ブラジルから帰国して以来、どうも気合いが入りきらない日々が続いている。
夏バテに苦しんだこともあるし、少し忙しい期間もあった。
世情の問題は諸々あるが、それだけには留まらない「何か」があることに気付いた。
そうだ、ぼくは夢を失ってしまったのだ。
夢とは、遙か彼方に輝く、壮大なる目標であり、よく「虹」に喩えられる。
「虹」は、遠くの空に輝いていて、いくら歩いても近づくことは出来ない。
手を伸ばせば届きそうだけど、決して届かず、しかしながら、眼前には常に美しく輝いている。
夢は、「現実的な目標」とは異なる。
今日や明日に達成出来るようなものは夢としては弱い。
大切なのは、「限りなく魅力的」であり、「そう簡単に届かないこと」である。
どうしても「虹」が手にしたければ、時空を超えたジャンプをするしかない。
淡々と陸路を移動しても、虹を手中に収めることは出来ないのだ。
大切なのは、勇気を持って跳ぶことだ。
誰に反対されようが、無謀だと言われようが、自分でも自信が持てなかろうが、虹が欲しければ、夢が達成したければ、思い切りジャンプするしかない。断崖絶壁から落ちるかもしれないし、猛獣に食われるかもしれない。南京虫に食われて数週間かゆさに苦しむかもしれない。
いかなるリスクも飲み込み、現実的な判断も時には犠牲にして、大きく跳ぶ。着地に失敗して怪我をして、泥まみれになったとしても、また跳ぶ。跳び続ければいつか届く、かもしれない。届かないかもしれない。
惨めな敗者になるリスクを飲み込んで、それでも跳び続けられるかが勝負だ。
2013年1月に子どもが生まれたこともあって、研究室をしばらく休むことにした。
1度行かなくなると、2度と行きたくなくなった。
ぼくの人生のストレスはすべて研究生活から来ていた。
悪意のある人はあまりいないはずなのに、登場人物のほとんどが何かしらの原因でイライラしていた。
誰も幸せではないし、誰も幸せにはなれない。
研究業界の歪みの中にはまりこんで、動けなくなっていた。
(その歪みは、STAP細胞関係の事件で表象化する。ぼくのいたところでは、同様のトラブルはなかったが、歪みであることには代わりがない)
研究時代には「夢」がなかった。
自分の研究がどれだけ成功しても、狭く閉ざされた研究業界での栄誉が手に入るだけだし、そんなものには興味がなかった。
大成功した場合、教授職を得て、自分の研究室を持てるかもしれない。しかし、その場合は、「研究」よりも「政治」が大切な仕事になってしまう。「研究能力」が一番高い人が、研究をせずに「政治」をしなければいけない。
それは、業界を維持するためには大切な仕事なのだろうが、「研究者」にとっては「ストレス」でしかないだろう。教授というのは、中小企業の社長のようなもので、下の人間の生殺与奪を握る絶対的な権力者である。絶対に逆らうことは許されない。そんな世界だからこそ、社長にストレスがかかると、全体が歪んでいく結果になる。
教職員は、愚痴を言い、粗雑に振る舞い、内部で対立する。
最下層に位置する大学院生は、卒業するまで我慢するしかないが、鬱病などを患うものもいる。
ぼくもすっかり鬱になって、研究生活に対する愚痴以外何も言わなくなってしまった。
人生がすっかり駄目になってしまった。将来のビジョンもないし、苦しいことばかりだ。
そして、2月頃であったか、学生相談所のカウンセラーの元を訪れて相談した。
心を悩まし、相談所を訪れる学生の数は驚くほど多いらしく、毎日1~2人は新規の相談者が来るとのことだった。ぼくのいたキャンパスは、教職員あわせて3000人程度の規模だった。正確な数はわからないが仮に大学院生を1500人くらいだろうか。
年間300人ほどの新規相談者が訪れるとした場合、学生の20%は何らかの悩みを抱えていて、相談せずにはいられない状態になっていることがわかる。
数値が曖昧なので、議論するための裏付けにはならないが、ぼくの印象としても「大学院生」という存在は、強く悩んでいるし、強く抑圧されていた。生殺与奪のすべてを握る権力者の顔色を気にして、機嫌を損なわないように必死にならざるをえないのだ。
さて、ぼくの場合は、幸い鬱病ではなさそうとのことだったが、「研究以外の人生」を考える切っ掛けになった。
「こんなもんやめちまおう。それよりも自分のやりたいこと、夢を描き、叶えるために行きよう」
そう考えるまでに時間はかからなかった。最初の面接から1~2週間後、再び学生相談所を訪れた時、既に動き始めていた。
「物書きとして生きる。将来的には自分の本を出版し、表現活動をする。」
そのためにまずは書き始めることにした。
新生「はとのす」を作成し、フリーランスライターとしてもいくつか仕事を受注し始めた。
「おまえの書いた文章など読みたい人はいない」
という言葉を手土産にもらい、逃げ出すように研究業界を去った。いつもそういう言い方をするから、嫌になっちゃうんだよね。
それから半年以上、研究時代の夢を見た。
大勢に囲まれて、延々と人格的な欠点を指摘され続ける夢。いや、現実のフラッシュバックだろう。
今でも忘れない。修士二年の夏、2時間ずっとボコボコに打たれ続けた結果、ぼくの心は壊れてしまった。あの時点で研究をやめていれば良かったのかもしれないが、研究世界への絶望と怒りは、逆に研究活動への推進力になった。皮肉なものだ。
あの時点で、いずれ研究世界を去ることは確定的になっていたのかもしれない。あんな非人間的な試みを教育とはき違えてしまう、あまりにも未熟な教育システム。
研究上の瑕疵を人格に結びつけて指摘していくことで、人格そのものが矯正できるという危険な発想。研究が上手く行かないのは人格に問題がある、逆に研究で成功した自分たちは人格者である。異常な世界だった。
研究時代は金縛りになって動けなくなる日もあったが、その頻度は減っていた。
そう、研究時代は重度の睡眠障害に陥っていたのだ。
度重なる徹夜、過剰なストレス、毎晩の飲酒の習慣、悪夢と金縛り。今でも薄ら寒くなる。あんな時代をよく生き抜いたものだ。あんなに辛くて、限界まで行っていたのに、教員からすると「何不自由のない気楽な暮らし」に見えるという狂った世界だ。何よりも恐ろしいのが、誰にも悪気がないこと。強いて言うなら、世界が歪んでいることがすべての原因だろう。
研究時代の悪夢を打ち払うように、フリーライターとして活動していた。しかし、無記名で記事を書くことに対して疑問が出てきた。このままでは吹けば飛ぶような下請け業務しか出来ない。大切なのは、自分の意志をしっかりと表現していくことだ。
その先には輝かしい未来がある。美しい虹に手が届くかもしれないのだ。
「研究世界という戦場」はぼくにいくつかの果実をもたらした。
・事実と推測を厳密に分けて書きわける叙述力。
・客観性の高い観察力
・ディスカッションに置けるディフェンス能力(何を言われても言い返せるように議論を組む習慣)。
冷徹な暗殺者のように淡々と叙述の準備が出来る能力がまず土台としてある。
ぼくの場合は、「文章力」はプロとしては標準的だが、
そこに、「夢に溢れた魅力ある世界への憧れ」が加わった。
「自分の本を出版する」「作家になる」という夢は、非常に魅力的だった。だから、何度も何度も跳び続けることが出来たのだろう。
このブログを読んでくれている方は、その全過程を目撃したはずなので割愛するが、紆余曲折を経て、愛しい著書が誕生した。
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新著の表紙が「虹色」になっていたのは、実に示唆的で、殆ど言葉をかわしたことがないイラストレイターのなみへいさんに深く感謝した次第。
そして、跳び上がった先は、「夢のステージ」であった。
しかし、同時に、ある種の閉塞感が生まれた。
「夢」がなくなってしまったためだ。これからは、本を出して当たり前だし、本を書くのは仕事になったのだ。
本を売って、売ったお金で生活する。
どこかで記事にしようと思うが、なかなか楽ではない。本一冊あたり約100円が、作家の取り分なのだ。
2~3年のスケールで考えると、居酒屋のバイトでもしたほうがずっとお金を稼ぐことが出来る。
貧すれば鈍する。
最近は、キャッシュフローがあまりにも悪いのと、以前のより執筆活動に対するひたむきさ失われてしまったのもあって、どうにもイライラする日々が続いている。
新しい夢を描く必要がある。
しかし、そんなに簡単に描けるものでもない。
それほど金銭欲も物欲もないので、「稼ぐ」ことは夢にならない。
本を200万部売るとか、100種以上出版するとか、そういうことも考えたのだけど、何かしっくりこない(しかし、目標としては悪くないと思う)。
アマチュアサッカープレイヤーとして100点取るとか、累積10000分出場するとかいうのも悪くない。
しかし、どこか決定打に欠ける。
夢はJリーガーになること。
無事Jリーガーになれたら?
夢は日本代表になること!
日本代表に選出されたら?
夢はワールドカップに出ること!
ワールドカップに出場できたら?
夢はワールドカップで優勝すること!
もし、ワールドカップで優勝したら?
夢は……
ワールドカップを手にしたジダンは何を描いたのだろうか。人種差別問題の解決を夢見て、頭突きをすることが次の夢だったわけではあるまい。
夢が叶うというのは素晴らしいことだ。その瞬間は幸福に包まれていた。だからこそ次の夢も描きたい。
いや、夢など必要なく、淡々と日常をこなすだけでいいのだろうか。それだってとても大切なことだ。
まずは現実的な目標を並べ行くことが大切かもしれない。
しっかりと「歩んでいく」中で、「跳ぶ方向」も見いだせるだろうから。
目標と、達成のために必要なこと
・二冊目の本を出すこと(Jリーグ 周遊記的なやつ)
⇒後は松本に行くだけで材料は揃う、書くだけ。
・同テーマの本をシリーズ化すること
⇒一冊目がある程度人気になることが必須。
・ラジオに出演すること
⇒ラジオは良いメディアなので、是非いつか何とかしたい。
・書籍を累計100万部売る
⇒このくらいやっても、印税だけでは日本人の平均生涯年収には届かない。最低限の目標とするべきか。
・書籍を100冊出す
⇒1説には、このくらい出して初めて暮らしが楽になるのだそうだ。しかし多ければいいとは限らないので、要検討。
・印税以外の収入源を確保する
⇒現状は、フリーライター時代よりはるかに稼ぎが悪いので、何とかしないといけない。印税以外(本の執筆以外)を増やすと、本を書く時間がなくなっていくという葛藤もある。なかなか難しい。
・Jリーグのスタジアムの観客を増やす
⇒夢というと違う気もするが、J1だけではなくJ2、J3も観客が詰めかけるような風潮を作りたい。これは独力で達成するものでもないので、その一助になれたら幸せという位置づけ。
・大学で講義をしたい
⇒払った学費を少し取り戻すという意味合いもあるが、きっと良い講義が出来ると思うのだ。
・男子サッカー日本代表がワールドカップで優勝させる
⇒ぼくは不可能ではないと思っている。そのために出来るサポートがしたい。これは「夢」的なので、いいかもしれない。
・FC東京がリーグ優勝する瞬間を見る
⇒これは遠からぬ将来に必ず実現できると信じている。
・FC東京がACL及びCWCで優勝する瞬間を見る
⇒こっちはちょっと夢的だが、全クラブ中最も交通の便が良い東京はやや有利なのではないだろうか。
・サッカープレイヤーとして活躍する。
⇒具体的にどう活躍するかははっきりしないのだが、とにかくプレイヤーであり続けたい。サッカー観戦よりも、プレイすることを優先したいくらいなのだ(平日にプレー出来る環境、絶賛募集中!)。子どもと一緒に試合出るとかもいいかもしれないけど、ちょっと先過ぎるし、自分の目標に子どもを巻き込みたくないのでそれは外す。
と、書いてみたが、なんだか茫洋としてしまう。
兎にも角にも、物書きとして生きて行くことだけは確定しているわけだから、「書く量を増やす」、「書きものの質を上げる」この2つだけは我武者羅にやらないといけないな。そうじゃないと、未来は一切ない。
「新しい夢は書き続けること」、と仮置きしておこう。