長くなったので前後編に分けた。
前篇はこちら。
前篇では東京という都市について思うようになったことを書いた。ちょうどいいタイミングで反響を頂いたので、後編に入る前に紹介したい、
ブラインドサッカーチーム、岡山デビルバスターズのアシスタントコーチを務める鈴木康夫さん(Twitter)から。
ブラインドサッカーで東京から岡山に移籍して似たような事を感じてます。
ポスター貼り、チームへのサポートなど東京時代にはあまり相手にされなかったことが岡山ではびっくりする位に反応と支援が熱いんです。
やはりそういう傾向はあるらしい。もし、ぼくが最初に好きになったのが、アルビレックス新潟や、松本山雅だったら、もっと純粋に夢を見たかもしれない。
しかし、ぼくの街は東京なのだ。
そして……
何の話だったかな。そう前編の最後に話したていたのは……。
ルーカス!!
そうルーカスの話だった。
ランコ・ポポヴィッチ監督の時代、ルーカスがいなかったら、戦えていなかったのではないだろうか。
ルーカスは、サイドでも、中央でも、ゴール前でも、力強くボールをキープし、確実に運ぶべき場所まで運ぶ。時にはそのままねじ込む。その間、いや、試合中ずっと、周囲で起こったことをすべて把握しているような選手だ。全知全能の神だ。
ぼくは力強い選手が好きだ。
冷静沈着で知的な選手が好きだ。
と、同時に情熱に溢れていて、得点も狙い続けている選手が好きだ。
つまり、ルーカスが好きだった。
速い選手も力強い選手もいるけど、あんなに落ち着いてながらも攻撃的な選手は、そうそういない。
奇跡のように頼れる選手だ。
そして、ぼくがルーカスに出会って、大好きになったほんの数ヶ月後。ルーカスは、大けがを負い、選手生命が終わってしまった。FC東京は、大黒柱のルーカス抜きで、天皇杯のベスト16を仙台で戦う羽目になったのだ。
だから、ぼくは仙台まで行った。
今思うと笑ってしまうのだけど、その時は、サッカーを見るためだけに仙台なんて遠い場所に行くというのは大冒険だった。今なら、東京からたったの3駅だよなんて笑い飛ばすのに。
でも、ぼくは仙台まで行った。
大声を出して応援した。
ルーカスの分まで選手を支えないといけないと、心の底から、いっぺんの曇りもなく思っていた。
ゴール裏のど真ん中で、
サンタ帽子をかぶりながら、
飛び跳ねて、
叫んだのだ!!
東京からメリークリスマス!!
熱い試合だった。
あの日のベガルタ仙台は本当に強かったのだ。
角田も梁もウィルソンも、厄介極まりなかった。
しかし、1失点したあと、鬼の形相になったGK塩田仁史のセーブが炸裂し続け、追加点を許さない。
そして、試合終了間際に太田宏介のFKで同点に追いつき、延長戦に突入した。
最後の最後。
試合終了も間際まで東京は波状攻撃を仕掛ける。
完全に東京のペースに持ち込んでいるのだが、仙台の最後の守りが堅い。
どうしても破れない。
そして、最後の最後の最後の最後の瞬間であった。
米本が、右サイドに走り込む石川直宏に、縦パスを通した。
ナオが走る!
ボールを追う!
スピードスターが走りに走る!
ライン際でボールに追いつくいた。
折り返しのクロスをあげる。
そこに、平山相太が飛び込む。
しかし、足に当たらない。
ボールはファーへと流れていく。
しかし、林容平が走り込んでいる!!!
あのゴールの後も、試合終了の笛が吹かれるまで、ぼくらは声援を止めることがなかった。
聞こえて来るでしょ
歌声がすぐそこに
東京ガス is comming to town
メリークリスマス!
メリークリスマス!
東京からメリークリスマス
東京ガス is comming to town
この試合のことは、拙著『サポーターをめぐる冒険』に心ゆくまで書いた。この試合だけはどうしても文字として残したいと思ったのだ。本当に苦労した文章だったが、やれることは全部やった。見ていない人には伝わりづらいものもあるだろうが、それでもいい。とにかく残したかった。
それだけの試合だったのだ。
あの時の一体感、あの時の感動。
生涯忘れまい。
美しい夢の世界だ。
涙ぐんだおじさんと抱き合いながらぼくは思った。
Jリーグはなんと素晴らしいんだ。最高じゃないか。これ以上のものはこの世にはない!!
しかし、人間万事、塞翁が馬である。
あの時の感動が再現されないという問題も抱えることになった。
あれだけ高密度で、あれだけ追い詰められた試合は、その後一度もなかった。ブラジルワールドカップ、レシフェで見た初戦では似たような感覚を得たが、試合には勝てなかった。
どんな映画だってあの試合は超えられまい。
そして、次の試合は、今はない旧国立競技場での広島戦。これは、仙台での熱戦とは打って変わって、本当につまらない試合だった。
0-0のままPKになって、PKで負けるという展開よりもつまらないものがあるだろうか。
ただ、そのまま天皇杯を取らなくても良かったようにも思えるようになった。優勝の喜びは、見始めて数ヶ月ではなく、もう少し欲求不満をためてから味わいたいからだ。
その時の勢いに任せて、1冊の本をまとめた。それだって、丸々4ヶ月も書いていたのだ。物書きとは修羅の道なのである。絶対にもっと楽な生き方がある。よほどやりたい人以外には勧めることは出来ない。
『サポーターをめぐる冒険』という作品はあの時しか書けないと自覚していた。だから必死だった。
今書けといわれても不可能だ。あの時のぼくは、まだ身体が斜めになっていなかったし、照れくさいことを平気で言えた。
著書が出せたということは、ぼく個人にとっては一つのハッピーな結果なので、それはそれでいい。
それからが地獄だった。サッカーという競技とどうやって付き合っていくかについての悩ましい日々が訪れた。
色々考えることはあるのだが、うまく言語化出来なくなっていた。わかりやすく言うとスランプみたいなものだ。
サッカーファンとしても、物書きとしても、突然プロのステージに立ってしまったわけで、対応できなかったのも今思えば無理もないのかなと思うが、当時は苦しくて苦しくて苦しい日々が続いていた。
番記者にはなりたくないし、なれない。クラブ関係者になる道があるわけでもない。ブロガーやYoutuberのように、売れるトピックを探し続けるのも性に合わない。
そもそも、サッカーで商売するのは不毛なのだ。
サッカーで儲かるのは一流選手と代理人だけである。
他にもいるかもしれないが、ぼくは把握すらしていない。
何をどうやって仕事にすればいいのかわからず、また、そもそもアウトプットをどうすればいいのかもわからなくなった。そんな状態で、多量のインプットが続く。当然の帰結として、ショートした。
結果、サッカーを見失った。
FC東京も見失った。
冒頭に茶化して書いたような記憶喪失になったのはそのためだ。
チームが上昇気流で勝ち続けているなら態度を決めるのは簡単だ。勝ち馬に乗って応援すればいいからだ。しかし、チームが迷走し、思うように勝てない時には、スタジアムに通い続けるのは非常に忍耐力がいる。
チームの現状を真剣に考えたとしても、いや、考えれば考えるほど、フラストレーションは溜まるのだ。
ぼくは、TwitterにもBlogにも書かず、友人にも言わず、心の中で叫んでいた。
「どうして、マッシモ・フィッカデンティとの契約を切ったのだ!!」
雑誌『Footballista』の編集長、木村浩嗣さんは「納得をしていないのに握手をするな」と書いていたのをよく思い出す。
大人になったぼくは、つい最近もまったく納得がいっていないが、抗弁もせず握手をして別れてきた。それで良かったのかは今でも悶々とするが……、それはさておき。
自分の応援するクラブが、自分の意図とは大きく外れた決定をして、その結果、ぼくからみると案の定成績を落としている。そういう状況では、どういう態度を取れば良いのか。
「それでも、俺はフルパワーで支え続ける!!」
という練りに練られたサポーターには心から敬意を表したい。しかし、ぼくのようにテンションが下がる人も一定数はいるはずだ。
マッシモの件は、ぼくが知らないような事情がきっとあったのだろうと思う。それを聞いて納得するかどうかはわからないが、ぼくはすべての情報を持っていない。
「イタリア人だけに女癖が悪かった」という説を聞いて、それなら中洲の近所に旅立つのも無理もないだろうと強引に納得はさせたが、だからといって全身全霊で次の監督を応援できるかというと……。
もちろん、次の時代が華やかなものであったり、その時の自分の状況に余裕があれば別であっただろう。しかし、その時は育児に追われていて、余裕がなかったのだ。そして、JFK(うっ、頭が痛い……)。
怒る人がいるとは思えないが一応ちゃんと書いておくと、個人批判や監督批判やクラブへの批判がしたいわけではない。その時、ぼくが応援したいと心から思えない状況であったと言っているだけだ。
応援を止めようと思ったわけではない。行こうと思っているし、応援しようと思っている。しかし、自分でもよくわからないうちに、少しずつ優先順位が下がっていったのだ。
というような経過を辿っていたわけだが、これは多くの人が辿る道なのかもしれない。
ぼくは今年、再出発することにした。
今期は、JリーグとFC東京との付き合いを最初からやり直す。
そもそも、必ず優勝争いをしなければ面白いという考え方のほうが間違っている。
優勝争いをしなければ楽しめないというのであれば、多くのクラブのサポーターはJリーグを楽しめない。
ロック総統による「Jリーグ原理主義にプロレタリアートの鉄槌を下す」という思想潮流は受け入れるべきものだと思う。これは、大まかに言うと、「優勝しなければならない」とか「昇格しなければならない」という発想は、時には破滅に繋がることを表している。
鳥栖フューチャーズのようになるぞ、と言われたら分かる人はわかるだろう。バンディオンセ加古川も同じような道を辿ったらしい。
優勝だけを目的とせず「今そこにあるサッカーを愛せ」である。正しいと思う。理屈では納得している。しかし、実感としては受け入れられていなかったようだ。
FC東京は首都のクラブだし、的確に補強さえすれば毎年優勝争いが出来ると感じていたのだろう。
その後、マッシモ・フィッカデンティ監督が訪れ、ウノゼロの守備の時代が訪れた。
ガチガチに固めたディフェンスシステムの中で、武藤嘉紀が猛烈な速度で成長していった。
武藤の成長を見守るのは楽しかった。Jリーガーのディフェンスをうまく抜けずに苦しんだ時期が最初にちょこっとだけあったのだが、すぐに1人では対応できない選手になった。
最終的には二人いても吹き飛ばして行く選手になった。
ゲーム用語でいうワールドクラスである。
その武藤が海外に移籍した。ワールドクラスだからしょうがないことだが、あと半年待って欲しかった。まぁまぁ、そうも言ってはいられなかったのだろう。人生の決断は支持するしかない。
そして、すぐ後に、石川直宏が大きな怪我をした。
チームが勢いを失ったのは、あの時からであった(記憶喪失になったため正確な分析は出来ないが、僕の中ではそうなっている)。
あの時、ぼくは一息ついた。FC東京のことばかりを考えて、一生懸命になりすぎていたから、ちょこっとだけ休もうと思った。その結果、坂道を転がり落ちていったのだろう。
そういえばその時のこともブログに書いた。
「武藤嘉紀なんてただの子供さ。」2015年1stステージ最終戦と壮行セレモニー | はとのす
そう、このあたりから、少しずつFC東京のサッカーが楽しめなくなっていったのだ。
熱のある記事を書いたのは、これが最後のような気がする。
後は、そのちょっと前に書いたこれくらいか。
石川直宏がアクセルを踏み込んだ時、何かが起こりそうな予感がした。 | | はとのす
一つには武藤が移籍し、石川ナオが負傷したことで、優勝が遠ざかったからでもある。ただでさえ攻めるカルチャーがないクラブから、攻め手がいなくなったのだ。
「槍」もないのに戦場にいってどうなるというのだ。
それでも、その年は、2ステージ制の恩恵もあり優勝争いに最後まで加わることが出来た。しかし、翌年からは……。
JFK……うっ……頭痛が……なんだ、よく思い出せない。
という状況になった。
大久保嘉人の加入によって一躍優勝候補と騒がれた時代もあったが……、今こんなことを書くのは後出しじゃんけんのようで卑怯なのだが、とてもじゃないがうまくいくとは思えなかった。
朝日新聞のスポーツ欄に「優勝候補」として取り上げられているのを見たとき、ぼくは言った。
「やめてくれよ、勘違いするやつが出るだろ!うちは中位とか、降格圏のちょっと上あたりを目標にして、相手が油断している隙に順位を上げ、カップ戦を盗んでくるようなチームなんだから!」
もっともこれは、他の東京サポの受け売りである。これも楽しむための姿勢だ。
ただ、うまくいかないだろうとか斜めに構えつつも、万一上手くいったときには一気に手のひらを返そうとは思っていた。そして、その時期は、職場の状況がまだ地獄にはなっていなかったので、比較的熱心に試合を見ていた。
しかし……。
長続きはしなかった。
勝てなくなって、優勝が遠ざかった結果、応援する熱が冷めるというならば、ぼくは……。
ぼくは、優勝だけを目的とする「Jリーグ原理主義者」だったということになる。
原理主義者だから、リーグ戦で勝てない状況、それが改善されそうにない状況を、楽しみきれなかったのだ。楽しめないでいたため、サッカーが自分の中から薄れていった。
ただ一方で、FC東京のサポーターであるという矜持は捨てなかった。どこを応援しているのかと問われれば「FC東京」と即答したし、その時々のチームの魅力をスピーチ出来る程度ではあった。
自分の中で「優勝するために」とか「勝つために支える」というような考えは薄れていったが、意識としてサポーターをやめたことはなかった。
同時に、このままサッカーを観なくなる日も来るかもしれないなとも思っていた。ぼくは、壮絶なまでの「凝り性で飽きっぽい性格」なのである。
好きになったときの選手も段々と少なくなっていった。ヨネや森重を始め、大好きなになったときの選手も残っているが、タカヒデ先生も、アーリアジャスールも、渡邉千真も、徳永も、権田も、塩田も、加賀も、たまちゃんも、ネマニャ・ヴチチェヴィッチ(正確ではないか)もいなくなってしまった。
ルーカス、石川直宏、平山相太は、スパイクを脱いだ。
チャンヒョンスだけは戻ってきてくれたが。
愛し始めた時のあの熱は、再現されることなく、日々薄れていく。
もちろん、新たなお気に入りの選手は出来てくる。しかし、あの時の熱が超えられないのだ。あれ以上の刺激が得られないのだ。少しずつ、情熱が薄れていく。
情熱をぶつけて優勝をつかみ取ろうなんてチャントが歌えるわけがないじゃないか。
子供と遊んでいるほうが、自分にとっても、家族にとっても有意義なのではにないか。そう思うようになっていった。
でも、記憶喪失の期間にも、FC東京のことはいつもずっと気になっていた。そして、やっぱりサッカーは見ていたいし、FC東京を応援していたいという思いが次第に強くなってきた。子供にもこの楽しみを知ってほしいと思うようになった。
どうしてなのだろうか。
自分でもよくわからない。
しかし、わかったことがある。
サポーターは自由だということだ。
誰にも強制されなくていいし、代わりに誰も迫害しない。
誰が何を言おうが自由なのだ。
ただし、発言に対して文句を言われることもあり、その反論もまた自由である。
、「正しいサポーターならば、○○しなければならない」という仮言命法には従う必要がない。そんな決まりがあるなら、自分の中でだけ実践してくれたらいい。人には何も求めるな。サポーターは信者でも軍人でもない。
「優勝や昇格などを第一目的にせず、今そこにあるサッカーを愛せ」というロック総統の定言命法は正しいと思う。ただ、それはすべてのサッカーファンのための言葉というよりも、下部リーグに所属する地域クラブのための概念だとわかってきた。
ほとんど正解なのだがが、FC東京、横浜F・マリノス、浦和レッズなどのサポーターには最適ではない。つまり、ぼくにとっても最適解ではない。
「死ぬまでに優勝するチャンスがいくつあるか数えよ」とか「サッカーを愛する仲間と共にいられることに感謝せよ」とかいうほうが直接的かつ適切だ。
いや、もっといい言葉があるかもしれない。
この国にプロサッカーリーグが生まれてまだ20数年。
我々がどうやってサッカーと付き合っていくかはまだ定まっていないということだ。
ぼくは、ぼくなりに、考えていこうと思う。
そして考えながら、文章を書いて行こう。
考えるとは書くことなのだ。ぼくにとっては。
FC東京を応援して言うと身体が斜めになる。
「東京でサッカーに火がつくわけがないよ、こんな馬鹿でかい都市で」
そんなことを考えるようになる。
しかし、ぼくは……
ぼくは……
東京を愛するサポーターの声に導かれ、生まれ育った愛する街、東京の名前を冠するクラブ、FC東京を応援し始めたのだ。
リーグ優勝や、カップ戦の優勝というタイトルが得られなくてもいい。
いや、いつか、生きているうちには優勝もしたい。
それだけを目指しているわけではないが、優勝の可能性があるなら目指すべきだ。
そして……
青赤に身を包んだ仲間たちと、選手や、クラブ関係者、全然関係ない町の人も一緒になって、FC東京の大成功を祝って、みんな踊るように喜んで、涙を流し、乾杯する。
美しい夢。
でも、多分。
そんな美しい夢よりも、もっともっと素晴らしい世界が待っている。
ぼくはそれも知っている。
だから、Jリーグとは付き合っていたいし、Jリーグについて書きたいのだ。
ここには人の人生がある。
人の幸福がある。
よし、再起動。
僕の場合は、2つ方針がある。
まずは、もっとサッカーという競技を学び、競技自体を楽しめるようになるべきかなと考えている。海外サッカーの記事でも書いているが、サッカーについてもっと深く考えていくことで、より濃厚なお付き合いが出来るようになるのではないかということ。
もう一つは、個人的なインタビューメディアを作ろうかということ。
これまでも色んな人に話を聞いてきたが、それがコンテンツとして残ると言うことはなかった。
これからは、インタビュー録として残していくといいのではないだろうか。ぼくは、関係者のインタビューよりも、サポーターが話すことのほうがずっと面白く感じている。感じ続けてきている。だから、きっと面白いインタビューが出来るはずだ。
幸福なことにぼくの周囲には面白い人がたくさんいる。たとえて言うならカンボジアで働いている日本代表サポーターとして有名なピロポンピンのひろぽん。ああいう特殊な人なら永遠にインタビューしていられる。
そこまで変わっていなくても、というか、どんな人であってもロングインタビューが取れる自信がある。
ただ、コンテンツにするのは、労力がかかるし、お金になるかならないかでいったら、絶対的にならない。
だけど、やりたいことならやるべきだ。
世界は、信念を持って切り開くしかない。
……。
つまり、こういうことになるだろうか。
サポーターをめぐる冒険
第二幕、スタート。
さぁ、今度はどこに辿り着くだろうか。
ずっと完成させられないでいる原稿も必ず終わらせる。そして、どうにもならないようなら、出版は諦め、ブログ記事として掲載する。少し話題が古いという問題だけ乗り越えれば、絶対に行けるはずだ。
ただ、ぼくの人生の目的は本を出すことではない。名をなすことでもない。お金を稼ぐことでもない。お金は旅費と生活費だけあればいい。それほど多く必要ない。
やるべきことが見えてきた。
今年は勝負だ!!
[book_sales]