クラブワールドカップ決勝において。
レアルマドリードと鹿島アントラーズが対戦した。
選手の評価を踏まえたパワーバランスだけを考えると、4-0くらいで鹿島が負けてしまいそうな対戦である。
しかし、ご近所さんの「なんちゃってサッカー解説者」である天才松田氏が、試合の前日にこう言っていた。
「ベイルいないし、クリロナ調子悪い。トニ・クロースが戻ってきてきたのが厄介だけど、勝てないこともないと思いますよ。ベイルがいたらやばかった」
リアルタイムではそれほど集中して試合が見れなかった。子供を9時半から10時には寝付かせたいという事情があるので、風呂に入れたり、歯を磨いたり、「はよ寝ないとお化けがくるぞ」と脅したりする時間なのである。なので、後で録画でじっくり見ようと思う。
というわけで、ざっくりとした見方しかまだしていないのだが、この試合は本当に面白かった。
鹿島アントラーズは、今年のJリーグ王者であると同時に、Jリーグの長い歴史においても圧倒的な勝者となっている。認めたくない人も多かろうと思うが、「人気の浦和、実力の鹿島」に代表されるのがJリーグだと言ってもいいと思う。
浦和のことは嫌いな人も多いからという反論は筋違いで、アンチが多いことは人気があることの裏返しなのである。鹿島については圧倒的な実績と、直近のチャンピオンであることから異論はないかもしれない。
2016年終了時点で、うちのチームのほうが鹿島よりも実績があると胸を張れるサポーターはいないだろうと思う。もしいるとしたら、それは「幸せな個人的な世界」での出来事なので、人にぶつけることなく自分の中でしっかりと育み、愛でていくべきだ。
鹿島アントラーズは、レアルマドリードを追い詰めた。
まさかここまで鹿島が強いなんて誰が思っただろうか。個の強さでは明らかに劣っているのだが、決して勝ちを諦めない、決して弱気にならない強力無比のメンタリティを発揮していた。これはもうメンタルの問題なんじゃないだろうか。
プレスに来るレアルマドリードを相手に、強気のパスワークで縦に突破していくなんて並の神経では出来ない。当然カウンターも喰らうのだけど、それを昌子源が潰していくのを見て、ちょっと呆れた。
昌子は、クロスティアーノロナウドとかベンゼマのドリブルを止めれるんだなぁと。これはつまり、日本代表のディンフェンスは、世界のトップと競り勝てるという可能性が提示されたわけで、日本サッカーを応援する身としてはとても嬉しくなる出来事であった。
鹿島の鬼瓦ことGK曽ヶ端が、クリロナのシュートをしっかり読んでいるのも良かった。
(※鬼瓦という呼び名は某誌の選手名鑑から引用)
たぶん、燃えるんだろうな。鹿島の選手やスタッフは。こういう勝てば大金星みたいな大舞台になるほど燃えるタイプが揃っているのだろう。このメンタリティによって、CSで浦和レッズ相手に逆転勝利を呼び寄せ、アトレティコ・ナシオナルを封殺し、レアル・マドリードののど元に食い下がっていったのだろう。
これを書くと「いや、そんなことはねぇ」という声が殺到するので、ぼやかして書くけど、某クラブにはこのメンタリティが足りない。正直、鹿島が羨ましい。勝たなくてもいいから、こういう気持ちでサッカーをしてほしいと常々思う。
レアルマドリードと競り合いながら、鹿島のロールが鳴り響く様は本当に凄かった。最終的には勝てなかったものの、もし勝ってたら鹿島サポーターは幸福すぎて死んでいたかもしれない。全滅したかもしれない。そういう意味では、人命を救ったとも言える、かもしれない。
2013年。初めてカシマサッカースタジアムに訪れた際のことをブログ記事にした。昨日の鹿島フィーバーで、この記事のアクセスが増えていた。
今読み直すと、なんだか文体が緊張しすぎていて読みづらいのだが、何とも懐かしい記事だ。記事としての完成度は低いものの、応援というものを心理学的なアプローチで解釈しようとする(妄想するというほうが近いが)、というぼくの書き口が一つ出来上がっていく切っ掛けになった記事だ。
鹿島アントラーズの戦闘的な姿勢は紛れもなく存在していた。
これは、鹿島サポーターだけではなく、Jリーグが誇っていいものなのだろうと思う。鹿島が強いのも、鹿島が存在しているのも、Jリーグという枠組みがあってこそ初めて生まれた果実なのである。
鹿島との対戦なんて、普段は憂鬱にしか思えないのだが(そして、実際に憂鬱な結果に終わるのだが)、今回ばかりは全力で、日本の代表としての鹿島アントラーズを応援することが出来た。
運転中に色々と口ずさむパパの影響で、うちの子供は色々なクラブのチャントを覚えているのだが、鹿島のロールも覚えている。最も、ちゃんとは覚えていなくて、「オオオオオオオ」のところは「ウウウウウウウ」とパトカーのサイレン風に歌う(そして、恐らく本当にパトカーの歌だと思っている)。
テレビからあれが流れているのには気付いたようだ。反対側のスタンドから聞くとき以外は本当に素晴らしい音楽だと思う。普段スタジアムに行かないタイプのネット民が「ださいチャント」とか言っているのを何件か見たが、現場で見てみたらいいよ。そんなこと口が裂けても言えないから。
こういう時には、明石家さんまさんを頂点とした、アンチジャパン、アンチJリーグ的な勢力を目にする羽目になって、かなりうんざりする。一体何の恨みがあるのかわからないが、ヨーロッパの白人様が、黄色人種に負けるのが気に入らないというような思想的な結論ありきで、サッカーを見ている人もいるのだ。
どこから透き通して見ても、「欧米コンプレックス」が覗いて見えるような輩もいるのである。まぁそれは個人の自由だから好きにやったらいい。自分の子供がそういう人間にならないように、日本や、日本のサッカーに誇りを持てるように育てるだけだ。
CSで鹿島アントラーズに敗れた浦和レッズは本当に悔しかったと思う。絶望すらしたことだろう。あの時、うっすらタイムラインを覗いていたら、浦和サポーター界隈の人は、冷静に敗戦を分析していたのが印象的であった。もちろん、荒れている人もいたかもしれないが、ぼくはフォローしていないのでよくわからない。
そんな、浦和サポーターが、鹿島アントラーズの大健闘に拍手を送っているのを見た。その方はにわか浦和サポでは全然なくて、ずっと応援してきた人で、論説も鋭い。CSで負けた悔しさもまだ消えているわけがない。
それなのに、少しも斜に構えることなく、Jリーグ代表として鹿島アントラーズを応援していて、負けてしまった後も健闘をたたえていた。もちろん、これは浦和サポーター全体がどうこうという話ではない。たまたまそういう人がいただけである。だけど、ぼくはとても嬉しかった。幸せな気持ちになった。
Jリーグを応援する人は、ファミリーなんだろうと思った。
それは、熊本を襲った地震の時にも感じたことだ。ファミリーだから、いざというときは助けあえるし、応援し合えるのだ。もちろん、家族喧嘩はする。しょっちゅうする。顔も合わせたくないような親族もいる。しかし、いざというときには血の団結をすることが出来る。
FC東京のサポーターも鹿島を応援している人がいた。試合中は夢中になって応援しているようであった。終わった後は、やっぱり鹿島は嫌いだなと言っていたが、やはり家族なのである。結果はとても気になるのだろう。
鹿島アントラーズは負けた。
一つ怪しい判定があって、セルヒオラモスが退場にならなかったのだ。これは不正ではなく、空気というものだろう。
あなたが審判であったら、巨人レアルマドリードの敗退要因となるジャッジが出来るだろうか。あのジャッジのせいで、愛するマドリーが負けたと言われ続けることに耐えられるだろうか。そこまでは踏み込めなかったというのは一人の人間の判断として妥当であろう。
我々は鹿島アントラーズの勝利を望んでいたが、世界中にはレアルマドリードの勝利を望む人が溢れていた。ああ、よく考えると我々だけではなく、バルセロナのカタルーニャ人も鹿島の勝利を望んでいたかもしれないが。
大巨人を倒すにはそれ相応の覚悟がいる。決して対等ではない。条件は5分ではないのだ。鹿島は、後一歩で巨人を倒すところまで追い詰めた。しかし、最後の最後、どうしてもシュートの精度が足りなかった。もし、あのヘディングが、あのボレーが決まっていたならば、手負いの巨人は倒れていただろう。
しかし、そう簡単には倒れないからこそ巨人なのである。
Jリーグファミリーのドンが、ヨーロッパチャンピオンを倒すところを見たかった。惜しかった。もう少しだった。日本代表のワールドカップ優勝と並んで、死ぬまでには一度見てみたいものだ。
本当は自分が応援しているクラブであるのがベストなのだが、なかなかそうもいかないので、ACLとかCWCの時は、ファミリー応援モードなのである。
久々にサッカーのことをブログに書いた気がする。こうやってゆるく書くのもいいものだ。個人ブログだしね。