東大に11年在籍した後、タクシードライバーになりました

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映画論

『カメラを止めるな』そして、30台後半の虚無、超人、ステーキ。

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とある人から、50歳になったらセミリタイアしたいという話を聞いた。

世間一般においては、50歳でセミリタイアするのは簡単なことではないが、その方の場合は、綿密にキャッシュフローを計算して見事にやってのけるだろうなと感じた。

アリとキリギリスでいうと、アリの立場なのである。

 

50代セミリタイアと旅

 

 
 

よく話をする先生のこと。

日々、眼の前の仕事に精一杯取り組んでいる。

単に稼げればいいという考えではなく、誰かの役に立つことを第一に考えている。

休みの日は、子供とアウトドアを楽しむのだが、必ず自分も楽しめるように工夫している。

それだけではなく、50歳でセミリタイアという目標を達成するために、不労所得が増えるような仕掛けも作り始めている。


「先生は、セミリタイヤした後何をされるんですか?」

そう尋ねてみると、少し首を傾げた後、「世界中を旅してみようかなと思っています」とのことだった。

「ブラジルとタスマニア島はお勧めですよ」

と告げると、興味を持ってくれたようだ。

50歳から旅に出る――。

人によっては若い時に旅人として過ごす人もいるし、生涯旅人と気取っている人もいる(ぼくは気取っていると思うんだけど、どうだろうか)。

若い時に旅に出るのと、年をとってから旅に出るのではどちらがいいのだろうか。

一見すると若い時に旅に出たほうがいいような気がする。感性が鋭く、成長する余地を残した状態での旅は一生の財産になるだろう。

一方で、年をとってからの旅は、それまで積み重ねてきた人生を世界にぶつけることが出来るのだ。50歳にして、10代の頃のような新鮮な感覚に戻ることも出来るかもしれない。

セミリタイアして旅に出る。それはとても素敵なことのような気がした。
若い時にバックパッカーとしてすべてを燃やし尽くすよりも、ずっと色っぽいように思える。

旅。

それは魅惑の言葉。誘惑の言葉。ぼくは旅人というようなタイプではないが、旅の誘惑に突き動かされたことは何度かある。

19歳の時には京都から山口の萩市に行き、その後高知県までいくという幕末史巡礼の旅に出たこともある。

法隆寺の瓦が調べたくなって、奈良まで行ったこともあった。そういえば、奈良のビジネスホテルで、缶ビールを飲みながらサッカーの試合を見たのだった。

サッカーにまったく興味がなかった当時のぼくとしても、2002年に行われたブラジル対ドイツというカードの前には平伏すしかなかった。

あとは、電子書籍に途中までまとめたブラジル・ワールドカップ。この件、再起動が少しむずかしい形になっているのだが……。旅の話は、書き始めるのは比較的容易なのだが、書き終えるのはなかなか難しい。強引にまとめてしまうしかないのかなという気もする。

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『カメラを止めるな』と表現論

このあたりは、映画『カメラを止めるな』で学んだことが活かせそうな気がしている。

このあたりについては、ハトトカで1人喋りをしているので、映画を見た方は是非聞いて頂きたい。

『カメラを止めるな』鑑賞前妄想トーク(鳩一人喋り) | ハトトカ いつかあなたと文化祭

↑こちらは、鑑賞前に内容を予想して喋った回。

『カメラを止めるな』を語る実行委員長(ネタバレあり) | ハトトカ いつかあなたと文化祭

↑鑑賞後に、ちょっと絡めの批評をした回。

続『カメラを止めるな』を語る実行委員長(ネタバレあり) | ハトトカ いつかあなたと文化祭

↑あんまりにも大絶賛されているので日和って、批評を見直した回。

ざっくり言うと、作品は「ライブで作り上げる」という緊張感があったほうがいいのではないかということ。練りに練って、練っているうちに腐るというような状況があまりにも多すぎるので、クオリティが低くてもとにかく出すことは大事だ。

そして、自画自賛だが、クオリティが低いものを作ろうと思っても作れないというレベルには物書きスキルが高まっているはずだ。もちろん、超一流のものには及ぶべくもないが、自分の文章として発表するのに恥じるレベルにはそうそうならないだろうと思う。

 

RitaE / Pixabay

30台後半の虚無と、超人と、ステーキ

ぼくは、良い人生を、送っている。

 

たくさんのコンプレックスを抱え、周囲の人との軋轢にも悩み、何よりも理解が得られないことに対する孤独を感じ続けてきた。

ファッション感覚が足りないとか、英語がしゃべれないとか、人と深く仲良くなれないとか、運動神経が悪いとか、体が細すぎるとか、お金がないとか、女性に持てないとか、ゲームが下手だとか。

何より文章がうまく書けないという悩みと、書いても読んでくれる人がいないという悩みがあった。

色々な障害があったが、ほとんどは克服した。

私はあなたがたに超人を教える。人間とは乗り超えられるべきものである。

学生の頃に出会ったニーチェの言葉に体を震わせていたころもあった。しかし、なんというか、今は超人に近づいたのではないかと思っている。

もちろん、独り歩き出来るほど強くはないのだが、誰かといないと潰れてしまうほどは弱くはないし、だいたいのことは自分で出来る。

他人の前に出るのも怖くない。50人くらいのイベントなら、いきなり10分前に振られても登壇することが出来る。実際に、社会学についての著書がある著者さんと、5分間本に目を通しただけの状態で40分くらい対談したこともあった。

そんなぼくは、かつては対人恐怖症、赤面症で、コンビニで会計するのにも難儀したのだ。

「温めますか?」と言われるのが怖いという感覚は、わかる人にしかわからないだろう。

 

世の中、大抵のものは獲得できるものだ。

満足している。

特に不足はない。

だから、何としても表現をしなければいけないとか、文章を生産して稼がなければいけないという逼迫感もない。もちろん、保育園代が高すぎて干からびそうなので、収入は必要だ。しかし、逼迫はしていない。

稼がないと、稼げないと、自分が認められない気がするというような恐怖感は一切ないのだ。

今日、この場所で死んだとしても、ぼくは満足するし、ぼくの死を悲しんでくれる人もいるように思う。

だからといって新しいことを始めるのも面倒だ。この歳になってくると、大抵のものは結果がわかるのだ。

信じられないほど美味しい食べものは、もう世界には残っていない気がする。大体が予想の範囲を超えないレベルの味だろうし、そう思うと高いお金を払う気にもならなくなる。

超高級肉を食べる必要はない。高い焼き肉屋に行くのと、近所のスーパーで買ってきた500円のステーキ肉を、丁寧に下拵えして食べるのとでは、大きな差がないのだ。もちろん、差は感知出来るだろうが、それほど大きなものではないということを経験的に知っている。

ステーキ肉は、岩塩と粗挽き胡椒を振って、グレープシードオイルに漬け込む。その際に、ローズマリーも入れておくと味がよくなる。何日か熟成させて、常温に戻してから表面を強火で焼き、好みに合わせて、じっくりと火を通す。ソースは醤油でいい。それだけで十分美味しい。

もちろん500円のステーキなので家計的には少し贅沢なのだが、外でラーメンを食べれば800円かかることを考えると、理不尽な額ではない。

ぼくは贅沢をするために生きているわけではない。欲望を最大化させるために生きているわけではない。

しかし、克服するべき課題も減ってきている。
収入面では改善するべき課題はあるが、そこだけクリアすると、後はただ生きるだけになっていくだろう。

個人差はあれど、これが30代後半というものなのかもしれない。

この素晴らしい世界!バラ色の日々よ!

そう思っていた時代もあった。欠点だらけだった。敵だらけだった。しかし、輝ける日々だった。

一転して今は虚しき世界。日々が繰り返し、繰り返すごとに刺激が減っていく。先に待っているイベントは、親の世代との別れ、そして、次々と友人が旅立っていくようになるだろう。

こういった境地になった大人は、時に若者を支援する道を選ぶ。しかし、ぼくは他人を支援したり、応援したりすることに人生を使うことはできない。

ぼくがやりたいことは常に文章を書くことだし、より良い文章を書くことなのだ。
だいぶ経験値を得たので、勢いだけで書くのではなく、時には技術と経験でしのいでいくことも出来る。

でも、出来ることなら、真っ赤な鮮血がほとばしるような、熱い、熱い、火傷するような、熱死するような、そんな文章が書きたい。

そして、それは、練りに練って書くのではなく、集中力を高め、信念がぶれないように何度も気合を入れながら、「生放送」の中でかきあげていくしかない。書き始めたら生放送なのだ。修正は出来ない。そういう感覚がぼくにとっては大事なことだったのだ。

書き始めたら書き直すことなど出来ない!!

わずかに修正することだけは許されるが、後から直すということは考えないほうがいいのだ。

書き始めて、書き上げたら、そのまま編集者にぶつけるなり、公開するなりすればいい。

そう。人生はライブなのだ。生放送なのだ。後戻りなど出来ない。そのように考えると、あと半分くらいになった人生も刺激的に楽しめるんじゃないかなという実感が得られた。

やはり見てよかったかな。カメラを止めるな。

大切なのは出来たものが駄作かどうかではなく、どれだけ熱く取り組めたかどうかなのだ。

というわけで、この記事も、ところどころ支離滅裂だが、そのまま公開する。

カメラを止めるな!!

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