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ぼくのように仮想通貨に投資しないほうがいい人もいるというお話

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毎日ブログを書こうと決意したこともあり、ネタになりそうなことは何でも書くことにする。

今日は「仮想通貨」について書いてみよう。

「はとのす」で金の話が出ることは滅多にない。あるとしても「金がない」という猫の餌にもならないような低レベルな話題だけである。

実際のところ、仮想通貨とか、Fintechとか、ブロックチェーンの技術とかにはあまり関心を持っていない。それ以上に「投資」にも関心が薄い。

性格的なものなのだろう。リスクの大きな取引は苦手なようだ。ギャンブルをすると冷静な判断力を失うと自分でもわかっているからかもしれない。

もちろん、仮想通貨取引はギャンブルではないだろうし、正しい情報の元で堅実に運用すれば利益を得ることも出来るだろう。

ただそれは、得意な人がやるべきことで、苦手な人が無理してやるものでもない。

ぼくは文章を書くのが好きだし得意だから、文章を書く。お金を増やすのが得意な人は増やせばいい。

ぼくだってお金が増やせるなら増やしたいところだが、向いていない人もいるのだ。

いや、誰にだって出来る。
ぼくにだって出来るかもしれない。
無理をしてでも金策して
仮想通貨に投資したら
来年には億万長者だ!!

もし、そう思うような日が来たら?

ぼくのような人間が、投資熱に浮かれたとしたら、恐らく1,2週間後には大暴落するだろう。

こういう話をご存じだろうか。世界大恐慌の直前のニューヨークはバブルの熱狂の中にあった。投資すれば必ず儲かるという状況が続いていた。

そして、靴磨きの少年まで、どの株を買うべきかを真剣に語り始めたのだ。

靴磨きの少年とは、資本主義社会における底辺層である。そこまで投資の熱が移った時、市場は破綻する。

だから、これは宗教のようなものだ。ぼくは、投資が出来ないし、投資しようという気になったときは「もう投資の旬は過ぎている」と自戒するべきなのだ。

仮想通貨についても、投資の旬は過ぎたかなと思う。あと1年早ければ、ぼく程度の人間でも資産を増やすことが出来たかもしれないが、今からでは非常に難しい。

今はアクターも多く、流れも繊細になっていることだろう。深い関心を持っている人ならある程度読めるかもしれないし、失敗したときは、その理由を租借することも出来るはずだ。

しかし、ぼくには難しい。

実は仮想通貨については、少し前から知っていた。もちろん単語としてビットコインは知っていたが、実感がわく身近なものとして1年前から認識していたのだ。

そう、渋谷の書店で働き始めたのが昨年の1月なのである。そのときにはFinctech(Financial Technology)やブロックチェーンについての書籍が多数置かれていた。

人工知能(AI)などと同じように、一種のトレンドになっていたのだ。とはいえ、ブロックチェーンの本は売れなかった。知る人だけが知るものとして、書店の片隅にずっと置かれていた(そして、9月頃から飛ぶように売れ始めた)。

特に売れてたのがこの二つ。

これは11月くらいに出た本だけど面白そう。

こう参考書籍を並べてみても、ぼくはブロックチェーンについて、専門的な説明が出来ない。仮想通貨の流通を支える技術のことなのだが、どういう概念なのか理解しきれていない。そこまで関心がないからといえばその通りなのである。

ブロックチェーンが面白くて面白くてしょうがないと思えるならば、その帰結としてビットコインへの興味も高まり、自然とビットコインを使うようになるだろう。結果、仮想通貨取引でも先陣を切ることが出来る。

今、仮想通貨取引は、コンビニで売っている「楽して金儲けムック」にも載っている時代になった。ビットコインやリップルを購入すれば、それだけで資産が何倍にも増えるというような安易な紹介がされているのだ。

そういうものを読んで仮想通貨投資を始めた人は、ブロックチェーンのことはよく知らないのではないだろうか。

ニューヨークで靴磨きをしていた少年と同じだ。知識はなく、ただ単に金持ちになりたいという欲望だけがある。こうなると、かなりの高確率で失敗するだろう。

資産を失い、絶望し、怒号を放ち、泣き叫んで崩れ落ちる。それを見て、投資に浮かれていた群衆の気持ちは冷める。結果、バブルが崩壊する。そういうことなのだろうか。

ぼくは、偉そうな大学の経済学科に入学したくせに、マクロやミクロの経済学とは、とことん相性が悪くて全然理解できなかった。だから、このあたりはもっと良い説明があるのだろうと思う。

ともかく、ぼくのように、ブロックチェーンに興味が持てないような人間は仮想通貨投資をするべきではない。

ぼくはそう考えた。違う考えの人もいるだろうが、それは人生哲学の問題であって、どちらが正しいかはそれぞれが決めれば良い。

仮想通貨の敵

これも、あまり詳しくない話を書くことになるので、おしかりを受けるかもしれない。それもまた勉強なので、そうなったら追記することと覚悟して、書き進めよう。

ぼくが、仮想通貨に投資するリスクとして、1番強く感じるのは、敵が巨大すぎることである。

仮想通貨と相対するのは、現実の通貨である。円とかドルとかペソとかポンドとか、そういうやつである。

仮想通貨と現実の通貨の相違点には、ぼくが知らないことを含めて色々あるのだろうが、最も大きなものは「国家」が背後にいるかどうかである。

そもそも通貨とは紙切れに過ぎない。一万円札という紙には一万円の価値はない。特殊な加工はしているが、せいぜい500円くらいしか掛かっていないのではないだろうか(調べたら20円だって!!やっすーー!!)。

価値の低い紙切れが、高級品として流通する背景には国家の威信がある。国が価値を保証するからこそ、通貨は通貨としての価値を持っている。

国家の威信が揺らぐと、大量の紙切れになってしまうことは、ソビエト連邦の崩壊や、ジンバブエのハイパーインフレなどを目撃してきた我々には実感が湧くことだろう。

一方で、ビットコインなどの仮想通貨は、発行元が国家ではない。

では誰が発行しているのか。これも、全然詳しくない話なのだが、中央管理者がなく、不特定多数の参加者がマイニングという作業をすることで通貨の流通量が増えていく仕組みになっている……らしい。

中央集権的ではなく、個別にやりとりし合うP2Pの技術を使っているとのことだ。

P2Pは知らなくとも、Winny、Share、WinMXなどのツールなら知っているという方はいるのではないだろうか。
どこかのサーバーにアップロードされたファイルをダウンロードするのではなく、どこぞの誰かのパソコンと直で繋いでファイルを交換するというやり方がP2Pである。

それがどうやってブロックチェーンという技術に発展したのかまでは、ぼくには説明できないのだが、ともかくそういった流れの先にあるものらしい。

Winnyは、東京大学の講師であった金子勇によって作られた。その金子氏がどうなったかというと、でっちあげのような罪で逮捕され、長らく裁判をする羽目になった。

某府警の職員が勤務時間中にWinnyをしていた結果、重要なファイルを流出させてしまったのである。それはそうだろう。重要なファイルが入っているような端末でP2Pに繋ぐべきではないことくらいわかってから使うべきなのだ。

しかしながら、金子氏は逮捕された。Winnyを使って悪事をする人間が多いため、Winnyを作った人間を捕まえようという発想である。

包丁で人を刺す事件があったので、包丁を作った人物を逮捕したわけである。

この件は、仮想通貨とは関係ないようで、少し関係があるかなと思っている。

仮想通貨の敵は、日本で言うと円であり、さらにいうと国税庁とか財務省であり、要するに日本国なのである。

厳密な意味で敵ではないかもしれないが、敵視される可能性はあるし、そうなった場合には脆弱だ。こじつけたような罪で主要人物が逮捕されれば10年近く裁判に明け暮れる必要があり、分野の進展が止まる。

こんなこともあった。

主要人物が逮捕されている状態では、仮想通貨を買おうと思う人減るだろう。

仮想通貨は、国家という冷たく利己的で巨大な壁と戦わなければならないというリスクがある。そして、そうなった場合には負ける可能性が高い。

通貨発行権は、国家運営の肝であるため、そうそう融通を利かせてくれるものではないだろう(と、ぼくはぼんやりと思うというレベルの話である)。

最近あまり更新していないが、近々復帰しようと思っているVALUというサービスがある。ここでは、自分の株(VA)を発行し、ビットコインを通じて売り買いすることが出来る。

これを始めるときにビットコインについて考えた。

果たして、政府はビットコインやVALUを容認するだろうか。仮想通貨の関係者が、官公庁に根回し出来るだろうか。

主要人物の顔ぶれを見て自分なりに考えたのだが、ちょっと難しいのではないかと思った。

どうしてかというと、たぶん気が合わないだろうなと感じたからだ。これは100%主観である。

しかし、監査法人とか、日本銀行とか、経済産業とかに務める友人たちと、仮想通貨関係の人が仲良く同じ夢を見るとは思えなかったのだ。

古き強靱な壁の中で生きる人々は、仮想通貨の夢には踊らない。そういうタイプの人たちではないのだ。自分たちのシステムに組み込めるかどうかしか考えないだろうし、組み込めないなら潰すだけなのである。

もちろん、お小遣いをちょっとやりくりする程度には投資するかもしれない。けど、それ以上はないように思えた。
これはもう、1億%主観で、根拠はない。単に自分がそんな気がしたというだけだ。

最後にちょっと感じの悪い話をしよう。

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成金にはなりたくないというお話

何年か前に機会があって、とある取引でがっつり稼いで人たちが集まる場を覗いたことがある。しかし、なんだかとても辛かった。

少しも楽しい気持ちにはならなかった。

もっと嫌なことを感じたのだがそれを書くのは自粛しよう。

がっぽり稼いだ人たちの集いであることは後から聞かされたのだが、どうもそこにいたのは「億単位」で稼いだ人ばかりだったらしい。

後から聞いて、これが成金というものなのだなと思った。

これも感覚的な話なのだが、元から金持ちの人と、汗水たらしてで稼いだ人と、あぶく銭を稼いだ人では雰囲気が違うのだ。

元から金持ちの人には、金のほうが好んで寄ってくる。

自分で稼いだ人は、金に同情されつつも何だかんだで愛されている。

あぶく銭を稼いだ人のところにいる金は、逃げ出すチャンスを虎視眈々と狙っている。

3つめが成金というものなのだが、これが非常に怖い。ぞっとするのである。何にぞっとするのかというと、その人達のところから金が逃げてしまったら何も残らないという残酷な事実が見えてしまうからだ。

元から金持ちの人には気品が残る。高貴な死を遂げれば良い。太宰治の世界である。

自分で稼いだ人はもう一度稼げばいい。それだけの胆力がある。

しかし、あぶく銭は二度と稼げない。そして、金を稼いだことによってプライドが肥大してしまっているため、再び俗人の暮らしには戻れないだろう。

どういうわけか、覇気がなく、体型も整っておらず、服装もどこかだらしなく、髪の毛は脂ぎっている人が多かったのだ。

どうしてなのだろうか。そこには生命の躍動感を感じなかった。

最もこれは好みの問題かもしれない。

補足しておくが、仮想通貨成金に対して誹謗中傷しているわけではない。ぼくが例示しているのはまったく関係ない類いのあぶく銭である。

仮想通貨関係では、どちらかというとしっかり考えている人のほうによく遭遇した。

さておき、あぶく銭の集いを見ると、お金を稼ぐこと以上に大事なのは、お金とどう付き合っていたいかということだろう。

金持ちに金が寄ってくるのは、金とのつきあい方を知っているからなのだろう。

見直すべきなのは、投資先ではなく、自分と金との距離感や付き合い方、添い遂げ方なのだろう。

そういう意味でも、ぼくは仮想通貨に投資するというステージに達していなかった。

元手はなかったのもあるが、後から逆算すると年利18%で借りてきても十分ペイすることは出来ただろう。もっとも税金まで考えるとそれで得したかどうかはわからない。

それに、投資のために考えて、神経を使っている暇があったら本のことを考えたり、文章を書いたり、家族と過ごしたりするほうが、ぼくの人生にとっては有意義なのである。

非常に主観的な記事を書いてしまったが、たまにはこういうものもいいだろうか。そして毎日書くと言いいつ、6000字の記事を書いていたら身がもたない。しかし、一度書き始めるとなかなか止まらないのだ。職業病である。

ぼくは投資では稼げないだろうが、印税で一発逆転は不可能ではない。そういう意味では、いきなり大金を手にしてパニックになる可能性は残されている人生だ。

そういう意味でも、自分のために、自分らしいお金との付き合い方をしっかりと考えておくことが大切だろう。

ぼくは、夢を持つ若者の話を聞きながら、お酒を飲んだりとか、子供と冒険に行ったり出来たらいいかな。そのくらいだったら、大金はいらないのよ。

稼ぐ必要のあるだけ稼ぎ。自由に生きていく。

数年前に、年収150万円で自由に生きるという趣旨の本を読んで、大変素晴らしいと感じたことがある(だけどぼくは東京を愛しているし、東京暮らしが大好きだ)。

稼ぐことよりも、どれだけ稼げば幸福になれるかを考えることのほうがずっと大事なのだろう。

というわけで、全然稼ぎが足りていない零細作家は、いくら必要かをこれから妻と話し合ったあと、もう少し頑張って稼ぎます。

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