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映画論

感想:映画『麻薬王』 韓国目線から見た韓国に不思議な親しみが湧く。

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ここのところ不調が続いていたのだが、ふと思い立って映画を見ることにした。不調からの回復期には、エログロバイオレンスのものを見るとスカッとする傾向にある。

映画で言うと『乾き』はとても良かった。少しやり過ぎているのだがあのくらいでいい。漫画で言うと『莫逆家族』がちょうどいい。

そんなテンションでNetflixを起動すると、『麻薬王』という映画が目に入った。『ナルコス』というメキシコの麻薬マフィアのドラマを見ようかとも思っていたのだが、ドラマの場合は長くなるので映画のほうがありがたい。こちらにしよう。

直近見た映画が『日本で一番悪い奴ら』であったのでお勧めに表示されたのかもしれない。そういえば、この映画には話題のピエール瀧さんが出演していたようだ。今後見れなくなるのだろうか。

ピエール瀧さんは、村井という刑事の役をしていて、マル暴の刑事らしくヤクザと見分けがつかない風体で、クラブでお姉ちゃんのおっぱいを揉んでいた。見るも見事な悪そうな男だったのだが、あのくらい悪そうな雰囲気は、実際に悪い男じゃないと出せないのかもしれない。

麻薬中毒者がスクリーンに映っているというのはスキャンダルであると同時に、大いなる見物だ。見世物としては最高だ。もう一回見直そうかな。それとも電気グルーヴの音楽と同様に、配信中止になってしまっているだろうか。

閑話休題。

今回見たのは、『麻薬王』という作品だ。Train Spottingから始まった嗜好で、麻薬ものは好物の一つだ。健康マニアだし、お金もないので自分でやる気はしないのだが、その先にある世界、快楽には興味がある。その末路を含めて、映画で見るには最高の題材なのだ。

というわけで『麻薬王』を見始める。

見始めてから韓国映画であることに気づく。韓国映画はほとんど見たことがないのだが、エログロバイオレンスという意味では韓国映画はかなり強烈なのだという。感情的に激しやすい国民性に合致した作風というのもあるのかもしれないし、感情を極端に露出させるのは表現の手法として大いにありだ。期待しながら見始めてみる。

物語は1972年の釜山で始まる。釜山と言えば、朝鮮戦争において、韓国政府が撤退を強いられた最終防衛拠点とでも言う場所であり、日本に最も近い港湾都市でもある。釜山から対馬まではわずかに110 kmしかないのだ。

『麻薬王』は、日本との最接近地帯である釜山という街に住む仮名細工職人イ・ドゥンスクがの物語である。実話を元にしているというのだが、このイ・ドゥンスクという人物は実在しないようだ。いわゆる、ありそうな話ということなのか、何らかのモチーフがあるのかはよくわからない(昨年末公開の映画なので、日本語の情報はまだ多くない)。

この映画は、筋としては若干の甘さがあって、カタルシスもあまり感じられなかった。つまり、ストーリーとしてはあまり好みではなかった。一方で、韓国目線から見た風景が非常に新鮮で、考えさせられるものがあった。

主演ソンガンホが演じるイ・ドゥンスクの人物像

この映画で初めて知ったのだが、主演のソン・ガンホという俳優が非常に優れていて、いかにもよくいそうな純朴そうな韓国人を演じている。

男気があるようで小心者であり、時に暴力的にもなり、へりくだる相手には最大限にへりくだり、何を目的にしているのかもよくわからず、善悪の判断を司法や倫理に求めず、ケンチャナヨ(大丈夫だよ)の精神で力強く生きていく人物だ。

こういうと悪口のように聞こえるかもしれないし、ネット右翼的な文脈で言うと、こういった人物は最も憎むべき悪ということになるのかもしれない。しかし、それはあくまでも日本人として生まれながらも、権力や財力に恵まれていない状態から、こういった人物を見上げた場合に生じる、嫉妬混じりのヘイトなのである。

日本人から見た韓国人の成功者というフィルターを外して、韓国人の視点から眺めてみると、随分と見え方が変わってくる。ぼくは、この人物に好ましさや親しみを感じた。不思議な感覚である。

クズといえばクズなのだが、日本人のクズを見るのとはまた違った感覚である。純朴そうというのが一つのキーワードかもしれない。そして、実際に純朴なのだ。悪をしようとして悪をしているのではなく、悪を悪だと思わずに無邪気に実行しているのだ。

また計画性がないところもらしいなと感じさせられる。周りには狡猾で暴力的な人物が多数登場するのだが、そういった人物とは随分と印象が違う。ゴッドファーザー感もほぼなく、韓国人のコミュニティにおける「兄さん」感がとても出ている。

1970年代の韓国ローワーコミュニティ

また、釜山の貧困なコミュニティの描写がとても良かった。日本で言うならば昭和を描いた『三丁目の夕日』である。『三丁目の夕陽』の場合は、サザエさんやちびまる子ちゃんで見たような、どこか懐かしい日本人の原風景が描かれている。そこに出てくる人物は、貧困の中でも日本人らしく振る舞っているのだ。

一方で、韓国の70年代は、日本よりもずっと貧困である。何せ1953年まで戦争をしていて、その後も停戦状態が続き、東西冷戦の最前線でもあったのだ。つまり、いつ戦場になってもおかしくない土地であった。そして、資源もなく、際立った技術もなかった。

そんな中でイ・ドゥンスクが見つけたのが覚醒剤の製造と、日本への輸出であった。これは、非常に効果的な方法であった。というのも、麻薬を作って売ることでお金が儲かる。そのお金は日本が払う。しかも、麻薬が蔓延していくことで、日本が弱っていく。

日本が細り、韓国が太るという一石二鳥の手段であり、愛国的な商売なのである。一方で、麻薬を製造することのデメリットもあるのだが、イ・ドゥンスクは一顧だにしない。考えもしないのだ。その結果、破滅への道を歩んでいくことになるのだが、イ・ドゥンスクは自分の善性を最後まで疑わない。

純粋な人物であり、頼れる兄さんでもあった。ただ、兄さんがあんまりにも先を考えないせいで家族はえらいことになる。そのあたりも、韓国人らしいというべきなのだろうか。このへんは、韓国人の感想を聞いてみないとわからない(大阪人を描いた映画の見え方ですら、大阪人に聞かないとわからないのだから外国なら尚更だ)。

1970年代の韓国におけるローワーコミュニティは、やはり激情型の人物が多く、大きな声で激しい口論を展開することもある。そんな中で、イ・ドゥンスクのような身体は大きいけどぼんやりしていて、情に厚く、かといって、あまり物事を深く考えない人物は癒やし系なのかもしれない(あるいは全然違うのかもしれない)。

煮詰まるとぶち切れて殴って物事を収拾させようとするあたりも、日本人が思うような兄さん像とは異なる。日本人の場合は、一人で物事を抱え込んで相談せず、自死を選ぶような人物に年長者を感じることがあるのだが、それとは随分と違う。

イ・ドゥンスクとその妻は、麻薬成金となった後は、クラシックミュージックなどをたしなむセレブとして振る舞うようになるシーンがあるのだが、その風体がまさしく成金の田舎者であり、みっともない。

ただ、そのみっともなさも含めて、ある種の生きていくたくましさを感じる。やはり日本人と韓国人は、似ている部分もあるが、真逆と言えるくらい価値観が違う部分もあるのだろう。あのシーンは韓国人にはどう見えるのだろうか。

この感想は、この映画から見える風景であり、もしかしたら単なる勘違いばかりなのかもしれないが、こうやって色々と思いが巡るという意味でも面白い映画であった。

1970年代の韓国から見た日本の町並み

また、銀座、大阪、神戸などの日本を舞台としたシーンも多数登場する。発展途上であった韓国とのコントラスもあって、非常に美しく先進的に見える。韓国から見える日本は、憧れもあり、だからこその憎しみもあり、それを踏まえてさらに憧れるという不思議な存在だったのだろう。

憎しみもあったはずだが、それは根深いものではないのかもしれない。両国のネット掲示板だけ取り出すと、強いヘイトがあるようにも思えるが、そういうものではなさそうな気がする。とても不思議な感覚だ。

イ・ドゥンスクが片言の日本語で交渉をするのだが、これも見物の一つ。

俳優の話をついでにすると、出てくる俳優はみんな韓国人なので、日本映画で見る顔とはだいぶ違う。美醜の感覚も、日本人とは異なっているのだろう。美人が務めるべき配役も、日本人的な感覚で言うと「よりアジアン的」であり、「より韓国的」である。ああ、韓国の映画だなと顔を見ているだけでも感じられるので、そういう意味でもとても良かった。

何のこととは言わないが、ハーフのような洋風の美女と男性アイドルが出てきて、キャッキャしているだけの日本映画よりも、ずっと自国を愛しているように思えたのだが、いかがだろうか。

ヒロインの美女が、車の中でボコボコにぶん殴られて放り出されるところなんて、日本映画ではなかなか見れないだろう。

やはり良いものを見た。

最後に関係しているのか関係していないのか、よくわからない書籍を一つだけ紹介。

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