東大に11年在籍した後、タクシードライバーになりました

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【必読!】職場やネット上での人間関係の苦しみからは全力で逃げ出そう!

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物書きタクシードライバー
中村慎太郎

東京生まれ、東京育ち。タクシー乗務の合間にブログ記事やサッカー旅記事、タクシーエッセイなどを書いている。

「慎太郎さん!人間関係がきつすぎて悩んでいるので、お話聞いてもらえませんか?」

とある親しい仲間からこんな相談を受けたので、話を聞いていた。ざっくりいうと職場の人間関係に悩んでいるというような話であった。

こういう相談を受けた時はまず聞くこと。すべて聞いて話が終わった後にぼくは必ずこう告げる。

「そんなクズと関わってても何も得がないから全力で避けるといいよ」

クズといってしまうとあまりにも毒舌が過ぎるようにも思えるかもしれないし、実際に命は平等で、みんな等しく素晴らしいわけなので、そういう言い方はどうかと思うかもしれない。

しかし、自分の人生においてその人は、ネガティブな影響だけを与え続けるだけの存在になってしまっている。だから、自分にとってその人は、部屋の中に放置されてカビが生えてしまっているパンのようなもので、まったく役に立たないのだ。

いや、むしろ環境を悪化させ、精神も不安定にさせる。だからさっさと捨てたほうがいい。

すべての悩みは対人関係の悩みである

これはアドラーという心理学者の言葉である。

すべてと言い切っていいかどうかはわからないが、ぼくも酷く辛い経験をしてきたことがあった。

バスケットボールチームをやっているとき、コーチとかなり揉めていたときは、いつもその人の問題点ばかりを考えていた。

渋谷の書店に勤めているときは、パワハラ気味の店長と、酔っ払って女子大生に電話をかけてくる社長に対する愚痴や不満を常に聞き続けていた。また、頑張って店舗をよくしようと努力していたので、一生懸命働きたくない派から非難され続けることになった。

全然仕事をしない人達から「仕事をしない」と言われ続け、そういう内容で社長に密告されるのだ。社長と言っても、現場にはまったく来ないので訴えた者が正しいと思うのだろう。そんなこともあって、「まったく仕事がしない」という理由でぼくは首になってしまった。

もちろん、バイトの子たちは「それはおかしい!!」って駆けつけて来てくれたのだが、現場の責任もあって抜けるに抜けられない状況にあったこともあって、良い機会だと思って反論せずに辞めることにした。

反論しなかったという理由で自己都合退職ということにされて、後で一悶着あったのだが、それはまた別のお話。

この時代は人間関係に心底苦労した。今思うと先手を取って、社長に訴えを起こしておけば良かったのかもしれないが、なんて面倒くさい話なんだ。そもそも社長という存在はいるにはいたのだが「別の会社の社員」になってしまっていた。

わけがわからない状況だが、そういうことが実際にあったのだ。

関係ないが、この時代に色々と話を聞いてくれたり、突然首にされた後に集まって慰労会を開いてくれたりしたのが、クリレコのメンバーであるあんじゅ先生とナツメリュウイチさん、それと書店に着てくれていたお客さんのかえる様であった。

昨日に続いてクリレコ

インターネットで起こる嫌な出来事のほとんどが対人関係に由来する。

一昔前はブラクラとか地雷リンクなどの嫌がらせトラップもあったのだが、現在ではそういったものの被害はほとんどなくなり、クソリプと呼ばれる粘着コメントの不愉快性だけが残っている。

サッカー関係でも嫌な奴のことばかり考えてしまったことがあった。その時は、脳内を嫌な奴に支配されてしまった。そう、Twitterでも訴えてやろうかと思った赤いサポがいた。

その時は、いつもその人のことばかり考えていて、気付くとその人のアカウントを見に行って自分のことをツイートしていないかチェックしていた。

どうしてこんな低レベルな人間がいるのだろう。
何が楽しいのだろう。
自分に嫉妬しているに違いない。

ある日、その人のことばかり考えている自分がいたことに気付いた。

そして、訴えてやろうという気持ちは消え失せた。

そもそも、その人は普通のおじさんであり、名前も顔も知らないおじさんであった。自分とは全然関係がない人物なのだ。そんな人に何を言われても動じる必要がなかったのだ。

その辺のゴミだと思って、目をそらすだけでよかった。

こんなことを他人に対して言うと薄情な人間だと言われるかもしれない。しかし、関係のない他人に対して慈愛の心を持って丁寧に接しても何も得ることがないどころかマイナスしかないことは明らかなのだ。

時間がもったいない。

接している時間ももったいないし、その後その人のことを考えている時間も無駄だ。そんな暇があるなら、家族と楽しく過ごしたり、好きなコンテンツを見たり、ゴールデン街でわっしょいしたりするほうがどれだけ有意義だろうか。

最悪の選択は、苦しさに耐えかねて人に愚痴を言ってしまうことだ。

もちろん、信頼関係が十分にある人なら大丈夫なのだが、そうではない人に愚痴るようになったらおしまいだ。

春風のように爽やかな人が周りからいなくなり、毒のような愚痴を好む陰湿な人ばかりが残る。周囲の環境がそうなってしまうと、次第にダークサイドに落ちてしまうのだ。

そうなったら誰も助けてくれない。

わかりあえない他人と関わってはいけない最大の理由とは

他人は絶対に変わらない。

どれだけその人のことを思ってアドバイスしても改善することはない。

もちろん例外は存在するが、そのくらいに考えておいたがほうが気が楽だ。他人が変わることを期待するよりも自分が変わるほうが速いし、問題を抱えた人が改善することを期待するよりも、既に良い状態になっている人と付き合う方がいい。

知り合いの学校の先生は、誰でも教えれば良くなるという思想を持っていて、この点はぼくとまったく合わない。確かに学校の先生はそうあるべきだろうと思うが、ぼくはぼくの考えでいるほうが楽だし、生産性が高まるのだ。

この人は駄目だな、この人といると不愉快だなと思う人がいたら、なるだけ関わらないようにする。いや、それどころか全力で距離を取るべきだ。うまく距離を取れない環境だったら、環境自体を変えるしかない。

その人との関係性を改善しようと思っても大抵はうまくいかない。人には相性というものがあるのだ。どうしても付き合う必要がある場合は、何とかやりすごすしかないのだが、その際に絶対にやってはいけないことがある。

じっくり話せばうまくやれるはずだと思って、時間と労力を割こうとすることだ。残念ながらその試みは無駄に終わる可能性が高い。そのくらいに思っているほうがいい。

他人の問題が気になって仕方がない時は、自分の問題から目をそらしていることも多い。他人から何かを言われて気になってしまうときは、無意識に劣等感を抱えていることもある。

本当に向き合うのは、その人なのだろうか。
それとも自分自身なのだろうか。

よく考えてみよう。

どんな人と距離を取るべきか

かなり偏りがあるのだが、ぼくの中での関わらないほうがいい人について書いていく。

マウントクズ
一番困ったのがマウントクズである。

例えば「ぼくは東大行っていたんですよ」と話の流れで紹介することがある。

「ぼくの知り合いはハーバード。東大はいまかなりランク落ちちゃってるからね。」

このように言われることがある。ぼくはマウントしたつもりはなかったのだが、その人はマウントされたと感じて、さらに上に登ってきたのだ。

そういうときぼくはどんな反応をするか。

「その知り合いはあなたではないでしょう?」

とは決して言わない。

「ハーバードはすごいですよね。日本から行ける人は真のエリートだと思います」

と肯定しておいて、バックステップ。反転して距離を取るのだ。

マウントクズの人は、太古の森の中にいて、常に生命を脅かされている。生きているのが不安でビクビクと怯えている。だから、自分よりも強い者を見つけると反射的に威嚇してしまうのだ。

自分に自信がなく、他人にマウントしてしまう人は色んなところで摩擦を起こす。接点を持たないことが肝要だ。

説教じじい
女子クリエイターが必ず遭遇する説教じじい。自称元ライターが駆け出しのライターにDMで説教して「俺は出版社の人を知っている」などと言い、マウントした状態で駄目だしをしてくる。

これはどういう意図かというと、駄目だしを通じてコントロール化に置くことで、あわよくば性的関係になれないかと目論んでいるのである。

この事例は腐るほどある。女性ライターだけではなく、女性のクリエイターの数だけ事例があると言ってもいいのではないだろうか。

ライター関係に関しては、ぼくに通報した上で、ぼくの名前を出せば退散するということがわかっているのでご活用あれ。その人に出版社の知り合いなどいないし、仮に本物の編集者であったとしても具体的な企画がなかったら仕事の話ではなく、ナンパなので会う必要はない。

仕事の話と見せかけてナンパに来るクズもたくさんいるのだ(それは本当にクズだと思うのでクズと言っても怒られないよね……?)。

少しクリエイター界隈に話が偏ってしまったのだが、職場にも、近所にも説教じじいというものは存在している。今となってはぼくは悩まされることはないのだが、駆け出しの頃は説教じじいから断続的に送られてくる駄目出しメッセージに本当に苦労したものだ。

世話してやったのにと恩を着せた上で説教することでアイデンティティを保つ。そんな説教じじいがいたら縁を切ろう。悪い噂を言い触らされるのは間違いないし、実際にぼくもそうされたが、実際のところは説教じじいの言うことなど誰も気にしなかったのである。

ナルシスト
ぼくはナルシストとは近づかないようにしている。今ではTwitterなどのSNSを見ればその人がナルシストかどうかはすぐにわかるようになった。

単に自己愛が強い人とナルシストはちょっと違っていて区別は難しいのだが、ナルシストは自分の恥部や汚い部分を出すことも躊躇しないことが特徴だ。

怪我の写真や、過去のとんでも恋愛エピソードなどを公開するのが特徴である。もちろん、そういうものを公開していてもナルシストではない場合もあるので、注視が必要だ。

ナルシストの特徴は、自分中心の世界観に生きていることと、その世界観に合わない事実をねじ曲げることだ。

結果、状況が変わると簡単に人を裏切る。びっくりするくらい他人に愛情がなく、都合の悪い者はばっさりと切り落とす。

そうなると縁が切れるので、距離を取る必要がなくて助かるのだが、その人に対して使った時間と労力がもったいないので、最初から関わらないほうがいい。

ただ、クリエイター界隈ではナルシストであるが故に輝いている人もいる。その場合は、その人がビジネスにどこまで忠実であるかと、ギャラ感があっているかをしっかり確認しながら進めていくことが必要だ。

ちやほやされたガール
とにかく中心にいたい。ちやほやされたいというタイプなのだが、こういうタイプの人は本当に仕事をしない。

その癖一番力がある人を見切って、その人には重用されるような振る舞いをするのだけは念入りにする。でも、全体を見て本当に必要なタスクを埋めることなどはしない。

以前大手広告会社の仕事をしたことがあるのだが、その時もちやほやされたガールがいて、そのゆるさに驚いたものだ。友人に聞いたところ、その業界でプロジェクトを組むと結構な高確率でその手の人が入ってくるのだそうだ。

非常に華やかだし、社交の場も含めると、広告業界では力を発揮できるところもあるのかもしれない。しかし、ぼくはガチムチのクリエイター界隈にいるので、そういうタイプの人とはなかなかうまくいかない。

これは合う合わないの問題かもしれない。

距離感があわない人

距離が近すぎる、あるいは遠すぎるというのがあって、ぼくは比較的近いと思う。とはいえ、パンチが届かないくらいの距離は空けている。人によってはアッパーカットでも当たるような距離に入り込んでくることもある。このへんも相性だ。

被害者マウント
ぼくが一番苦手なのが被害者マウントを取ってくる人。とにかく被害を受けるまでは辛抱強く待っていて、一回被害を受けたとなると、鬼の首を取ったかのように謝罪を求めたり、悪評を振りまいたりする。

被害者マウントは一番楽に強者になれる方法かもしれないが、これを続けて行くと確実に人は離れていく。

見抜き方は簡単で、普段から他人に対するダメ出し、不平不満などを繰り返している人が被害者マウント屋である。

誰かの不平不満を言うより、未来の話、夢のある話をする人と付き合おう。

こんな自分を社交性が低いという人もいるだろうが、そう言われたからといって一切気にしてはいけない。

自分の人生なのだ。付き合いたい人と付き合ったほうがいい。

他人と距離を取るために必要なこと

事例が一般的ではないので参考になったかどうかはわからないのだが、ともかく距離を取ったほうがいい人というのはいる。

ただ、具体的にどうしたらいいのだろうか。

ぼくも最近嫌なことがあって、チャットでオンラインで繋いでいたところぼくがいることを知らずに、散々悪口を言っているのを聞く羽目になった。

ぼくの理論だとそうなったらさっさと脱出するのが正解なので、それ以上は特に問題がないのだが、やはり悪口を言われると嫌な気持ちになるし、後々気になってくる。

しかし、気にしたところでその先には何も未来はない。関係を改善したところでどうせまた揉める。そもそも合わないのだ。

ここでレシピを用意する。

相手の顔を一度思い浮かべる。そして、それが何かの虫に見えるようにうまく顔を改造をしよう。クモとかアリなどの不快害虫に見えてきたら成功だ。

虫に何か言われて気にする人はいない。相手は自分とはまったく違う世界に生きている、まったく違う価値観をもった生き物なのだ。

虫には虫の事情があるが、ぼくの知ったことではない。そう思うようにする。

でも虫だって生きている。それは尊重しよう。力強く生きて欲しい。ただ、ぼくの部屋には入ってこないでくれ。そういう姿勢である。

同じ仲間から非難されていると思うとやはり心理的に嫌なものなので、うまく心を操作して相手を虫にしてしまえばいいのだ。

そしてあとは、積極的に忘れるようにする。忘れるための一番良い手段は自分の夢を描くことだ。

自分がやりたいことはなんだろうか。

自分の人生に必要なことは虫に愛されることだろうか。それとも他に何か目標があっただろうか。

他に何か目標があるのに、不快害虫のことばかり考えてしまうのは、自分の目標から目をそらしていることになる。相手に対する愛着を捨てよう。代わりに自分に対して愛情の水を注いであげよう。

不快な相手を考えている時間は本気で不毛なので、なるだけ避けなければならない。ある程度心理的な操作がうまくいけば、どこかで会った時にも笑顔で「こんにちは」と言えるようになる。ただし、それ以上の深入りは無用だ。

ネット上であれば、不愉快な人は速攻でミュート。知人のいいねなどで目立つ場合はブロック。ただ、ブロックした場合には、相手が被害者マウントを取り始めることがあるのでミュートが無難である。

その上で大好きな人のツイートを読むなり、好きな友人にLINEするなりして快適に過ごそう。間違っても大事な友人に、不快害虫の話なんかしてはいけない。もちろん、そうしたくなることもある。その時は「本当にごめんね」と謝った上で聞いてもらうことも大事だ。

ただ、それが当たり前だと思っていると、自分も不快害虫になっているかもしれない。

このへんの考え方を知るにはやはりベストセラーの『嫌われる勇気』を読むべきだろう。

他人はまったく関係ない。
他人の人生は、自分には一切関係ない。
他人がどうなろうと知ったことではない。

話し合えばわかりあえるなんて大嘘で、争いというのは話し合った結果生まれることもある。

このくらいのメンタルになることが必要である。アドラー心理学は、心理学というより自己啓発と捉えるほうがいいかもしれない

書籍は読みやすいがそれなりの記述量があるので漫画でアドラー心理学を紹介しているものも。

また人と距離を取るだけではなく、良い人と距離を近づけるにはどうしたらいいのかについては、今回は名著『人を動かす』を紹介するに止めておく。

素晴らしい仲間と良い人生を送りたい人はこの本を絶対に読んだほうがいい。ライターとして、インタビュアーとしてやっていきたい人にも必読の書だ。

まだ読んでいない人がいることが信じられないくらい人間関係に必要なことのど真ん中が書かれている。

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