ブラジルワールドカップ。
ぼくがサッカーのことを取材して行くならば避けて通れないビッグイベントだ。
Twitterでたまに絡んでいるアシシ氏によると、「行かないのはどうかしてるぜ」ということになるらしい。その期間は、国内のリーグ戦もお休みになるし、ライターやジャーナリストはほぼ全員ブラジルに行くのだそうだ。
だから、ぼくも行ったほうがいいような気にもなってくるのだが、2012年からサッカーを真面目に見始めたぼくが行ったところで何がわかるのかというのも現実的な問題だ。そりゃ、ジダンやロナウドなんかのレジェンドは知っている。しかし、相変わらずマッチレポートなんか書けそうにないし、周辺のことだって多くの人が取材しているのだから差別化は難しい。
予算も酷いことになりそうだ。交通費や滞在費などを入れると50万円以上はかかるだろう。仕事として行くならば、それをペイできるくらいの報酬を得なければいけないが…… 現状だとほとんど不可能に近い。「本を出せば、元を取れるじゃないか!」という人もいるのだが、それでもペイできるかわからない。
本だって何十万部も売れない限りは、収入としては大したものじゃない。経費や手間を考えると、決して美味しい商売ではないのだ。そもそも、まだ一冊も本を出していない「名前だけの作家」のぼくでは、本を書ける見込みすらない…… 書くアイディアすらないのに飛び込みでいってみたところで何かが起こる保証はない。
そもそも!!
引きこもり体質の自分にとっては、Jリーグのスタジアムに行くことですら一苦労だったのだ!!
フットワークが軽い人にはわからないかもしれないが、チケットを取って、荷物を整えて、道筋を調べるだけでも、結構なストレスになるものだ。
国内ですらそのザマなのに、ブラジルなんて……
ぼくは語学が非常に苦手だ。英語も全く話せない。一度オーストラリアにて国際学会で発表したことはあるのだが、念入りに作った原稿を読んだだけで、質疑応答ではほとんど「I'm sorry... I can't catch......」としか言っていない。
それでも英語ならまだ筆談などで何とかできるかもしれないのだが、ブラジルではポルトガル語しか通じないことが多いらしい。頭がクラクラしてくる。英語ですら半年で間に合うとも思えないのに、ポルトガル語なんて…… 異文化コミュニケーションを楽しむことは、語学ができない人見知りにはとても出来そうにない。
さらに言うなら、1ヶ月近く、家族と離れなければいけない。その時には1歳半になる息子の成長過程を1ヶ月も見ることが出来なくなってしまうのはとても切ない。そして、危険な異国の地で、もし命を落としてしまったら一生会えなくなってしまう。
そう考えると怖くなる……
異常なものを求めて
行くのは嫌だなぁと思うには、もう1つ理由がある。
本ブログに良く出てくるゴリラのおじさん(@the_kawagucci)がいうに、Jリーグを取材するならばW杯には行くべきではないのだそうだ。そもそも、ぼくがJリーグだけを取材すると決めたわけでもない段階で、そう言い切られると反感を覚えるばかりなのだが、じっくり考えてみると確かに一理ある。
Jリーグなどの各国のリーグ戦は、日常の延長線上にあるもので、日々の生活や縁のある土地に対して生まれる自然な愛着と密接に結びついている。一方で、代表戦というものは、唐突で異常なものだ。
各国の代表選手が選別され、不要になれば容赦なく交換される。申し訳程度の練習をこなして、理由もなく世界一を目指して競い合うことになる。
四年に一度の祭りであるという価値があると同時に、四年に一度ということは日常においてあまり重要な出来事ではないとも言える。とって付けたようにフワリと湧いてきた祭りに、世界中から人々が集い熱狂する。結構なコストがかかるはずなのだが、スタジアムを埋めるのに十分な数の人が集まる。
ワールドカップとは何なのだろうか。
もしかしたら、身近に存在するJリーグよりもずっと価値が低いものなのかもしれない。しかし、実質的な価値が低かろうが、メディアでは大々的に特集され、世界中の人々が注目していることも間違いのない事実だ。
個人的な実感としては、毎回ワールドカップに行っていて代表を追い続けている人よりも、例えば鹿島アントラーズという1つのクラブチームを20年間応援し続けた来た人のほうにリアリティを感じる。
それは、ねぶた祭りの時だけ青森に行く人と、青森に生まれ死ぬまでずっと農業を営む人と、どちらが本質的なのかという話に置き換えるとわかりやすい。
でも、だからといってねぶた祭りに価値がないわけじゃなくて、それは日本でも有数な大きな祭りとして、巨大な存在感を放っている。
祭りは非日常の象徴であり、異常なものだ。
そして、非日常を人は求めて、大枚を叩く。
Jリーグも非日常であるべきなのだが、ワールドカップという巨大な異常性のまえには、「日常」の立場に回るしかないのだろうか。ということは、ワールドカップの前にJリーグは屈するしかないのだろうか。
わからない。ワールドカップが何なのか、知りたかったらそこに行くしかないのかもしれない。ワールドカップを知ることで、Jリーグもよりわかるようになるかもしれないし、果てには「日常をどう生きるべきなのか」という大きなテーマにも到達できるかもしれない。
ワールドカップに行ってみたい人には必読の書籍
冒頭にも登場した日本代表サポーターとして有名な村上アシシ氏が本を出している。
日本代表サポーターを100倍楽しむ方法 ~サッカーとボクと、時々、ノマド~
この書籍の構成は、「イギリスオリンピックの時のレポート(前後編)」、「これまでの観戦歴」、「ノマド論」、「サポーター論」となっている。
少し話の本筋とは逸れるのだが、実用書として有用なのは「ノマド論」。ここだけ独立してビジネス書にしてもいいくらい鮮烈な内容が載っている。半年間働いて、半年間はサッカー観戦をして過ごすためには、常識を越えた仕事の効率化が求められる。
それが出来るからこそ、コンサルタントとしても優秀なのだろうと思わせられる内容だった。
「年の半分は趣味を楽しむガチノマドコンサルタントが教える超効率仕事術」なんてタイトルはどうだろうか。ガチノマドコンサルタントの字面がガチすぎて昆虫の標準和名みたいになっているのが難点だが。「マルガタビロウドコガネ」。
話を元に戻すが、この本には世界大会を観戦に行くための非常に実践的な知識が記述されている。航空券、宿泊、インターネットの安い繋ぎ方まで。そういう意味でも、「行ってみようと考えている人」には必読だし、「旅行気分を味わいたい人」にとっても面白い本だと思う。
後半のサポーター論は、ぼくの知っているサポーターの雰囲気とは少しずれている気がする。普通のサポーターは階段を登っていくのだが、アシシ氏の場合は階段から降りてきたというような違和感だろうか。これは最初に出会ったのがJリーグではなくて、国際大会だったという特殊性によるものかもしれない。
いや、これは特殊とも言い切れないのかもしれない。現状では、最初に出会うものは国際大会である可能性が高い。ぼくだってそうだ。最初に感動したのはやはりワールドカップだった。例えば、ジョホールバルのテレビ観戦もそうで、声をあげて感動したものだ。
しかし、感動が長続きをすることはなく、Jリーグのファンになることもなかった。そして、サッカー熱が高まったきっかけはEURO2012のテレビ観戦であり、ブログで反響を呼んだ「Jリーグ初観戦」であった。
一方で、村上アシシ氏の場合は、2005年のコンフェデ杯をドイツで観たことだった。そこから海外であっても代表戦を応援に行くようになり、その楽しさを踏まえて「コンサドーレ札幌」のサポーターになった。
ぼくの場合は、国際試合をテレビで観ていたが、村上アシシ氏は現地で観戦した。前述の通り、国際大会は特異な存在であるため、その結果村上アシシ氏も特異な存在になったと言えるのかもしれない。
特異と行っても、変人だと言っているわけではなくて、要するに「お祭り男」というやつなんだろうと思う。お祭りになると異常にパワーが湧いてきて、仕事も何もかも放り出して全力を尽くしてしまう。本を読むとわかるが、そういう常軌を逸したエネルギーが感じられる。
アシシ氏は別名「炎上男」と呼ばれているようなのだが、それもわかるような気がする。アシシ氏が勧めているような観戦方法や「I was there(俺はそこにいた)」と言うための海外遠征というものは、羨ましくて楽しそうであると同時に、多くの人にとっては実現が難しいものだからだ。
家族を置き去りにして、仕事を犠牲にしてまで行きたいという人は、いることはいるがやはり多数派ではないだろう。と、同時に、そういった衝動に基づいて海外にまで「日本」を応援するために駆けつける人はかなりの数がいる。
この人達を動かしているものは何なのか。
それが日本のスポーツ文化の醸成の役に立つものなのか、その先にある日本人の幸せに繋がっていくものなのだろうか。
知りたければ、やはりブラジルに行くしかないのかもしれない。
「日本代表を応援する」ということが、どれだけのものなのか。ただ、祭りを楽しみたいだけなのか、それとも日本人としてのアイデンティティに関わる大問題なのか。あるいは、「世界人」という抽象概念を垣間見る切っ掛けになることなのか。
「アシシ本」の写真を見ているとすごく楽しそうで、行ってみたいような気もしてくるけど、現実的に考えるとガイコクジンと一緒に記念撮影できるようなコミュニケーション能力がぼくにあるとも思えないんだよなぁ……
怖くて、高くて、大変そうというネガティブ要因があると同時に、それでも行ってみたいという謎の思いもある。同時に、南米大陸の鳥類をみてみたいというバードウォッチャーの本能のようなものもある。
うまく仲間見つけて、はぐれないようにしたら大丈夫かなぁ……
悩むなぁ、はぁ……
ぼくはアシシ氏のように要領よくこなせる自信もないし、現地で粘り強い交渉ができるような交渉力もない。でも、ここで踏ん張って、ブラジルに行ったとしたら、歴史的な瞬間を目撃できるかもしれない。もしかして、日本が優勝するようなことがあったら?! 現地に行かなかったら後悔するのではないだろうか?
どうなんだろうね。行くべきか、行かぬべきか。もう一度読み直してみよう。こういう体験がしたいかどうか。それともテレビで観ても足りるものなのか、考えよう。
一方で、若い人には強く勧めてみたい。
はとのすの読者の年齢層はよくわからないのだが、正直家族がいる32歳の人間にとっては、ワールドカップでブラジルに行くのは非常にハードルが高い。家族のことやコストのことを考えては悶々としてしまう。仕事のことだってそうだ。ブラジルにいっても仕事として文章が書けるとは限らないから、無駄足になってしまう可能性だってある。
一方で、若い人は無理をして行くべきなんじゃないだろうか。お金がないというのはシビアな問題だが、半年間必死にバイトをすれば何とかならない額でもない。
グレートジャーニー、大いなる旅は、きっと何かを変えてくれるだろうと思う。それが良い方向に変わるのか、悪い方向に変わるのかはわからない。しかし、何かを変えたいと思う人は行ってみるべきだろう。
ぼくの場合は……
アシシ氏の本に出会わなかったら100%行っていない。それはリアルではないからだ。
一方で、直接の面識はないものの、アシシ氏と遭遇し、著書を読み、その考えに触れた。
その結果、ブラジルに行く可能性は20~40%くらいまで高まってきている。
どうしようかな……
アシシさんに付いて回って、全く違う視点から同じ旅程を描くみたいな企画をしてみたりしたら面白いかもね(安全だし、細かいことを外部委託できるし)。
と、突然「さん付け」を用いる腹黒感を残したまま、この記事を終えようと思う。
もう一冊の方も読んで、ゆっくり考えようかな……