出た。
出たのである。
仰天した。ぬるぬるちんこ男が現れた。
しかし、ちんこというものは滑稽だ。男女ともに性器が異なる(性的二型という)わけだが、「ちんこがない」というのは特段お笑いにはならないのだが、「ちんこがある」というだけで何とも滑稽である。
我が家では息子と娘を風呂に入れるのは、おおむねぼくの仕事だ。
息子は(あ!息子っていってもそういう意味じゃないからね)、お風呂に入っているのが好きだ。正確に言うと水遊びをするのが好きだ。30分くらい粘って遊んでいる。
ようやく「水揚げ」をして、タオルでワシワシと拭く。すると、ママの元へと裸で走っていく。その間にぼくは、シマシマのモコモコパジャマに着替える。
着替え終わった頃、ヤツが現れる。
ぬるぬるちんこ男である。
マルコメ味噌である。
皮膚の乾燥を防ぐために、ぬるぬるの変なクスリを塗っているのだが、その状態でパパに寄ってくるのだ。
「ええい!近寄るな!!」
「ぱぱー!」
「ぬるぬるで近寄らないで!!」
「ぱぱー!!」
両手をあげて、阿波踊りのように不思議なステップをしながら息子が近寄ってくる。両手をあげて全裸なので、当然ヤツのヤツが揺れている。文字通りちんこ男である。
ぼくは必死に逃げる。本当に嫌だ。モコモコパジャマがぬるぬるになってしまうからだ。誰だって、ぬるぬるちんこ男に抱きつかれたくはないだろう。
「やめろー!!ぬるぬるちんこ男ーー!!くるなーーー!!!」
「ぱぱーーー!!」
「やめてくれぇーーー……」
そんなやりとりを、ここ一週間くらいやっている(体調不良で寝ているときも一回来た)。我が家は今日も平和である。
これだけだとあんまりなので、少しだけ役立つことも書く。
男の子がいる家庭では下ネタが増える。というのも保育園では、おなら、うんち、ちんこの大連呼だからである。これはどの家庭でも同じだ。
大まかに言うと、性器と肛門に興味がある時期なのだ。
精神医学の祖、ジークムント・フロイトは人間は成長する過程において性器や肛門に興味を持つ段階があるとして、男根期および肛門期と名付けた。
そして、性的倒錯とは、肛門期へと戻ってしまうことによって生じるとしていた気がするが、これは確か否定されていると思う。
というかフロイトおじさんは否定されまくってボロボロなのである。そういう意味では、ちゃんと立っているダーウィンは偉大だ。
それもしょうがない話だ。
神経病に悩む奥様「夢に鉛筆が出てきました。」
フロイトおじさん「えんぴつですか……!それは男根です!あなた、欲求不満ですね!!」
というような診察をしていたからだ。まぁ、ある程度はそういう傾向はあるらしい。
キノコの図鑑は女性に売れるし、どういうわけかチンアナゴという魚も女性に大人気だ。
昔の知り合いの女性は、チンアナゴが大好きで、デスク周りにチンアナゴのオブジェをたくさん貼り付けていた。どうしろというのだ。それを見て、どうしろというのだ。
ちなみにチンアナゴのチンは、犬のチンらしい。犬のチンに顔が似ているからチンアナゴ。偉大なる嘘は世界をマイルドなものに変えるという事例ではないことを祈る。
我が家のチンアナゴが寝たのでブログを認めた次第である。
コンセントの出っ張っているほうをオスといい、凹んでいるほうをメスというなど、世の中は案外下品にできている。それを否定してはいけない。
ちんこちんこ言っていて喜ぶ息子も自然なのである。ちんこになんか興味がない、自分の身体には何の関心もないとするよりも、全裸でキャッキャいいながら走り回っているおまえが好きさ。
新生児の時、君はあまり目が見えなかった。周りの世界に何があるかわからず大声で泣いていた。段々と見えてきた後も、身体の感覚はなかった。くすぐってもあまりくすぐったくなかった。頭をぶつければ痛かったとは思うが、ちょっとつねったくらいでは何が起こっているかわからなかっただろう。
でも、次第に感覚は研ぎ澄まされ、最初は口で、次は手で、それと同時にどんどん見えてきた目で、世界を認識していった。
そして、世界がどういうものかわかり、自分自身にも興味が向いた。自分を眺めてみると、おかしなものがついている。ちんこである。なんでちんこがついているんだろう?面白くてしょうがない。
なんでうんちが出るんだろう?自分の中から何かが出てくるどういうことなんだ。おならも出てくるどうしてなんだ!!
世界は驚きに満ちている。
君は驚くと、「キャー!!」と大声を上げてニコニコ笑う。今はちんこごときでキャッキャウッフとやっているが、この先もっともっと不思議で壮大な、世界の秘密を見つけるんだぜ。
何かを発見する度に、目を輝かせて感動する君を見ているのがとても好きだ。
早く大きくなって、パパと一緒に探しに行こう!!
パパの密かな野望は息子とアマゾンに行くこと。なーに、近所までは行ったことあるし、大したことじゃないさ。