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書評

なぜわざわざ旅行に行くのかについて、村上春樹の回答

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旅行記を書くのはかなり難しい。
適当に書いても一定以上の面白さにはなるし、写真を載せればそれなりの旅行記にはなる。

しかし、そこには限界があるように思う。目で見たものを伝えることは努力すればできる。しかし、その時心が感じたことを魅力的に表現するのは難しい。


沖縄に行って、綺麗な海を見る。透き通るような海の写真を貼り付ける。「すっごく綺麗だった!また行きたい!」という感想を綴る。

しかし、この感想は全てではあるまい。綺麗な海を見た時に、ただ単に綺麗だと感じただけだったのだろうか。そもそも、どうして綺麗な海なんか見に行く必要があるのだろうか。綺麗なものを見たいという気持ちに理由なんかない?

だとしたら、海以外にも綺麗なものはたくさんあるわけだし、どうしてわざわざ海に行くのか。また、そこまで綺麗なものが見ていたいなら万難を排して海の近くに住んだらいいのではないだろうか。

海が見たくなるというのは、海に行きたくなると言うのは一体どうしてなのだろうか。何に引き寄せられているのか、あるいは何に押し出されているのか。都会的な文明に疲れて押し出され、自然を見たくなったというのであれば、一体我々は都会の何に疲れているのだろうか。

その類いの疲れは、海を見ることで解消されるものなのか。

そういったところを掘り下げていくと面白いような気はするけど、簡単に掘り下げられるものでもない。ぼくだって綺麗な海を見たら胸がすーっとするのだけど、そのことをうまく書くのは簡単ではない。だから、綺麗な写真を並べて「すごく綺麗だった。また行きたい」と書く以外やりようがないのかもしれない。

フェイスブックやブログなどで、旅行について書いているものを何百回も目にしたことがあるが、ずば抜けて面白いものは少なかったし、逆にどうしようもなくつまらないものも少なかった。旅について書くのは簡単であり、難しい。

ところで、旅行記が一番面白い作家とは誰だろうか。ぼくは網羅的に読んできたわけではないけど、村上春樹の旅行記は他の追随を許さないものがあると思っている。

村上春樹の文章は苦手という人も多いが、旅行記やエッセイなどは例外だ。村上春樹の小説は確かにぼんやりしていて読みづらいという人がいるのも理解できるが、エッセイについては誰もが楽しめるし非常に読みやすい。

平易な言葉が使われているし、平易な言い回しが使われている。村上春樹は、非常に庶民的な人だということがよくわかる。ジャズとウィスキーと小説が好きだからお洒落に思えるが、「普通のおじさん」なんだなというのがよくわかる。

間違っても「作家大先生」という風ではない。

旅行記は何冊か出ているが、その中でお勧めの一冊が『辺境・近境』だ。

様々な場所に旅行に行った時のことをショートエッセイとして記している。そのいずれもが尋常ではなく面白い。

村上春樹は旅行中にあまり写真を撮らないらしい。意外にもメモもあまり取らないとのことだ。後書きにこう書いてあった。

「細かい記述とか描写はなるだけ書き込まないようにする。むしろ現場では書くことは忘れるようにするんです。記録用のカメラなんかもほとんど使いません。そういう余分なエネルギーをなるべく節約して、そのかわりこの目でしっかりいろんなものを見て、頭の中に情景や雰囲気や匂いや音なんかを、ありありと刻み込むことに意識を集中するわけです。好奇心の塊になる。とにかくそこにある現実に自分を没入させることが一番大事です。」
『辺境・近境』(新潮文庫) p.297

こういったやり方は、物書きの大先輩として尊敬に値する。ぼくは村上春樹になりたかったのだけど、村上春樹にはなる自信がなかったので、研究者になるなんて突飛なことを言い出してしまったのかもしれない。

けど、研究生活を経て、村上春樹と同じ土俵で戦う勇気が湧いてきたわけだから、人生わからないものだ。

さて、旅行記の内容を一つずつ紹介したい。

・イースト・ハンプトン 作家達の静かな聖地

出だしから申し訳ないが、これについては旅行記という色合いではない。ニューヨークの北にある有名人が集まる街についてのわずか9ページの短編。

・無人島・からす島の秘密

瀬戸内海に位置する小さな無人島にテントを持って行った時のお話。タイトルだけ見ると非常に面白そうなのだが、決して愉快な旅行とは言えなかったようで…… 非常に都会的な人が本格的なアウトドアをするとどういう不愉快にあうのかがよくわかる。

なんて面白そうなんだと思っていたら、「すかしを食らった」気持ちになった。これも20ページくらいの短い話。冒頭の二つは、あくまでも「まぁまぁ」なんでこんなのを冒頭に持ってきたんだろう。

・メキシコ大旅行

村上春樹の旅行記の面白さが詰まっている。とにかく面白い。とんでもなく面白い。村上春樹の目を通して感じるメキシコは、どんなドキュメンタリー映像よりもリアルで生々しい。

また、非常にユーモラスだ。特にメキシコ音楽とカーステレオの下りは、爆笑してしまった(東西線で村上春樹のエッセイを読みながら声を出して大笑いしてしまった恥ずかしい人はぼくです)。

適当に抜粋しながら紹介するとこんな感じ。

「でも、バスでメキシコを旅しながら音楽を聴くのはそれほど簡単なことではない。メキシコのバスには静寂というものが存在しないからだ。そこにはまず間違いなくメキシコ音楽がかかっている。それも生半可な音量ではない。大音量で鳴り響いているのだ。(原文では、読点(、)による強調)

(中略)

これは僕にとっては大きな誤算だった。というのは、一日五時間、六時間にも及ぶバスによる移動時間に、のんびりと好きな音楽を聴いていようと計画していたからだ。

(中略)

でもその目論見はあっという間にこなごなに踏みつぶされてしまった。その五時間だが六時間のあいだに僕の耳に入ってくるのは、ちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃか、テキエーロ、ミアモール、ちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃかというあの果てしなきメキシコ歌謡曲ということにあいなったのだ。

(中略)
しかし僕は言いたいのだけれど、一日に六時間もわけのわからないメキシコ歌謡曲を聴かされたら、まともな人間だったら誰だって頭がおかしくなる。」
『辺境・近境』(新潮文庫) pp.60-61

村上春樹は旅の中でボロボロになっていくし、ヘロヘロに疲弊していく。その中で、ビールを飲んでほっとしたりする時間もあるにはあるが、決して優雅な過ごし方はしていない。

しかしながら、いや、だからこそというべきか、彼だけしか見つけられない素晴らしい瞬間に出会えることもある。

どうしようもない悪路を10時間バスに乗って疲弊したという描写の後に、飲んだワインだかビールだかが心底美味しかったというような描写を読んだりすると、村上春樹は本当に旅が好きなんだろうなと感じられる。

春樹は楽しむために旅行するわけではないらしい。「疲弊するため」に行っているらしい。

引用ばかりが長くなってしまうが、本当に素晴らしい部分なので引用したい。

「十日間、理不尽な食中毒やら、絶え間のないメキシコ歌謡曲やら、自動小銃を抱えた真剣な人々やら、冷房の故障したバスやら、いくら蹴飛ばしても(僕は本当に真剣に蹴飛ばしたのだ)うんともすんとも感じない象のようにあつかましい割り込みおばさんに耐えながら独りでメキシコを旅行してみてあらためてつくづく感じたことは、旅行というのは根本的に疲れるものなんだということだった。

これは僕が数多く旅行をしたのちに体得した絶対的真理である。旅行は疲れるものであり、疲れない旅行は旅行ではない。

延々と続くアンチクライマックス、予想外れ、見込み違いの数々。シャワーの生ぬるい湯(あるいは生ぬるくさえない湯)、軋むベッド、絶対に軋まない死後硬直的ベッド、どこからともなく次々に湧き出してくる飢えた蚊、水の流れないトイレ、水の止まらないトイレ、不快なウェイトレス。

日を重ねるごとにうずたかく積もっていく疲労感。そして次々に紛失していく持ち物。それが旅行なのだ。」
『辺境・近境』(新潮文庫) pp.83-84

疲労するために旅行をする。ならば何故メキシコに行くのか。メキシコでの疲労はメキシコ以外では決して得られないものだからだ。という趣旨の内容が別の箇所に書いてあった。

疲れるために旅行するというのは、それだけ過剰なほど何かを経験しているということなんだろうと思う。それだけ重厚な体験(あるいは疲労)というのは旅行をしないと得られないものなんだろう。

このあと、旅行でなくしたものについてしばらく語っている。これも溜まらなく面白い。後半はインディオが生活している地域について。こっちも面白い。このメキシコ大旅行という旅行記は最初から最後までとにかく面白い。これほど面白い文章は世の中にはあまりないと思う。もちろん、個人的には。

・讃岐・超ディープうどん紀行

香川出身の人が周りに1人でもいるだろうか?その人はうどんの話ばかりしていないだろうか? ぼくにも経験があるが、日常会話の5割近くがうどんの話という人もいた。

「僕は思うのだけれど、うどんという食べ物の中には、何かしら人間の知的欲望を摩耗させる要素が含まれているに違いない。」
『辺境・近境』(新潮文庫) p.147

このエッセイは、うどんを食べて回るだけなのだが、とても面白い。うどんについて書いた文章では世界一面白いのではないだろうか。うどんばかり食べている香川の人をどこかからかっているようでもあり、深い愛情を注いでいるようでもある。

これを読んでから「中村うどん」に行ってみたいと思っているのだけど、なかなか機会がない。

・ノモンハン鉄の墓場

ノモンハン事件をご存じだろうか。日本軍とソ連軍が激突した戦争のことだ。その部隊となったのがノモンハンだが、どういう場所だか知っている人はあまりいないだろうと思う。

この旅行記は長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の序文とか後書きとしても使えそうだ。

近いようで異様に遠い場所で、若き日本人の命がたくさん失われた。という歴史があった。そのことに村上春樹は「異常に」惹き付けられているらしい。

この旅行記で面白いのがやはり中国という国と中国人に対する記述だ。ある意味ではPM2.5の発生も予期しているような箇所もある。

・アメリカ大陸を横断しよう

車でひたすらアメリカを横断する話。映画「easy rider」のような格好良いものを想像してしまうが、その実態は……ちょっと退屈な旅行記かもしれない。

しかし、あまりにも広大で、お洒落というよりは田舎くさいというアメリカのもう一つの姿を生々しく描いているという意味では、とても興味深い旅行記でもある。

この旅行記はとても好きなんだけど、面白くはないんだな。

あともう一篇「神戸までを歩く」という短編があって、西の土地に思い入れが深い人ほど楽しめると思う。これについては、あまり書くことがない。

以上「辺境・近境」の内容を紹介してみた。
本当に面白い旅行記なので、文字通り全文を引用してやりたい気持ちになる。村上春樹の良さが詰まった作品だし、今まで村上春樹につまずいていた人でも、ここから入れば簡単に入門できるようになると思う。

ちょっとお洒落で、賢いようで頭が悪いようで、無口だけど実はじーっと何かを考えていて、美味しいものとお酒が大好きなおじさんの旅行記を手にとってみてはいかがだろうか。

ぼくは手に取っていないけど、写真集も出ていた。写真家が同行していたのに、写真が全然ないのはそういうわけだったか。

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