東大に11年在籍した後、タクシードライバーになりました

はとのす 

映画論

巨大生物にやられて瀕死からの復活エピソードがまさかの実話。映画『レヴェナント: 蘇えりし者』

投稿日:

Tweet
このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket
LINEで送る








『レヴェナント: 蘇えりし者』

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

出演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハーディー

音楽:坂本龍一




珍しく何か映画を観ようと思い立ったのは、最近動画編集に目覚めつつあるから。

プレイヤーとして観るというのが、自分にとってもっともしっくりくる鑑賞方法で、単なる鑑賞者としては2流、3流、4流、5流である。

最後に映画を観たのは……。もう記憶にない。半年は観ていない。2年くらい前の『騙し絵の牙』以来だろうか。

バスケをプレーしているときにNBAを観る。
サッカーをプレーしているときにバルサを観る。
物書きになりたいときに村上春樹や司馬遼太郎を読む。

そんな風にやってきたので、映画との付き合いもこうなりそうだ。

動画クリエイターになりたいので、映画『レヴェナント:蘇りし者』を観る。

<どうしてこの映画を観たのか>

スコセッシの映画を探していた。
というのも動画の本を読んでいると、やたらとスコセッシの名前が出てくるからだ。
サッカーでいうとグアルディオラのようなものなのだろう。

サブスクサービスで「スコセッシ」で検索すると色々と出てくる。タクシードライバーという映画が気になったのだが、妻が一言「これ、観たい!」

鶴の一声で『レヴェナント:蘇りし者』に決まる。

見終わってからスコセッシではないと気づいたのだが、どうやら主演のレオナルド・ディカプリオがスコセッシ映画に出演した来たため、「スコセッシつながり」よりも「ディカプリオつながり」のほうが強く出てしまったのだろう。

<『レヴェナント: 蘇えりし者』の率直な感想>

非常に迫力がある映画だった。
とても面白かった。
日本映画だと『剱岳』のような、風景描写が豊かな作品。

「絵」の力によって物事を語るので、途中で現れた子どもたちも理解できるようだった。

「これはね、動物の爪でね。これで敵を倒すんだよ!」とか言っていた。

とにもかくにも「絵」の力にこだわり抜いた作品で、人物を映す、シーンを撮るというよりも、背景が綺麗になるようにカメラをセットして、そこに人を歩かせるとか、そこでイベントを起こすというような発想なのではないかと思うほど。

スマホではなくテレビやプロジェクターで観ないといけない作品。映画館でみたらさぞ凄かったことだろう。

映画館という現場に価値を持たせるという意味でも、こういう映画作りは正解なのだろう。

一方で、寒冷地での撮影は困難極まるものであっただろう。wikipediaによると、朝方と夕方のマジックアワーにしか撮影をしなかったとか、カナダが暖冬で雪が足りないので南米の高地に移動したとか、極地で撮影したとか恐ろしいことが書いてある。ネタバレも含むので視聴前にはみないことをお勧めする。

マジックアワーに撮影したというだけあって、闘いの背景に神々しい光が差し込むシーンなど、映像のクオリティは凄まじいの一言。

特に冒頭の戦闘シーンは、凄いを通り越して意味がわからないレベルなので、気になる方は最初の10分だけでも視聴してみて欲しい。こういうのもサブスク時代の視聴方法と言える。

映像の迫力が文句の付け所がないのに対して、ストーリーや主要人物以外の人間関係はわかりづらく、背景にある精神的なテーマもよくわからなかった。しかしながら、そのよくわからなさが、イニャリトゥという巨匠映画監督の持ち味のようなので、わからなさを楽しむというのが粋な嗜みというものなのだろう。

特によくわからなかったのが、複数でてくる白人の集団が何なのかと、インディオ(ネイティブ・アメリカ)の部族の背景。

ただ、本当にすごいのが、アリカラ族も、ポーニー族も実在しているし、ディカプリオが演じるグラスが喋っているのは実在のポーニー語だし、グラスという人物は実在していて、ほとんどこのままの活躍をしているアメリカでは有名な西部開拓時代の人物なのだとか。

日本で言うと清水次郎長とか、牛若丸のようなものだろうか。

登場するブリッジャーも実在の人物で、こちらも有名人。フィッツジェラルドは、実際にはフィッツパトリックというのが実在。

結末部分は史実とは異なるものの、ほとんどが実話というから驚いた。

以下はネタバレあり。

サブスクで観たい方は、こちらからどうぞ。

https://www.justwatch.com/jp/%E6%98%A0%E7%94%BB/the-revenant




<『レヴェナント: 蘇えりし者』のテーマについて>

アメリカ人のスコセッシが撮ったと思っていたので、最初は驚いたのだが、メキシコ人のイニャリトゥが撮ったとわかって少し納得した。

この映画には、アメリカ大陸に進出してくる白人たちの傲慢が強調されている。

傲慢に対する強烈な反撃を行うのが、アリカラ族。

調べてみると、どちらかというと白人たちに迎合した部族のようで、実際にフランス人と話す際にはフランス語を使い、交渉を有利に進めている。アリカラ族の族長とおぼしき男性は、非常にかっこいいおじいさん。これぞネイティブアメリカ。こういうタイプの顔立ちの方は、アメリカでも一部地域には多いようだし、アルゼンチン人でも観たことがある。

監督の出身地であるメキシコの北部にも多いようだ。ネイティブ・アメリカに対するある種の親近感と、白人社会による侵略と、その際の傲慢に対する反感が、映画のテーマにかかわっているのではないかと推察する。

とはいえ、そこはあくまでも背景として現れているのみで、映画で描かれているのは西部開拓時代の過酷さというべきだろうか。あるいは生への執念というべきだろうか。

主人公のグラスは、主人公なのにほとんどの時間這い回っている。
食べるものは、生の内蔵、死んだヘラジカの骨髄、草や藻類など。飲むのは凍りそうに冷たい川の水。吹雪の際の寝床は……。

この「生命力」が描きたかったものの第一であり、人が「生命力」を極限まで発揮しないといけない舞台が、西部開拓時代のアメリカ北西部であったとするのがまっとうな解釈のように思う。

ディスカバリーチャンネルのベア・グリルスやエド・スタッフォードの番組が好きな人はこの映画はオススメだ。ただ、説明は非常に少ないので、サバイバルものとしては中級者以上に向けたものとなる。

<『レヴェナント: 蘇えりし者』からの学び>

動画を作って行く上で学びになったのは、1にも2にも「絵」の力を活かす方法。VLOG的な旅動画を作って行く際にも参考になるショットがたくさんあった。

動画は「絵」の力によって語ることができる。そこに音楽をつければ十分に「絵」が語ってくれる。

一方で文章の場合には、「絵」が存在しないため、読者の脳内に「絵」を描き、音楽を鳴らさせるように仕組む必要がある。

たとえば氷河の上と踏破していくシーンであれば、「遠景」、「至近距離」、「足下」とともに、孤独感のある寒々しい音楽を流す。特に「遠景」が鍵になるので、少し長めにカットするとしよう。

そのシーンを、文章で書く場合にはこうなる。

「先ほどまでザクザクと音を立てていた雪は姿を消し、代わりに堅い氷の塊になった。足底に硬い氷が突き刺さり、1歩進むごとに鋭い痛みを発する。遠くの針葉樹林を揺らした風が、少し時間をおいて到達する。氷河の上をなめ回してきた空気の塊は、非道なまでに身体を冷却させようとしてくる。この道を抜けて森に入れば少し風は和らぐだろうが、果たしてそこまでたどり着けるだろうか……」

ざっくり書いたので粗さはあるが、「絵」によって語れた迫力を表現するにはこのような大仰で、詩的な表現をする必要がある。ただ、これはこれで文章とは相性がいい。

昔考えたことがある。「気が狂うほどのかゆさ」を表現するには、他のどの方法よりも文章が優れているということ。動画よりも、音楽よりも、ダンスよりも。

というわけで私が「絵」の力は偉大だなと感じた映画『レヴェナント: 蘇えりし者』はお勧めです。

原作はこちら。

-映画論
-,

Copyright© はとのす  , 2023 All Rights Reserved.