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天狼院「5000字を最速40分でコンテンツに仕上げる SPEED WRITING」を受講した結果、童貞文章学に辿り着く

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天狼院。

現代における個人書店経営の数少ない成功例である。

BOOK LAB TOKYOにいる時代から気にはしていたのだが、現場仕事をしているうちは業務に追われじっくりと観察・研究する機会がなかった。

天狼院の特徴は「強力なオウンドメディア」を持っていること。

選書の質だけで突き抜けられる荻窪の『Title』や、イベント運営に特化した『B&B』とはちょっと様相が違うのだ。

強力なメディアといっても、最新式のコンテンツが載っているわけではなく、オールドスタイルの文章が並んでいるのが非常に気になっていた。

オールドスタイルというのはどういうことかというと、太字や色文字を使わず、改行も画像もほとんどない文章である。

今の若いライターやブロガーはこっちの方向に向かって進んでいない。どちらかというと文章を軽視する方向にある。やれ、画像イメージが大事だとか、やれ、文章力はいらないだとか。つまり、マンガに近づこうとしている。

それはそれでいいとは思うのだけど、文章には文章の魅力があるため、マンガに近づくいてことで強みが失われていくという側面もある。

一方で、天狼院のサイトは、ブログメディアが生まれてた時に見られたような、mixi日記で見られたような、飾り付けのないただの文章が展開されている。

アイキャッチが優れているのはあるにしても、どうしてこの書き方で、突き抜けることが出来たのだろうか。

その秘密が知りたい!!

それが第一のモチベーションだった。そして、ぼくにはぼくの書き方があって、哲学もあるのだが、明瞭に足りない部分もあると自覚しているため、どうしても気になっていた天狼院のセミナーに参加してみた。参加費は1万円。

さて、損をしたか、得をしたか。

テーマは40分で5000字を書くこと。

実を言うとぼくは、そのくらいの速度で文章が書ける。流石にストップウォッチで正確に計ったことはないが、ブログレベルの文章なら40分で5000字くらいは書ける。

というよりも、最近そのスキルを身につけたというべきだろうか。
1年前までは、1時間あたり1500字と認識していたからだ。

最近は書く速度があがってきたこともあり、とても楽にはなってきた。

ただ、今でも、紙の媒体に出すような記事は、1時間1000字くらいのものだし、書籍用の原稿はさらに遅い。だから、お金になる記事ほど書くのが辛くて、逃避してしまう結果を生んでいる。

速く書く技術の体系化、速く書く際の注意点、デメリットなどが整理できたとしたら、1万円は安い買い物である。

また、元書店員としても、天狼院の秘密にもようやく迫れるというワクワク感もあった。

これは詳しくは書かないけど、選書、本の並べ方、イベント時のオペレーション、スタッフの表情など、学べる要素がたくさんあった。

そして、セミナーも目から鱗の情報も多く、非常に有意義だった。

さて、この記事ではセミナーの内容については言及するつもりはないので、大枠の説明だけする。

内容は、速く書くことのメリット、速く書くためのマインドセット、速く書くためのTips、20分で書いてみるワークショップであった。

今回は「速く書く」ことに絞っているので、ライティングの方法についての言及は限られていたが、それでも学びは多かった。

何を聞いているのかなと思ったのだけど、これは熟練ライターの職人芸について話を聞けたということなのだろう。

思えば書き手の話を2時間じっくり聞いたことはあまりないので、非常に新鮮だったし、学びは多かった。

また、速く書くという技術とメリット・デメリットも、自分の中で完全に決着がついたし、即応用できると思う。

文章を書くために集中するTipsは、8割方はぼくも実践できているのだがいくつか盲点があったので、それだけでも1万円案件。

文章を書くことでどれだけ脳がエネルギーを使うのかについては考えたことがなかった。その点を解決させた状態で、今日は原稿に向き合っているのだが、体感で1.2倍速。ストレス値は3分の1以下。クオリティも1.5倍くらい。

自力で体得していくと、あと4,5年はかかったかなと思うので、実に有意義だった。

というわけで帰宅後には、速攻であの飲み物を箱で発注した。

セミナーで語られていなかったけど、ぼくが実践していることの1つに、「鼻呼吸の確保」がある。酸素の供給量は大きくパフォーマンスに影響する。

アレルギー性鼻炎用の点鼻薬を常時持つようになってからパフォーマンスが大きく上がった。さらには、ブリーズライトという気道を広げるアイテムも役に立つ。

いびき対策にもなるので大変お勧めである。

後は、カフェインの量と、半減期を意識することが大事なんだろうと思う。20時からの執筆でカフェインを摂ってはいけないのである。

講師の三浦さんは、あまり人に教えたくないと言っていたが、それはそうだろう。誰でもすぐに再現することが出来るし、再現されてしまうと、後は文章力と人間性の勝負になってしまうのでとてもつらいことになる。

でも、この一連のセミナーによって、文章を書く喜びを得る人は増えるだろうし、それは、文章を読む喜びにも繋がっていくだろうと思うので、本が読まれない時代において、出版業界が最優先で取り組むべきとても大切な機会だと感じた。

その上で、作家は誰にも負けない魂を込めた文章を書く必要がある。

それには初稿を速筆し、推敲を10回するような工程が必要で、今回学んだのは速筆について。

4月から始まるライティングセミナーも受けてみたいところではあるけど、毎週課題を提出するのが若干めんどくさい……。

ただ、ライティング能力を向上させるためには、書かせて添削する以外の方法はない。だからとても正しい。正しいけど、最近はブログも入れると月に50本以上書いていることになるので、プラスアルファがしんどいところなのである。

ただ、何となくやっていることが言語化され、体系づけられるのはとても大きくて、数万円で済むなら安いものだ。

近々書籍版が発売されるという話もあるので、そっちから学ぶのもいいかもしれないが……。

というわけで、天狼院のライティングセミナーは、これから文章を書こうと思う人でも十分に理解できる有意義な講座であり、プロのライターにとってもお勧め!!

プロほど我流で書いてストレスを溜めているというところもあると思うし、プロの場合は、10%パフォーマンスが上がるだけで劇的に仕事量が増やせるので、そういう意味でもとてもお勧め。

さて、ワークショップ課題の字数を数えたら1200字であった。40分で2400字ペース。ただ、手書きが非常につらくて、最終的には手が痛くなっていたので、タイピングなら4000~5000字書けたかなというところ。

ただ、いつもより圧をかけて書いたので、書きながら心拍数が上がっていた。これも貴重な体験だった。超集中状態で書いていても、心拍数が上がることは滅多にないからだ。

心拍数を上げるほど負荷をかけるのはたぶん良くない。実際に、アウトプットも攻撃的で、ディティールが甘い。自分の持ち味である、少しゆるめの文体が消えてしまう。

佐伯ポインティ氏に「なかむらさーん、面白いけど文体がエロくないので変えましょう」と言われてしまう(実話)。

文体がエロいというのはとても大事なこと。三浦さんも文章はセクシーラインに添って書けと仰っていた。

ぼくはジェットコースターと言っているんだけど、ベストな回答は日活ロマンポルノやVシネマのように書けなのかもしれない。

ぼくが、ある種の禁忌を犯してまで、猥談タウンの住人でありたいと思っているのは、文章とエロスが密接に関わっていることを肌で感じていたからなのかもしれない。

佐伯ポインティの猥談タウン回覧板

というわけで20分スピードチャレンジの結果。内容はその場の思いつき。講師である三浦崇典さんの著書『殺し屋のマーケティング』(ポプラ社)が大量においてあったので、人殺しをテーマにしてみた。

雑多なまま文字起こししたので、読みづらいところは多々あるがそのままにした。どうしてもわかりづらいところは注を入れた。


タイトル「誰もがみんな人殺し」

人殺しをしたことがあるだろうか。ほとんどの人は経験したことがないはずだ。しかしぼくは、あるのではないかと思っている。

夢の中で? ちがいます。

あるいは、物語の中で? そうでもありません。

人殺しというのは、極めて凶悪な犯罪であって、それ以上に悪いことはないと言ってもいいかもしれません。

どうして悪いのかというと、他人の人生を終わらせてしまうからだ。

なぜ、それが悪いのかというと、人の人生を終わらせるような人物を野放しにすると、自分や、自分の家族、友人がいつか殺されるかもしれないからだ。

また、人殺しは秩序を乱す。

平和を破壊してしまう。そのため、国家は、人殺しを重犯罪に設定し、人殺しを行えないようにコントロールする。

一方で、人を殺したいという願望は、多くの人にもあるようにも思う。

「死ね!!」

という言葉は、結構気楽に使われるし、長く生きていると、死んでほしいと思うような人の1人や2人くらいいるものだ。

また、殺そうとは思わずとも、人を殴ったことならある人も多いだろう。

当たり所によっては、死んでいたかもしれないし、明確に「殺意」は存在していたはずだ。※後注 殺意というよりは殺気の籠もった衝動というほうがいいかも

殺意。

殺してやるという気持ち。

そんなものが自分の内部に存在しているのは非常に恐ろしいことだと思うが、あるものは仕方がない。

法律や社会的な倫理観から、「殺人をしづらい」環境が作られているため、実際に殺人をする人は少ない。

しかし、その制限がゆるくなったら?

ブラジルのレシフェという街に行ったことがある。北部にある非常に治安の悪い街だ(なぜ行ったのかというと、W杯の試合があったのだ)。

そこでは、月の殺人事件の件数が300人もいるのである。月300人、1日10人である。

麻薬組織同士の殺し合いとは聞いたのだが、一般人にも火の粉がふりかかる。

月300人が死ぬ街というのも恐ろしい話だが、これでもまだましなのである。

まず、国家による秩序が失われる場合が想定できる。とはいっても、現代の国民国家はそれなりに頑健だ。

ここまで来ると、話が見えてきたかもしれない。

国家が人殺しを推奨する場合があるのだ。そう、戦争だ。

国といわず、集落とか村という単位でもこういう現象は起こるだろう。※後注 歴史的にはそういうことがあったという話

ぼくは人殺しをしたことがある。冒頭にそう書いた。

これは、ぼく自身ではなく、ぼくのDNAの記憶だ。

つまり、ぼくの先祖は人殺しをしたことがあるかもしれないのだ。

というのも、遺伝子を残す、子孫を残すためには、勝者で居続ける必要があるからだ。

善良な市民をしているだけでは生き残れない時代もあったのではないかと思う。

少なくとも悪事はしているはずだし、人殺しに目をつむったことはあったかもしれない。

ぼくには、人殺しの血が流れている。

ぼくだけではなく、今を生きる多くの人に。

そういうものなのである。

人類史は非常に残酷で、自分もその先にいるということを自覚することで、今をどう生きるかが見えてくるように思う。

May peace prevail on whole Earth!

ーーーーーーーーーー

はい。最後が大変ダサい。

何か気の利いたことを書こうと思ったけど、思いつかないのでマンガ『スプリガン』の裏表紙に書かれている名言を引用。祈願のMayを使った祈祷文で「世界が平和になりますように」。

この文章は、「自分たちには人殺しの遺伝子」が組み込まれているという落ちから逆算して書いた文章なので、ロジックはある程度整っているものの、ロジックを整えることに注力しているため、余裕がなく、色気がないものになってしまった。

これ、大学生のエントリーシートみたいな文体なんだよな。内容はともかく。

エントリーシートもセクシーに書けたら絶対受かる。だけど、余裕がないから色気がなくなってしまう。

既婚者の方がもてるという理屈と似ている。

杉田かおるさんが「いい男ってみんな結婚してるのよね」と言っていたが、文章でもその通りなのだ。

このクオリティであれば速筆する意味はない。もっとも、20分で落ちをつけるという縛りをなくして、この速度で「どこかに辿り着けるように余裕を持って書く」という方法であればもう少しセクシーに出来たはずだ。

ああ、でもぼくの1番バズった記事である「Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった。 」は、この書き方をしていたな……。そういえばそうだ……。そうだった……。

うーん、そうか。そうなのか。

そうなのか?

この書き方のほうがいいのだろうか?既婚者と男子校生を使い分ければいいのだろうか?

9割5分出来ている10万字の書籍原稿を、これから一気に書き換える作業をするつもりなのだが、どっちの書き方が正解なんだろうか。

書き方といっても書き直すわけではなく、最初からそういう文章として書いたかのように一気にリライトしていく。だけど、どっちがいいのか。

ぼくは既婚者であろうと思っていたが、もしかしたら、女性を知らないあの頃のほうが良かったのか?

考え中(1行1分の超遅筆中)。

書籍は、既婚者として書かない。

記事は、既婚者として書く。

これが正解なんじゃないだろうか。

未熟な男として書いたものを、成熟した大人として修正していく。自分の中に、2人の男を持つべきなのではないだろうか。

そして、編集者は成熟した大人なので、未熟な男として書くべきなんだろう。

童貞文章学。

人類史に刻まれる概念が誕生した瞬間である。

なお、童貞という概念は、場合によってはセクハラになるという話題が最近上がっていたが、宮沢賢治とキャプテンアメリカの活躍を見れば、童貞かどうかが文学性においていかに重要かは瞭然なのである。

『GTO』の鬼塚は、どうしようもないヤンキーだったわけだが、童貞なのである。童貞である必然性があったのだ。『サイコメトラーEIJI』の明日真映児も童貞。幕ノ内一歩も、もちろん童貞。ルフィも童貞、というか少年だね。『GS美神』の横島くんも童貞。

『ベルセルク』のガッツは童貞ではないが、初体験が忘れられずにずっと苦しんでいる。

非童貞は、一見余裕があるが苦しみ停滞する。

童貞は、どう見ても余裕がないが、勢いがあり成長していく。

もう少しサンプルが必要だ。これは改めてもう一回考えてみよう。

あ、トニースタークは女遊びの常習犯だが、なかなか成長しないし、苦しんでるな……。

『竜馬がゆく』は、竜馬の童貞こじらせ話が序盤の山場の一つになっているが、確か夜這いによって「こんなものか」とか思ったころから、仲間たちが死に続ける悲惨な時代へと突入したように記憶している。

ふーむ。

これは別に、性的経験があるかどうかが問題ではないな。

未知の物へと突き進んでいく爆発力が、人物の成長につながり、カタルシスも生まれやすい。

一方で、非童貞的な人物にカタルシスを発生させるのは一段高度な仕事なのかもしれない。

うーん、どうか。違うかもしれないし、あっているかもしれない。

ただ、世界には童貞的表現と、非童貞的表現があって、ぼくの場合は童貞的表現として書籍を書くべきなんじゃないかという仮説は数日揉んでみよう。

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