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書評

雑感『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』

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漫画カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生
を読んだ。
非常に癖のある作品ではあるが、色々と言いたくなる作品であった。
せっかくなので忘れないうちに書き留めておこうと思う。

この本のテーマを大雑把にいうと、「表現」に憧れる自尊心が強い人の人生が描かれている、ということになるだろう。

・歌手志望の女
・お笑いオタクの男
・詩人に憧れる男
・駆け出しライター

「あーこれわかるな」と思うと同時に、こうなっちゃおしまいだとも思う。

カフェでかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生

非常にプライドが高い歌手志望の女が主人公の漫画。
一瞬、ヘルタースケルターのりりこを思い出した。
歌手としてデビューしたいがために、身体を使って営業していく様が非常に痛々しい。

歌手になりたいという夢を描く主人公のカーミィには、決定的に欠けているものがあった。

それは、「表現したい何か」である。

歌手になって有名になりたいという欲望だけがあり、それによって優越感を味わいたいという自己顕示的な願望だけが浮かび上がってきている。

例えば……

「人生は辛いことが多くて、笑顔を失っている人がたくさんいる。だから、その人達に少しだけでも安らいでもらえるように、私は頭の中にお花畑を描いて歌うの!!! 誰に何と言われようとも、それが私にとっての歌なの!」

こういうことを本気で貫き通しているならば、売れる売れないは別として、「表現したい何か」は存在している。しかし、カーミィの場合には、どうして歌手になりたいのか、歌手になって何を伝えたいのか、それが全くわからない。

有名になりたい
手段は問わない

これだけがカーミィを支えているものである。何と薄っぺらいことか。
仮に成功したとしても、周囲の人の成功に嫉妬するだけで、決して幸福な表現者にはなれないだろう。

彼女は山を登っているつもりかもしれないが、向かっている方向は崖の下なのである。

ダウンタウン以外の芸人を基本認めていないお笑いマニアの楽園

これはいかん!本当にいかん!

「俺が評価してやるよ」的な上から目線が、いかに女性にもてないかというお話。サッカーでもこういう人一杯いるよね……女性にもてるかどうかはよく知らないが、こういう人にサッカーの解説をされても全然面白くないのは間違いない。

「あー、高橋ね。最近マシになってきたかな。ただね、まだミスが多くてあいつのせいで負けることもあるから、俺はまだ認めてないね。やっぱりアマラオだよなぁ。え?アマラオ見たことないの?あれはサッカー選手の理想型だね。」

こんなこと言われてもムカムカするだけで全然面白くない。

「あー、高橋ね。今、すごく重要なポジションをしていて、攻守の要なんだよ。日本代表選手だし、何気にイケメンだから人気もあるよ。高橋がどこにいるか、時々気にしながら見てみると面白いと思うよ。」

アンカーがどうのとか、4-3-3がどうのとか、オフザボールがどうのとか、いちいち言わない。専門用語がわからない相手と知って専門用語を使って説明するやつは「馬鹿」である。

お笑い論についても駄目駄目。
突然ボケて、相手にツッコミを要求するという時点で、全然お笑いがわかっていない。

お笑いとは「関係性」である。
コンビの場合には、その2人が実は仲が良いというのがわかっているからこそ安心して見ていられるのだ。多少ふざけていても、そこに友情があると信じているから、笑えるのだ。

不仲と言われるコンビの場合、何かハラハラしちゃって見ていられないし、それ以前に寒々とした空気感が漂うので何となくわかってしまうものだ(それを乗り越える達人芸というものも世の中にはあるだろうけど)。

ダウンタウンの場合は、先鋭的なお笑いをしていたという以上に、子供の頃から仲良しであったことが大きく作用している。ピン芸人のお笑いはちょっと別枠なのだが、コンビ以上のお笑いの場合、「関係性」をどう感じるかが非常に重要なのだ。

この主人公は、ビタミン寄席のネタ見せにも行っているのだが、あえなく落選したようだ。
ただの素人にいきなりツッコミを要求してしまうという意味ではこの人は、天然ボケであり奇人である。
そういう自分を出し切れば、もしかしたらいい素材になるかもしれない。

しかしプライドが高いから、格好いいお笑いをやろうとしてしまうのだろう。本当は、みっともない自分を笑われるほうが適正がありそうなのに、スケッチブックを使って笑わせてやるというネタを選択している。これからスケッチブックネタで世に出るのは不可能だとぼくは思う。

いや、ネタの精度で勝負するのもかなり厳しい。やはり、ぼくは「設定」で売るべきなんじゃないかと思う。
例えば……と考えたけど、そこまで踏み込んでもしょうがないので、やめとこう。お笑いは趣味であって、論説の対象ではないのだ。

改めて読み直して考えたが、この人は自分のことをボロカスに言ってくれる相方を探すといいのかもしれない。しかし、この人と、三四郎の小宮は何が違うんだろう。もちろん、何かが明確に異なっているが、うまく言葉にならない。

恐らくそれはタレント性というものだと思うんだけど。

空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガーの恋

詩人になると言い張り、バンプの歌詞をブログにアップし続ける男の話。
これは、1番何とかなりそうな人。

表現した何かがあるけど、多分この人は「詩」には才能がない。あるいは、詩の表現技能が全然足りない。それは、引用されているバンプオブチキンの詩と比べると明瞭である。

最後に転身して違う道を目指し始めたところが、良い兆候。自分を表現しないと満足できないタイプの人というのはいるが(ぼくもその1人だけど)、表現する方法は多様にある。それは歌なのか、詩なのか、小説なのか、エッセイなのか、ダンスなのか、旅なのか。

表現手法を定めたら、後は食えるかどうかというハードルが待っている。ぼくはそこだな。

口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持ってかれる漫画

もう痛くてみてらんない……
出版業界は魔物がいっぱい。大手出版社に就職しようとしていた(結果は知らない)知人が、まさにこの嫌な奴と同じタイプ。ほんと揚げ足取りと上に取り入るのだけうまくて、本当に腹が立つやつだった。

企画を盗む編集者もあるある。ほんと、この世界に憧れる下っ端は食べ物としてか思われてないのかもしれない。ぼくも半年ほどたっぷり搾取されたからよくわかる。

自分の表現物は自分でしっかりと権利を持っていないと大損してしまう。

表現者は誰かの食べ物じゃないのだ。

テレビブロスを読む女の25年

テレビブロスを読んでいた女性に知り合いはいないけど、こういう人いるよなぁ……

家は高円寺だろうか、出世したら表参道とか。


なんだか好き勝手書いてしまったが、こうやって色々言いたくなるのは優れたエンターテイメントだからなのだ。

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