ミランの10番になった本田圭祐のように夢に向けて努力するのだ!


Pocket
LINEで送る


本田圭佑がついに。

ついに!

ロシアからイタリアへと移籍した。ぼくはサッカーファン歴が浅いので、この「移籍するぞフェイク」に付き合ったのはせいぜい1年半くらいのものだった。しかし、それでも十分すぎるくらい長い期間だった。

移籍の前後のニュースについては、CSKAモスクワ時代の試合もほとんど観ていたという筋金入りのアレな人、気付くとTwitterで孤立している新世代の炎上型芸人「でろりん」が積極的に紹介しているので興味ある方はそちらをどうぞ。

でろぶろ 本田圭佑タグ

さて、本田がセリエAに移籍するということになって、小学生の時に書いた作文が話題になっている。その作文によると、本田の夢は半ば叶ったように思える。


スポンサーリンク

本田圭佑の作文を引用したい。
どこから引用したら良いのかわからないので、グーグルの画像検索のリンクを貼ると同時に全文引用したい。

将来の夢 本田圭祐

ぼくは大人になったら 世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには 世界一練習しないとダメだ。だから 今 ぼくはガンバっている。今はヘタだけれど ガンバッて 必ず世界一になる。

そして 世界一になったら 大金持ちになって親孝行する。

Wカップで有名になって ぼくは外国から呼ばれて ヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって 10番で活躍します。 一年間の給料は40億円はほしいです。プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、 世界中の人がこのぼくが作ったスパイクやジャンバーを買ってい行ってくれることを夢みている。

一方 世界中のみんなが注目し 世界中で一番さわぐ 4年に一度のWカップに出場します。セリエAで活躍しているぼくは 日本に帰り ミーティングをし 10番をもらってチームの看板です。ブラジルと決勝戦をし 2対1でブラジルを破りたいです。この得点も兄と力を合わせ 世界の強ごうをうまくかわし いいパスをだし合って得点を入れることがぼくの夢です。

ここの書いてあること半分は叶っていると言っていい。セリエAの名門ACミランの10番を着ることになり、世界中から注目されている。世界中の人が本田の名前が入ったユニフォームを買うことになるだろう。収入はわからないが、年収は7億円にもなると言われている。勝利給などのインセンティブや広告出演料を入れると、40億まではいかないかもしれないが、ほとんど誤差と言っていいだろう。

後は、ワールドカップの決勝でブラジルを2対1で破れば、この作文の内容はコンプリートだ。ちなみに、ブラジルワールドカップでは、予選の結果次第では決勝戦をブラジルと争う確率は十分にある。もっとも、もし作文の通りに決勝戦でブラジルを2対1で破ったら、本田圭佑は予言者として有名になってしまうかもしれない。

少なくとも、夢が叶えられる舞台にまで本田圭佑は登り詰めている。子供の頃からの夢をまっすぐに追い続けている。夢をみることは誰にでもできるが、夢を追い続けるのはそう簡単にできることではない。

夢を描く想像力も大切であるが、具体的なタスクに落として実行していく「夢の実現力」のほうがより高度な能力なのだ。みんな本田圭佑にいつから注目していたのだろう?

ぼくが始めてはっきりと意識したのは南アフリカのワールドカップだった。日本代表戦のテレビ放送ですら毎回視聴していたわけではないし、テレビの前にいても眠ってしまうことも多かった。そんなぼくですらワールドカップは興奮しながら観た。

本田のフリーキックがゴールに突き刺さった時、ぼくも拳を突き上げて叫んでいた。

ワールドカップでの活躍があったからこそ、本田圭佑は日本のエースになったし、ある意味では日本人の精神的な支柱のような役割も果たしてきた。本田がいてくれることによって、我々日本人はそれまでよりも自信を持って胸を張って生きていけるようになった。そんな気がする。

もちろん、それは長友や長谷部や香川など海外で活躍する日本人選手であっても同じなのだが、本田の存在感は際立っている。

本田が無回転シュートを突き刺した時、ぼくは人生で最も苦しい時だった。身体も精神も不調で、研究では全く成果が出なかった。「おまえには修士論文が書けるとは思えない」、つまり卒業はできないと教授に言われた頃だった。

いかに研究者としての資質がないか、研究に対する態度が悪いか、研究が出来ないのは根にある人間性に問題があるなどという聞くに堪えない指摘を、2時間近く浴び続けて精神的にとことん参っていた。

しかし、挫けなかった。そこからは、逆襲の時が待っていた。本田のシュートを見たから頑張ったという意識はなかったが、どこかで心の支えになっていたはずだ。その時から日本代表の記事を読み漁るようになった。ぼくにとってサッカーとは日本代表のことだった。そして、南アフリカワールドカップ終了後に訪れたザッケローニ監督による日本代表のことだった。

ザックの元で団結する日本代表。仲が良くお互いに認め合っている選手達。夢を語ることを恥ずかしがらず、人生を賭けて世界に挑戦していくスーパースターの集まりだった。

そしてその中心にいたのが本田圭佑だった。本田は別格であり特別だった。本田を見ると安心するし、自分も頑張ろうと素直に思えた。本田だって必死に頑張ってるんだ!!!と思うと不思議と力が湧いてきた。

ぼくの研究は成功した。逆襲を決めた後、ケイオスティックに散らばっていたデータをまとめあげ、巨大なストーリーを作った。精密で丁寧に検討したデータの束とオリジナリティに溢れるストーリーが出来上がった。

「まさか、中村にこんな論文が書けるはずが……」

提出した時に、教授は唖然とした。そして、非常に高い評価をもらうことになった。ぼくの研究は学科で1位の評価を受け、奨学金の返還が免除された(約200万円に相当)。

しかしながら、この期間での精神と肉体の負担は非常に大きく、その後長きにわたって体調不良と悪夢に苦しむようになった。文字通り悪い夢を見たり、金縛りにあったりする症状が断続的に2年近く続いた。睡眠が不順だったため、胃の調子が狂い常に吐き気がしていた。

そして、その悪夢から覚め、再び前を向くにはサッカーの力が必要だった。絶望的な状況から抜け出すために、ぼくは身体を鍛え、全力でボールを蹴り始めた。身体の中にあるすべてが空っぽになるまで走ることにした。

走り出した先は研究ではなかった。ぼくも自分の夢を追うことにしたのだ。そのほうが絶対にかっこいい!絶対に満足した人生を送れる!! そう素直に思えたのは本田圭佑を始め、日本代表の選手達がいてくれたおかげだ。

そういえば、ぼくの小学生の時の作文もあった。あまりにも字が汚くて泣けてくるのだが、せっかくなので紹介したい。

114470_25005617

「なんという生意気な子供なんだろうか」
流石にこれは恥ずかしくてしょうがないのだが、「夢は恥ではない」と掲げている以上、照れているわけにはいかない。

ぼくの場合は、小説家になるという夢を掲げていたのだが、日夜努力はしていない。多くの人と同じように、小学生の時の夢はいつの間にか忘れてしまっていた。人生のある段階でふと思い出すこともあったが、それは遠い世界のものだった。

小説を書くことすら出来なかった。ぼくが書いた小説というのは、小学校の自由研究で書いた『蛇魚』という作品だけだ。これは「ズッコケ三人組シリーズ」と「ロビンソンクルーソー」を併せたような冒険小説だった。

以降、何度か小説を書こうと思い立ったが、うまくいかなかった。文章を書くには、「人生経験」が必要だとぼくは思っている。10代で小説家になれる人もいるが、そういう芸当はぼくには出来そうにない。

様々な回り道をして30代になった時に改めて文章に向き合えているというのは、正しい道のりであったような気もする。また、小説を書きたいというのは既にやめている。小説などのフィクションを書くには、ある意味では「ウソつき」である必要がある。実在しない人物、実在しない組織、実在しないエピソードを書かないといけない。それがうまくできない。

人生がもう少し進んで、上手に健康的に「ウソつき」になれる自信がついたら小説を書く日も来るかもしれない。でも、ぼくは作家になれたらそれでいいし、「夢とロマン」が溢れるものが書けたらジャンルは問わない。

ともかく、本田圭祐のように夢を宣言して、その実現のために日夜努力する。

それだけだ!!

今年は夢を実現する年にしたい。
そして、次の夢を掲げたい!!


スポンサーリンク