美味しいハイボールを飲みながら、飲み物と人生について思いを馳せる。


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お店のエースドリンカーと話していると美味しい飲み物を作りたくなる。
例えば、カフェラテを美味しく作る際には、スチーマーをどのように扱うべきか、どのような根拠を持って最終的な到達点持っていくかについて自分なりの理論、方法論を持っているので、非常に説得力があるのだ。

思えばドリンカーだけはやったことがなかった。厨房に入る仕事はしたことがあるが、ドリンクだけは作ったことがなかった。苦手意識があったのかもしれない。思えば文章を書く際に、食べ物の味についての言及は細かいが、ドリンクについては非常に大まかである。

大いに反省した。これまで何千倍もコーヒーを飲んできたが、コーヒーについて自分は無知であった。カフェラテにも、ラテマキアートにも。

反省したので、美味しいハイボールの入れ方を調べてやってみた。

グラスをキンキンに冷やし、アイスを入れる。
その状態で、少し冷凍庫で寝かした(これはオリジナル)。
冷凍庫から出し、スプーンで氷をかき回す。
ウィスキーを少し多めに注ぐ。グラスが冷えているのでかなり冷たい状態になる。
そして、炭酸水を、氷にかからないように優しく注いでいく。
最後に縦にスプーンをいれて軽く撹拌する。

飲んでみて驚いた。
衝撃を受けたといってもいい。
桁違いに美味しい。今まで飲んできたウィスキーのソーダ割りとは別の次元の飲み物だ。

このドリンクなら一杯1200円と言われても、違和感を感じないだろう。

味の表現、文章的な表現は難しい。
あえて言うなら、「ほどよく混ざっていない」というのが適切かもしれない。ウィスキーもソーダも、それぞれ独立した風味、味わいを持っているのだが、対立せずに仲良く調和している。

後味も複雑で、炭酸の爽やかさがすーっと口の中を撫ぜて、弾けていく。その後に、少しずつ重いウィスキーがのしかかってくる。最後にのそっと存在感をみせたと思ったら、すーっと消えていく。最後には、山の中で飲んだ湧き水のような清涼感が残った。

口の中に幸福だけが残る。

普段飲んでいるハイボールは同じ材料なのに、これよりもはるかに雑な代物だ。色付きの炭酸水というほうが適切だろう。いつものフォアローゼズが、高級ウィスキーのような味わいになった。

しかし、何が良かったのか。

水の比重、ウィスキーの比重、炭酸水の特徴、グラスの計上、氷の特性、それらの相互作用について把握していないと、この答えは出ない。理論的な裏付けが必要だ。

ぼくは食べ物よりも飲み物のほうが好きだ。
子供の時からずっとそうだった。
食べ物は、あくまでも肉体を維持するための糧に過ぎない。

でも、飲み物は違う。飲み物なんて、極論すると水だけあれば十分なのだ。
飲み物は、必要だから飲んでいるのではない。飲みたいから飲んでいるのだ。

生きていくのはとても辛いことだ。
充実した人生を送ることは難しい。
家族がいようが、子供がいようが、仕事が楽しかろうが、人生は辛いものだ。

だからこそ、飲み物が必要なのだ。
もっと飲み物について考えよう。

だいぶ前にお酒について色々と調べたことがあったが、あまり身につかずに終わった。恐らくその時は、本気で飲み物を求めていなかったのだろう。

冷凍庫でグラスが冷えた頃だ。もう一杯作ってみよう。

二杯目は一杯目より美味しくなかった。
なぜだろうか。
氷がなくなってしまったので少し不足していたせいか。あるいはお酒と炭酸水の比率だろうか。
思えば1杯目のほうが濃かったかもしれない。物足りなくなったのはそのせいだろうか。

考え始めると面白いものだ。

昔飲んでとても美味しかったマティーニというカクテルがある。キングオブカクテルと呼ばれていて、アマチュアとプロではまるで味が違って思えるのだそうだ。

ずっと若い頃にうっかり迷い込んだダイニングバーで適当に注文したのがマティーニだった。

氷を飲んでいるような透き通った冷たさで、胸をかき回すような破壊力を感じた。

ああ、そうだ。それに触発されて、バーセットを買い込んだのを思い出した。シェイカーも持っていたんだった。

ドライ・ジン、チンザノ。それだけで作れるはずなのに。
同じ材料を仕入れてきても、ぼくが作ったマティーニは苦くて、喉につっかえた。最低最悪の味であった。

それに挫折して、凝った飲み物を作るのを諦め、冷凍庫でギンギンに冷やしたボンベイサファイヤをラッパ飲みするだけのどうしようもない生活に陥っていくわけだが、それはまた別の話。

ああ、そうだ。
ついでながら、これまでに飲んだ最高のお酒の話もしたい。
老朽化した研究調査船の中で、ずっと海の上で生きてきた船長の話を聞いた時の話だ。

船長の最後の航海に偶然乗り合わせたのだ。
研究調査船には、乗組員が過ごすスペースと、研究のためのスペースがある。

そういえば写真が残っていた。
これは、研究調査船から、漁網を投下した後、ワイヤーが何メートル出ていて、どのGPS座標に船がいるのかを記録していた時の写真だ。外はクレーンなどもあるし、海に落ちたら一巻の終わりなのでこんな服装をしている。

船長は、最後の航海で、とっておきのウィスキーを出してくれた。これは何ていうお酒ですか?と聞いたら、「マッカラン
」と言っていた。まだ買ったことがないのでわからないが高級なお酒だ。

船長は特別な氷を用意してくれた。
その氷はグラスに入ると、シュワシュワと気泡を出した。
聞いてみると、南極海へと後悔した時に、網で流氷を捕まえてそのまま保存していたらしい。

「南極はうまいものもないし面白くないから、氷だけが狙いだな」

昭和の銀幕スターのように渋い表情をして、そんなことを言っていたのをよく覚えている。

あのウィスキーは美味しかった。
南極の氷も、最後の航海を終えようとしている船長の横顔も含めて、本当に良い思い出だ。

最近は、あんまりネガティブなことを言わないように注意しているのだが、酔って吐き出したくなるようなこともある。特に自らの不甲斐なさについては、どれだけ厳しく言及しても言い足りない。

一体、自分は何をやっているんだろうか。

もうやめられるものならこんな人生はやめたい。そう思うことも多い。未だにそんな日もある。
でも、もうやめるわけにはいかないところまで足を踏み込んでしまった。

ぼくのことが大好きで、どこまでも追いかけてくる息子を残して、やめるわけにはいかない。
少なくともパパのことがどうでもよくなる年齢までは生きていたい。

息子とお酒を飲んでみたいな。
大きくなった娘とも。
酒飲みに復帰した妻と飲む日はもう近いかな?

その時、何を思うだろうか。

それが、人生で一番美味しい酒になるだろうか?

そこまで一生懸命、生き抜いてみないとわからない。

今日は、疲労が取れず、うまく集中もできなかったので原稿は進まない。
体調も芳しくなく、精神状態もいまいちだ。

けどまぁ、夜半に1人で飲むハイボールが美味しいのならば、まぁまぁの人生なんじゃないだろうか。

明日は文章を書く時間はない。明後日も、その次も怪しい。

けど、どんなに忙しくてもプロットなら打てる。
プロットというのは大まかに言うと、箇条書きの構成メモのようなものだ。

そのプロットすら打てないのはただの甘えだ。
そして、プロットだけ打てれば仕事は取れる。

良い文章にするには作家が魔法をかけなければならないが、優れた編集者はプロットから魔法使いの能力を推し量ることが出来る。

しかし、最後には魂を削った執筆時間が必ず求められる。

書店員の仕事は逃げ場ではない。人員の都合で最近はカフェ店員と代理店長化しているが、それも逃げ場にしてはいけない。作家業も逃げ場ではない。

どこへいっても逃げ場などなく、あるのは戦場だけだ。

最近は外に出た効果もあって、驚くほど大きな仕事が向こうからやってきてくれる。この状態で、著作を増やしていけたら、必ず道は開ける。それは予感ではなく確信だ。

それぞれの戦場で戦い、勝ち続けよう。それが、ぼくの選んだ生き方だ。

ま、家族といる時間だけは逃げ場だと思ってもいいかもしれないけど。


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