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科学業界的には小保方さんが叩かれること事態は正しい手続き。

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小保方さん 可愛そうだね。

何が可愛そうかっていうのは、色んな人に叩かれていることじゃない。学術誌に研究成果を発表した、ましてやネイチャーという世界で一番注目されている雑誌に発表したわけだから、注目が集まるのは必然。

論文を出した時点では、研究の正しさは何ら証明されていなくて、世界中の人からボコボコに叩かれても最後まで立っていられた場合に初めて、その研究および論文の内容は正しかったと認められる。

例えばダーウィンは、150年以上前の研究者だけど、まだ立っている。だいぶボロボロになってきたけど。彼の考えた遺伝と進化の仮説はまだ教科書に載っている。

他の研究者が誰も叩かなかったら、人類の研究史にウソばかり残るようになってしまう。研究とは「巨人の肩の上に立つ」ことで成立する。人類がこれまで蓄積してきた叡智を吸収した上で、その上にちょこっと付け足しするものなのだ。

従って、発表した論文が叩かれないと、後世の研究者がウソの結果に基づいて自分の研究を組み立てることになってしまう。ウソに基づいていた場合には、当然良い結果は出ない。

だから、叩かれるのは当たり前のことなのだ。

研究者が叩くのは当然として、マスコミが叩くのは違うという意見もあると思う。それは一理ある。

ただ、黄色い壁の研究室で、割烹着を着て実験していて、ムーミンが大好きで、デートの時でもSTAP細胞のことが頭から離れない「リケジョ」としての小保方さん像を提示したのはマスコミだったのだろうか。

あれって、マスコミの要請で、仕方がなくやっていた演出だったのだろうか。だったら少し可愛そうだとは思う。

もし、あれを自発的にやっていたとしたら、自ら「突っ込みどころ」を大量に晒してしまったような気がしないでもない。マスコミに対して大量にエサを撒いて、次の瞬間には雲隠れしてしまったのだから、これは話題になってしまうだろうと思う。

でも、あれは注目を集めるという意味では正しい戦略だったと思う。話題性は抜群だった。ただ、裏目に出てしまったということなんだろう。

マスコミが科学研究を正しく解釈できないなんてことは今に始まったことではない。そのマスコミに対して「リケジョ」というアングルを与えてしまったため、その後の展開に常に「女性」という意味が付随することになってしまった。

小保方さんについてネガティブな意見を言うと「女性を叩くな」となってしまう。

研究者が男性であろうが、女性であろうが、その研究成果が正しいかどうかは歴史が証明する。内部調査によっては小保方さんが出したあの論文については、「捏造の疑いがある」と判断された。

STAP細胞があるか存在するのかについても同様だ。

個人としては、あれだけ注目されて袋だたきにされるのは可愛そうだなと思うんだけど、ネイチャーに載るってのはそれだけ目立つことなので、仕方がないかなとも思う。

じゃあ何が可愛そうって……

ゴリラのおじさん(kawagucci)がこう書いている。

「世間(含む科学者)の見解と彼女の言い分には,
そもそものターゲットの差があるように思う。

たぶん彼女は,理研「内」での懲戒処分のことを言っているんだと思う。」

(中略)

「彼女が「科学者として未熟」とか,そういう以前に,彼女は「科学者」になったことは一度もなくて,単に「学生」から「理研職員」になっただけで,「科学者倫理」とかそういうことなんて微塵も考えて事がないんじゃないだろうか。今もなお。」


kawagucci Weblog 「会見を前に」

「ただ間違えただけです、本当のものは別にあります。間違えたけど、本当なんです」

これを聞いて、何を言っているのかよくわからなかったのだが、上記の記事を読んでようやく納得がいった。組織内ではそれで通るのかもしれないが、科学者としては通らないからだ。

投稿論文に間違いがあるというのは「大恥」であり、それが大きな間違いであった場合には、研究者として今後やっていけなくなるほどの大ダメージなのだ。

何を間違えたのかというと、下のサイトに詳しすぎるほど詳しくまとめられている。

小保方晴子のSTAP細胞論文の疑惑まとめ

ぼくは研究者として半人前でやめてしまったし(何をもって一人前とするのかはよくわからないが)、研究分野も違うので、細部にまでは踏み込んでいくことができない。

しかし、例えばぼくの出した修士論文には間違いは1つもないし、文章の借用も1つもない。図表は130個くらい用意したが、その一つ一つを何時間もかけて作ったわけで、はぁ思い出しても辛い思い出…… とそれはさておき。

それでも、間違いというのは起こりえることだ。人間がやることだ。

小保方さんに必要なのは、即座に正しさを証明し直すことだ。

正しい手順を用いて、STAP細胞があることを証明すればいい。
それが出来なかった場合にはどうしても捏造とされても文句は言えない。逆に言えば、STAP細胞の存在を証明し直せば、誰にも叩かれることはない。

これはシンプルな問題なのだ。
200回も成功していることであれば簡単に証明できるはずだ。

そして、証明し直す義務は、小保方さん1人にあるわけではなくて、共著者にも同様にある。1人で孤独に戦う必要はない。

証明できれば一発逆転が可能だ。

だから、小保方さんについて応援したいと思っている人は、それを信じて待てばいい。

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もう一点、やはりこの問題は「教育論」なんだろうなと思う。大学および大学院の教育、すなわち高等教育には大きな問題点がある。

大学の機能は2つ。「研究」と「教育」だ。

学部に7年にて、大学院に5年もいた長期滞在者の自分としては、強い実感を持って、教育機関としての大学には疑念を持っている。大学とは非効率的で土着的な中小企業のような研究室の集合体であり、洗練された教育システムではないと考えるようになった。

この「教育機関としての大学」という問題については、上で引用したkawagucciさんがずっと抱えてきたものなので、討ち死にしたぼくの分まで是非しっかりとまとめて頂きたい。

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