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【就活のアート動画を見て】就職活動の前に、自分の夢を掘るべきだった!


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SNSで面白い動画が流れてきたので紹介したい。恐怖の就職活動の現状についてアーティスティックにまとめられている。


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かつてぼくも就職活動をしていたことがあった。
何時間もかけてエントリーシートを書いて、真っ黒のスーツを着て、六本木という魔境のような町へ行った。

出版社、新聞社、テレビ局などのメディア系、IT系、海上自衛隊幹部候補生、食品メーカーなど20社くらいはエントリーシートを出した。
ほとんどは、書類選考で落ちたのだけど、5,6社は面接までいった。

書類選考で落ちまくる東大生というのは、人格に問題がある……というわけではなくて、なんというか就活には独特の技術が必要なのだ。
そして、就活に向いている人とそうじゃない人がいて、就活に向いている人が必ずしも有能だとは限らない。
というか、志望動機とか自己PRなんてぺらぺらと話せるやつなんて、うさんくさいやつしかいなかった。

知識ばっかり詰め込んで、偉い人には媚びへつらい、「こいつは利用価値がないな」と思うと馬鹿にした態度をとり続ける嫌な奴がいたんだけど、彼は就活で無敵だった。

いやー思い出すと本当に嫌な奴だった。

面接に落ちまくって、嫌な奴が受かるのを横目に見て、その時は酷く劣等感を感じたものだ。
個性を殺して平均化した上で、自分の個性を出すというのはなかなか難しいことだ。
誰にでも出来ることじゃないし、誰もがやらなくてはいけないことでもない。

ぼくは20歳半ば頃まで、自分でも抑えきれないくらい強烈な我を持っていて、かといって表現の仕方を知っているわけでもなかった。
その時は文章もうまく書けなかった。

表現したい内容を持っているのに、表現する方法を知らなかった。ピアノが弾けないピアノ弾きは、ただ無念さだけを引きずって生きるしかないのだ。
誰からも評価されない。面接にいくと「なんで来たの?」というような主旨のことを言われる。

某出版社で「夏目漱石はつまらないと思います」と言ったら、酷く憤慨されてしまった。
でも、ぼくはつまらないと思うんだからそれでいいじゃないか。夏目漱石とエヴァンゲリオンを比べて、夏目漱石のほうが面白いというやつは、ちょっと変わった感性を持った現代人だと思う。

もちろん、思想史的な価値は高いし、文章力も尋常ではなく高い。しかし、面白くはない。

「夏目漱石はどう思いますか?」と問われて何と答えれば良かったのか。

「漱石がイギリスに渡り、外から日本という国を見て初めて、自分が日本人であることに気付いたというエピソードが印象に残っています。ぼくも初めて海外に行ったときに……」とか言えばいいのだろうか。全然模範解答がわからない。

自己PRだってそうだ。

自己PR? 今からあなたをPRしてください。

「ぼくはボランティア活動をしていて…… 家族を愛していて…… 世の中のためになるような仕事がしたいです」

そんなの嘘つきじゃないか。本気で思っているならそれでいいけど、飲み会の話題でボランティアについて話すやつなんて誰もいないじゃないか。本当に興味を持っていることは違うはずなのに、面接の場ではそれらしいことを言えるのが就活の才能というものだ。

就職活動は詐欺師の才能がある人のほうが上手くこなせるとぼくは未だに思っている。もちろん、負け犬の遠吠えだと思う人もいるかもしれない。実際に負け犬だからね。

その後大学院にいった話をすると、重くて黒い話になるので割愛。
ぼくの物書きとしての課題の1つは、黒い過去への憎しみに囚われないようにすること。

何かを攻撃するような文章が一番強烈に書けてしまうので、読む人も、書いている自分も心がささくれ立ってしまう。
なるだけそうならないように、心を整えて、良い未来を胸に描き、愛する人、仲のいい人、尊敬する人に向けて文章を書くようにする。
なるだけ良い心で生きていたいのだ。

閑話休題。

就活は向いている人とそうじゃない人がいる。
向いてない人は無理にチャレンジしなくていいんじゃないだろうか。

一生務める会社を決めようとか、入っている会社で自分のステータスが変わるとか考えるから、超人気企業に人が集中してしまうのだ。
それをやめたらいい。

給料がいい会社に入ってることなんて全然ステータスじゃないよ。
ぼくは、どっかの商社に入っているとか、どっかのマスコミに入っているという理由で、誰かを尊敬したことは一度もない。
ドヤ顔して言われたら、「へぇ、凄いですねぇ。そりゃ随分稼ぐでしょう。羨ましい。」というくらいは言うかもしれないけど。

人にとって大切なのは、人生の持ち時間の中でどれだけ充実した活動ができたかどうかだ。

それを軸に考えるならば、どの組織に所属するかどうかはあまり関係がないのだ。
年収をいくら稼ぐかというのも関係ない。最近は、年収の額が人間のランクのように考える風潮があるが、それは間違っている。

年収200万でも心豊かに暮らしている人はいるし、年収2000万でもお金に追われてイライラしている人はいる。
まぁ日本の物価だと200万円ではちょっと物足りないかもしれないけど、何千万も必要かといったらそうでもない。

就職する会社は通過点と考えよ。

まず大切なのは、自分の目的を知ることだ。
自分の夢を掘り出すことだ。
自分は人生において何がしたいのかをよく考えるべきだ。

一番好きなことは何なんだ。
一番やりたいことは何なんだ。
何百時間かかってもいいから、自分と向き合って必死に掘り出してみよう。

その上で、そのやりたいことを達成するためには何が必要なのかを考え抜く。

ぼくは「作家」になりたいという夢をこの時うまく抽出できなかった。
また、そのための手段もよくわからなかった。
試しに書いてみろと言われたこともあるが、どうやってもうまく書けなかったのだ。

だから、さっさと諦めてしまった。

……作家の場合は、回り道も血肉にすることができる。どんな悲惨な経験をしたとしても、それを肥やしにすることができる。
しかし、「夢」にはタイムリミットがあるものもある。

出来るうちにチャレンジしないといけない。
どんな無謀に見える夢でも、チャレンジしないことには永遠に叶わないのだ。
手を伸ばせば届くかもしれない。

でも、どこに手を伸ばしたいのかすら自分で知らないというのでは、何のために生きてるかわからないんじゃないか?

就活ごときを人生の目的にしてはいけない。
人生の目的は、自分の中から掘り出してくるべきだ。

もちろん、どうやって掘っても自分の夢なんか見つからないという人もいるだろうと思う。
それはそれでいい。ないものはないのだ。

しかし、本当は夢があるはずなのに、自分を押し殺して、リクルートスーツを着て、「しょうがないよ、もう子供じゃないんだから……」なんて言ってはいけないのだ。

就職活動で問われるのは自己PRと志望動機。
自己PRでは、本当は「作家になりたい!」というべきだった。
「ぼくの書いたもので、世界中の人の心を動かしたい!世界をちょっとでもいいから善い方向に進めたい!」
こう言うべきだったのだ。

志望動機は素直に「特にありません。」と言うべきだったのだ。

当然、面接には通らない。しかし、自分の行くべき道は見える。
これは全ての人には勧められる考え方ではないし、どちらかというとはみ出しものの意見なんだろうと思う。

いいんだよ。はみ出し者にははみ出し者の生き方があるってもんだ。

自分を殺して平均化するなんてことはしてはいけない。

自分を探して、それを伸ばすのだ。

そうじゃなかったら、自分が可愛そうだと思わないか?


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