無能の人。本を売る日々。


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本を売るのは本当に大変だな、と実感する日々。

某出版社の編集長が「本は出してからが大変なんですよ」と言っていた意味がようやくわかってきた。

本を書くのも尋常ではなく大変であったわけだけど、それには締め切りがあるため「瞬発的な仕事」であった。一方で、本を売るという試みは、その気になればいくらでも時間も労力も使えるという意味において「長期的・持続的な仕事」である。

本を書くのは「エイヤアアアア!!!!」と叫びながら何とか決着をつけることは出来た。しかし、本を売る仕事には終わりがない。

もちろん、本を売る大変さが身に滲みるというのは、かねてより望んだことであるのは間違いない。今、ぼくは、自分が登りたかったステージで、自分が歌いたかった曲を歌っているのだ。

そういう意味では幸せの極致と言えるだろう。

要するに、幸せというのは、快適とイコールではないのだ。


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さしあたって一番恐れているのは、次回のカードの支払いだ。まだブラジルの航空料金とか乗っているので、なかなか恐ろしい額だ。

これを何とかクリアするためには現金収入が必要で、そのためには本を売らないといけない。しかし、本というのは、一部のヒット商品を除いて、そう大量に売れるものではない。

そして何よりも、自分が書いた本を人に対して自信を持って勧めることは難しいのだ。

「ぼくが書いた本、めっちゃ面白いです!こんなに面白い本はありません!絶対に損はさせません。読んで下さい!!」

こんなことが言える人はいるんだろうか?
自分が書いた本が、読者にとって面白いかどうかは保証できない。それまで生きてきた人生や、読んだ時のタイミングにもよるだろう。

「もしかしたら面白いかもしれないけど、もしかしたらあんまり合わないかもしれない。でも、一生懸命、心を込めて書きました。是非、あなたに読んで欲しい!!」

著者としては、こういう言い方が精一杯。

作品というのは自分そのもの、自分の人生そのものだから、どうやってPRしたらいいのか正直よくわからない。

書いてある内容と、込めた気持ちを伝えることは出来るけど、面白いかどうか、読者が得をするかどうかは、闇の向こう。著者には決してわからないことなのだ。


劇画家のつげ義春の作品で『無能の人』というものがある。10年以上前に読んだ作品なので少し記憶が曖昧だが、以下のようなあらすじである。

主人公には妻と子供がいるのだが、仕事がどうにもうまくいかない。

ある日、「河原で拾った石」が売り物になることを知り、石を拾っては売るために四苦八苦する。しかし、全然売れずに失望する。

やがて「石のオークション」があることを知り、河原の石を集めて持っていくのだが、1つも売れずに絶望するというような内容。

虚無感が漂う独特の作品世界は、他では味わえない。絶対に読んでおくべき作品の1つ。

ぼくにとって「物を売る」という行為のイメージがこれになってしまうのだ。一生懸命、良い石を探して、小綺麗に磨いて出品しても、書い手からすると何の価値もないかもしれない。

無能。

何の能力もなく、何の輝きもない。

誰からも求められず、誰にも貢献することが出来ない。

「ああ、ぼくはプライドが高いだけの、ただの無能の人なのだ。」

そういった絶望から抜け出せずに、ただ重く沈んでいった日々があった。

『サポーターをめぐる冒険』の最終章では、天皇杯決勝。横浜F・マリノスの優勝を見届け、夕日に照らされる国立競技場を後にした。愛すべき町東京を一人歩いている時に思い浮かんだのは、「無能の人」を何度も読み返した時代。大学生の時の虚しい思い出であった。

「自分は決して無能ではない。何かの才能があるはずだ。自分は何かになれるはずだ!!」

そう思う裏には正反対の感情があった。

「自分は本当は無能の人かもしれない……誰からも認められず、自分自身に満足することも出来ずに一生を終えるのだ……」という恐れが強くある。

これをアンヴィヴァレンツ(相反する感情)という。心の中で矛盾を飼い慣らし、自己愛と自己嫌悪を同様に育み、自らを愛でると同時に強く律する。

成功して自尊心に満ちあふれた時は、「本来無能の人である自分が、分不相応に認めて頂けた幸せを感じよ」と警告する。

逆に打ちのめされ、ボロカスにされた時には「いや、本来はもっと出来るはずだ。自分には才能がある。必ず出来る!!」と強く励ます。

この感情の拮抗が、表現者としてのスタートラインであるように思う。

本は売りたいが、売りたくない。
読んで欲しいけど、読んで欲しくない。
仲良くなって欲しいけど、仲良くなって欲しくない。

このような拮抗が生じた時、最終的に向かう先は「自らの心」となる。何かが詰まっているのだが、何が詰まっているのだろうか。

探求し、解きほぐし、並び替えて、飾り付ける。

これが表現というものなんだろう。

こう書いてみて気付いたのだが、次作が書き記したくなっているということなのかもしれない。

表現されたい何かが、心の中に渦を巻いて来ているようだ。

カードの支払いに鬱々としている暇があったら、作品を生み出す方向に力を使うべきなのだろう。


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