コミュニティマネージャーとしての3つの心構え【一人ブレスト】


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昨日の一人ブレインストーミングがなかなか良かった。
やはりぼくは、書きながら思考する人間のようだ。

だから、事前にプロットをたてて、道筋通りに文章を書くのは得意ではない。

といっても、ライターとして標準くらいの力はあるはずだが、強力なブロガーやウェッブライターのように1時間で10記事を量産するような技術はない。昔やっていたこともあるのだが、本当に辛かった。1記事100円の世界であった。

さておき、今日もノープランでブレストしてみよう。

テーマはもちろんコミュニティである。前回は、コミュニティのコンテンツについて考えたが、今回はぼくがコミュニティマネージャーとしてどう振る舞うかについて、書いて行く。

これまでの人生で、ぼくが追求してきたことは2つある。

1つは文章表現をすること。
二十歳前後に「ホームページ」で書き始めた頃、既に物書きとしてのアイデンティティは出来ていた。まだブログもなかった時代である。mixiすらなかった。その後も、自分の心情や感情を、文章にして伝えることを考えてきた。

どうして?

それは癖みたいなものだと思う。思わず足を組んでしまうのと同じように、ぼくは文章表現を考えてしまう。

もう1つ追求してきたのは、コミュニティであった。

バスケットボールチームを2つ立ち上げたことがあるのだが、1つめも非常に勢いがあるコミュニティとなった。が、いくつか問題もあったので、ぼくはチームを去ることになった。バスケチームの場合は、試合に出られる人数に限りがあることもあり、どうしても閉鎖的になっていく。

ある程度クローズであることは、コミュニティが形を保つためには重要なのだが、一方で、常にオープンで風通しを良くしないとマンネリ化していく。個人としては飽きていくし、全体としては馬が合わない人と同士の確執が、次第に深まっていく。

2つめに立ち上げたチームは、バスケットボールの試合で勝利するという目標を捨てて、「練習を一生懸命しながら上達を楽しむ」というコンセプトであった。バスケの能力はそれぞれあるので、勝敗を目的にすると、強い者が総取りする形になる。

しかし、「練習」と「成長」を目的とすれば、誰もが同じように目的を達成することが出来る。自分の中で、数ヶ月前よりも上達していれば達成感が味わえるのだ。学ぶ、練習する、成長するというのは、いくつになっても強力なエンターテイメントである。いや、年を取れば取るほど楽しく感じられることかもしれない。

若くして学べば壮にしてなすあり

壮にして学べば老いて衰えず

老にして学べば死しても朽ちず

若くして学ぶはもう難しいが、老いて衰えず、死しても朽ちない魂へと進むことは、誰にとっても可能だ。

バスケチームには男女比率は半々で、あわせて50名強が所属していた。

everlasting(永続する)チームにしたいと思って作り、実際に3年くらいは高活性の状態を維持することが出来たのだが、大学院に入って以来、あまりバスケをプレー出来なくなっていったこともあり、また、ドラゴンブレイカー問題が発生したこともあり、創設者のぼくは脱退することになった。

ドラゴンブレイカー問題というのは、竜を倒すために技を磨いているのに、世界中のどこを探しても竜が見つからないという問題である。

試合に出ようと思うと、どうしても中高大とバスケをしてきた上級者を中心に組まざるを得なくなる。みんなを平等に出そうと思うと、バスケという競技が成立しなくなる(不完全燃焼感が残る)。

であれば、Aチーム、Bチーム、Cチームとレベル分けして公式戦に出て行けば良かったのだが、そこまでマネージメントが出来なかった。

5人でプレーする競技(男女1チームとしたら10人)のコミュニティとしては50人は大きすぎたのだ。コミュニティをしていく上での目標を見失う。その時のチームは、人数は大きく減ったものの、時折集まってはゆるくバスケをしたり、食事をしたりしているようだ。

そういう意味では、コミュニティを作るという試み自体は成功していたように思う。

ただ、毎週集まってバスケをプレーするという縛りがきつかったのだ。

コミュニティマネージャーは可能な限り現場にいなければいけない。

これが1つめの心構えであり、鉄則である。もちろん、オンラインだけのコミュニティもあるし、違う考え方の人もいる。これは誰かに対する批判や皮肉ではなく、自分がコミュニティーマネージャーをする場合である。

事件は会議室(オンライン)ではなく現場(オフライン)で起こるのだ。

メンバーの顔を見て、話をして、問題があれば表面化する前に解決しなければならない。

ぼくがハイコミットしている状態では、それが出来ていたのだが、大学院がハードすぎたのである。バスケの練習は毎週あるし、それに伴って体育館の確保も必要だ。練習試合となれば対戦相手を探さなければならない。

ああ、これはもう趣味で出来る規模の仕事ではない。そう感じたのであった。そのこともあって、やはりコミュニティーの創設とマネージメントは、有償で行うべきだ。

無償、あるいは足が出る状態でやっていると、「ああ、これは厳しいな……」と感じた瞬間に、クオリティが落ちる、問題が表出する、求心力が下がる、崩壊するのである。

現在世の中に出ている大型オンラインサロンは、有償で、専門のスタッフを置いているからこそ機能している。その人が常に現場にいるので、小さな不満があっても、その人に伝えれば解消させるからだ。また、ある程度価格も高いので、コミュニティに合わないタイプの人は、自然と離脱していく。

一方で、ブランディングとプロモーションに長じているので、次から次へと新しい人が入ってくる。コミュニティの管理は、次から次へと入れ替わるメンバーの個人としての感情と、移りゆく総量としての感情(群集心理)をコントロールしなければいけないので、非常に難しい。

圧倒的なカリスマで支配するというやり方もあるだろうが、ぼくはあまり好きではない。上に立つのではなく、隣にいたいからだ(どうしても上に立ちたいという心情はしばしば強い劣等感のあらわれである)。

さて、そういった問題に対してぼくはどうアプローチするか。

一つにはぼくの個性と能力を活かす方法だ。
個性というのは、ざっくりいうと「人間好き」ということだ。

物書きというめんどくさい人たちは、自分にしか興味を持たない人も多い。人から意見を聞くと、次の瞬間には自説として展開し始める人もいる。こういう人は、周囲の人や環境も「自分」だと考えているのだ。同化させているのだ。

言ってみればナルシストの類である。もちろん、これは悪いこととも言い切れない。個人的にはナルシストはあまり好きではないが、表現をするためには自己陶酔は決してマイナスではない。

しかし、ぼくは、ナルシズムでは深みが出ないと思っている。どれだけ自分に酔いしれていても、酔いはいずれ醒める。死ぬ瞬間まで酔っぱらっていられたら立派なものだが、人間、年を取ると次第に酔いから醒めていくのだ。醒めたくないばかりに強情な老人になっていく人もいるが、その人の言葉には誰も耳を傾けなくなっているだろう。

大切なのは、外の世界に敬意を払い、尊重することだ。これは海洋生物研究者として自然観察を続けたことで身につけた考え方だ。

自然は自然であり、自分ではない。自分の主観によって自然を判断してはいけない。自然からのメッセージに耳を澄まし、正確に記述していく。その上で、自分の主観を乗せていく。

こういう方法は対人関係やインタビュー記事を書く際にも有効だということがわかってきたのは大学院を出た後であった。

ぼくには、その人だけが持っている雰囲気、長所、魅力を感じ取って表現する能力があると自負している。

つまり、2つめの心構えは、「メンバーの個性を最大化して、記述する」ことである。プロフィールを書くだけではなかなか伝わらない。顔役としてのコミュニティマネージャーが解釈し、伝達する必要がある。メディアの役割である。

ぼくが「人間好き」なせいなのか、ぼくが書いた文章に登場する方々は、とても活き活きとしているように見えるらしい。

こういった能力を用いることで、コミュニティのメンバー個性と魅力の最大化が可能となる。

トピック性が高い話題がある方にはインタビューをして記事を組むことだって出来る。

「どんな人でも1冊の本が書けるくらいの内容を持っている」と書いてあったのは、確かこの本。

『出版で夢をつかむ方法』


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誰でも一冊の本が書けるだけの内容があるのであれば、誰に取材しても10万字くらいのインタビューは取れるのである。ただ、インタビュー記事をする場合には、トピック性と、インタビュイーの人気や影響度が重視されるため、ざっくり言うと名の知れた人ばかりに話が行くのである。

記事を売るためにはある程度しょうがないところもあるかもしれないが、ぼくの場合は、その人をもっと知って仲良くなりたいというようなモチベーションでインタビューすることになるので、売り上げ如何はそれほど気にならない。

まぁまぁ全員のインタビュー記事を作っていたら死んでしまうので、流石に難しいのだが、今考えているインタビューサイトの運営は、コミュニティのメンバーに手伝ってもらいつつ出来るといいようにも思っている。一方で、まったく別プロジェクトにしたほうが風通しがいいかもしれないので要検討だ。

こういった「魅力の最大化」を続ける上で、必然的に本の出版が視野に入る。何せ、誰でも1冊の本を書くだけの内容があるからだ。コミュニティ内に編集チームを作り、次々と著者が生まれていくなんてことになるととても面白い。

栄華を極める箕輪編集室と似ているかもしれないが、ちょっと違う。編集者の発想で作るコミュニティではなく、ゼロからイチを作る創作者の発想に基づくコミュニティだからだ。

さて、「メンバーの個性と魅力の最大化」というミッションに成功した後は、同じ傾向を持つ人とのさりげないマッチングを行う。

バスケチームに新しい人が入ってきた時には、その人の居場所と、そこにいる価値を作る必要がある。特に女性の場合には、重要だった。中にはコミュ力が高い人もいて、全員に自分から挨拶をし、努力して顔と名前を覚えることもある。が、そんな人は希だ。

ほとんどの人は、周りの人をよく知っていて、自分が理解されている状態じゃないとなかなか力が発揮できないのである。この理論で行くと、自前のコミュニティがあると、自分の能力も最大限に発揮できるようになっていくだろう。

なので、新しい人を、既存の位置に溶け込ませていくことは重要だ。良好な関係性が場にあることは、コミュニティマネージャーだけではなく、参加者一人一人も、力を発揮できる土台になるのだ。

コミュニティマネージャーは、メンバーの適切なマッチングを行う必要がある。

これが3つめだ。

もっとも、こういう試みを続けていくと、あまりにも心地よくなりすぎて新規の人を受け付けなくなっていくという状況も生じる。だから、人と人をつなげるのと同時に、その仲が恒常的にならないように調整する必要がある。どうするかというのはケースバイケースだ。

どうするべきかは、現場に居続ければ自然と分かる。

コミュニティマネージャーは常に現場にいなければならない。

その場にいないと絶対にわからない。

そして、最後に必要なのが、「刺激物の投入」だ。コミュニティが完成した後は、衰退への道となる。それはそうだ。物事はそういう風になっているからだ。

エントロピーは増大し続け、やがてうるさく感じられるようになる。そうなると、コミュニティの求心力が落ちていく。なので、破壊する必要がある。エントロピーは破壊するしかないのだ。

具体的に言うと、刺激物を投入して既存の枠組みを破壊する。これをしないと、確実にマンネリ化する。ぼくがやりたいのは、everlasting communityなので、メンバーが同じ老人ホームに入るくらいのところまで想定したいのである。

破壊するには刺激が必要だ。
そして、破壊した後には再生させないといけない。

それは新たなる誕生であり、創造である。

ゼロからイチを作る力が必要になる。それは作家の職分なのである。

コミュニティを作ることは誰にでも出来る。著名人なら人を集めることも出来る。しかし、破壊と再生は殊の外、難しい。なので、大型のコミュニティは、脱退者よりも多くの加入希望者が増えるように、プロモーションに力を入れる。

これはバブル的な構造なので、弾ける時は弾けるだろう。今流行っているコミュニティがずっとあり続けるわけではないだろう。大型のものは、著名人の求心力が続き限りは持つだろうが、そうではないところ、つまり、特にコミュニティの居心地の良さ、メンバーの仲良しさのようなものが売りになっているところは、長期的に持たせるのは非常に難しいように思う。

参加者が個性を最大化し創造的になる、刺激的で持続的なコミュニティ。

名前はまだない。

初期に人が少ない状態をどう乗り切るか、どうやって告知していくかが鍵になるかもしれない。しかし、そういう時こそ、打ち合わせという名の飲み会を乱発するチャンスでもある。

最所から正式リリースしないでβ版というか、第ゼロ期みたいなものをリリースしてもいいかもしれないな。うーんもうちょい考えよう。

思いつく限りにざっくり書いたものに後から「3つの心構え」というブログらしいタイトルにしたので、若干整理し切れていないところもあるが、コミュニティマネージメントについて思うことは概ね書けた。

こちらは前日に書いた具体的にどういうことやろうかを考えたブレスト記事。
オンラインコミュニティ計画、本格始動!! | はとのす


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