけるこの番組内で、徐々に一人一人、インタビューに答えてる作業員達が亡くなっていきます。

最後には全員、亡くなりました。

10年ほどかけて少しずつ体の色んな機能が麻痺していき、最後は肉体が生きがらに崩壊し、肉は削げ、骨もあらわになって、苦しんでもがきながら死んでいく、作業員達。」

ここで書いているのは、番組では「死が確定するほど病状が悪い作業員」にインタビューをして、その人達が不幸なことに全員亡くなったということ。しかし、80万人の作業員が全員死んだと誤読する人も多いのではないだろうか。かくいうぼくも、最初はそう読んでしまった。

ここに悪意はないと信じたいが、書き方が相当紛らわしい。日本でも800万人が作業に招集され、その全員が死ぬかのような印象を受ける。世の中のママさんたちの中に、これを誤読して、過剰に恐怖を感じるようなことがあるならば、結果としてこの投稿はアジテーションとして機能してしまっているという批判を受けても仕方がないと思う。

・東電の元幹部は全員(?)海外に移住した。

これは、子ども達の代わりに、東電社員に収束作業をしろというレトリック。もちろん、東電幹部の責任は重いと思うし、海外に移住についてはそれが事実ならばぼくも憤りは覚える。しかし、この投稿の趣旨からは逸れているように思う。
この一節は、ママさんたちに怒りの共感を持ってもらうために配置されているような印象を受けた。

・粉ミルクからセシウムが出ていますよ。

そして、ここが1番過剰な部分だと思う。子どもの健康を自分の命よりも大切に考えているママさんたちが最も恐れるところをえぐっている。しかし、リンク先を読んでみたのだが……

確かに放射性セシウムが粉ミルクから検出されている。しかし、kgあたり1ベクレル以下という数値だった。確かに検出されているが……だからなんだというレベルだ。もちろん、ぼくは専門家ではないので断言はできないが、これほとんど0と同様でしょう。

ここにある換算式を使ってシーベルトに換算してみると……
http://www.remnet.jp/lecture/b05_01/4_1.html

セシウム137が1ベクレル/kg検出されたとすると、経口摂取の場合1ベクレル × 1.3×10^(-8)なので、0.0000000013シーベルトかな?ということは、0.000013ミリシーベルト、0.13マイクロシーベルトということになる。

ところで、粉ミルクを1kgまとめて飲む子どもはいないので、これでも過大評価をし過ぎていることになる。乳児用食品のセシウム基準値 は 50ベクレル/kgだそうなので、大幅に基準値を下回っていることになる。

確かに乳幼児期は、大人に比べて放射性物質の影響は怖いものだけど、完全に0にしないと命に係わるというものではない。これを恐れるならば、煙草の副流煙のほうが余程怖い。

この数字がどこまで妥当なのかわからないが、グーグルで検索したところ、タバコの副流煙は100ミリシーベルトに相当するという記述も出てきた。タバコの煙は100ミリシーベルトの放射線と同じ危険 : つぶやきかさこ

これらの粉ミルクを一缶飲むよりも、喫煙所の横を通り過ぎるほうが、よほど被爆する度合いが大きいように思う。だから、この粉ミルクのデータは、放射線による内部被曝という問題に関しては「ほとんど検出されなかったので安全性が高い」ということを示しているのであって、粉ミルクが汚染されていて危ないということを意味してはいない。

にもかかわらず、散々恐怖を煽った後にママさんたちの心臓を締め付けるような書き方をする。また、投稿の趣旨である収束作業に従事する人員の問題とは直接関係がないにも関わらず、こういったものを挿入するのは、やはりアジテーションと疑われても仕方がないのではないだろうか。

ぼくならば、この程度の放射性物質含有量なら気にせず子どもに飲ませる。というか、調べていないけど、離乳食に与えている食品にもこの程度、あるいはこれ以上の放射性同位体は含まれているのではないかと思う。

このように、上記の投稿は著者の意図に反して、必ずしも事実には即さない言説を用いてママさんたちの不安を過剰に煽っているという結果になっているとぼくは考えた。

反原発という意見を持つのは結構なことだし、国家のため、国民のため、あるいは世界平和のために大いに議論していくべきだろうと思う。しかし、あくまでも事実に即して、誇張表現を使わないようにしながら、穏当な言葉を使って冷静に議論を進めていく必要があると強く感じた。


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