今日、ようやく時間を取り戻した。
4月半ばから狂った忙しさで、7時半には渋谷で出勤していて、23時半に勤務が終わることもあった。休憩を取る余裕がないので15分しか休んでいない。その上、翌日も7時半出勤することもあった。
狂乱の4月が終わり、スタッフの協力や、新スタッフの加入もあってだいぶ落ち着かせることが出来た。
昨年までは、膨大にある時間を、家事育児によって細切れにされていたことでパフォーマンスが発揮できなかった。今年は思い切って妻に家事を任せ、渋谷に出稼ぎに行きつつ、執筆にも本腰を入れる戦略を打ち立てた。
これが成功なのか、失敗なのか。徒然と雑記を書きつつ、一度検討してみよう。
【収入面】
まず収入面は明らかに安定した。やはり「月給様」というのはありがたいもので、確実に計算できる収入があると非常に楽だ。といっても、出稼ぎの月給だけでは、生活を維持するのがギリギリなので、作家業を進めていかないと「家族でロシアワールドカップ」という野望には届かない。
書店員(あるいはカフェ店員)というものは、そう簡単には給料が高くならない職種なので、2018年の6月までに(正確に言うと宿などの手配が始まる今年の11月頃までに)十分な貯蓄が出来るだけの給与水準には至らないだろう。
遠い将来を見据えたら転職という道もあるかもしれないが、今以上に負荷がかかる仕事に就くとそれこそ物書きとしての人生が成立しなくなってしまう。
月収と原稿料や出演料のバランスをどうやって取っていくかが、この先問われ続けることになるようだ。とはいえ、飽きっぽい性格なので性にはあっている。今年はかなりきついので貯蓄どころではないが、妻が仕事に復帰してダブルワーク状態になれば何とかなるかなという意味では、「持久戦・耐久戦」の先に援軍が期待できる状態では戦えている。
【育児と仕事と時間】
収入面で頭を悩ませる理由として、育児にかかるお金が高すぎるというのがある。しかし、育児の分を削ってまで自分のやりたいことをやろうとは思わない。ギリギリ限界まで無理してでも良い教育を与えてあげたい。ぼくは通常の教育で、普通に育ったのだが、自分に一番合っている教育ではなかったことが後でわかったため、子供は父に似ているという予測を立てた上で、最初からカスタマイズされた教育を与えてあげたいのだ。
ただ、2人もいる本当に大変。多分、どういうレベルの世帯であっても、育児にかかるコストを払うのはしんどいことだと思う。
育児にはお金がかかる。一説には成人するまでに1千万円とか2千万円とか言われている。その上、金銭的なリターンは小さい。このことは、ぼくが親に対して金銭的なリターンを一切返せないという現状からも明らかなのである。
お金がかかるというのは表面的なコストで、時間もかかる。子供にご飯を食べさせて、お風呂に入れて、少し遊んであげて、歯磨きをして、寝かしつけるまでに2時間はかかる。
この作業は、夫婦のいずれかが負担するわけだが、計算すると月60時間、年あたり720時間である。楽しい時間だから負担はゼロだろうというのは、半分は当たっているのだが、やはり自分の時間が削られているという心情にはなるものだ。
もしこれが知らないおじさんの肩をもみ続けるとか、じゃがいもの皮を「無駄に」向き続けるとかそういうものよりは、はるかに負担は小さい。それは「可愛さ」というリターンがもらえるからだ。
でも、もし月に60時間執筆にあてることが出来たならば、どれだけ進むだろうかと計算すると、60時間で最速で9万字が書ける見込みなので、本1冊分の時間なのである。子供が生まれてから(というよりも幼児になってから)文章の生産速度が落ちてきたのは、ある意味では当たり前なのだ。
逆に言うと月に60時間、いや、書き直しやブログ、その他の原稿などもあるので120時間程度としよう。この時間を執筆に確保できれば、順調に本は作っていけるはずだ。
120時間を分解すると、週30時間。1日4時間半。
週40時間の拘束時間があるため、結構厳しい。もっと文章のことを考えて日々を過ごす必要がある。ちなみに、ぼくは1日7時間は寝ないといけないタイプなので、週あたり49時間。
168時間(1週間)ー49時間(睡眠)ー40時間(仕事)ー7.5時間(通勤)= 71.5時間
ここから、家事・育児と執筆とプライベートの時間を捻出する必要がある。
それだけじゃなくてこの、71.5時間をもっと大きくしていく工夫が必要だ。1つは、通勤時間をしっかりとしたインプットにあてたり、執筆メモを作るのに使ったりする。あるいは、出勤日数を週5ではなく週4にする。可能な時は週3にする(その分長時間勤務とする必要はあるが)。そうすると、通勤時間の分を削ることが出来る。
執筆で30時間確保するとして、残りは41時間。こう見ると結構いけそうだなと思う。ただ、執筆時間といっても、マクドナルドのアルバイトのようにタイムカードをがちゃんと押した瞬間からカウントが始められるわけじゃなくて、十分に集中した状態にならないと良い文章は書けない。
集中は、突如訪れるものだ。だから、集中したときにいつでも書き始められるようにセッティングしておく必要がある。
今までは、仕事用のMacBookと、執筆用のWindowsに作業を分けていたのだが、MacBookにすべてを統一してしまうというのも一つの手だ。MacBookでは、ワードが使えないという難点があって、これまで作ってきたファイルとの互換性が低い。
オープンオフィスを使う方法もあるし、WORDを購入するのもいいかもしれない。さあ、どうするか。
林檎にゃ行きたし、窓も未練、ここが思案の下関
とりあえずPagesを使ってみようかな。ちなみに、このブログ記事もPagesで書いている。林檎全般に思うのだが、コンピューターに慣れていない人を想定しているのか、気を利かせて勝手にフォントサイズやレイアウトを変更することが多いことに強く不便を感じている。
Windowsであれば、設定を細かに変更しないといけなかったので、一般的にはそっちのほうが不便なのだろうが。Keynoteのテキストボックスも勝手にフォントサイズが変わるので非常に使いづらい。
ともかく、MacBook中心で組み立てられるように、家の中の執筆スペースの見直しを進めている。あとはDAZN用のタブレットだけ欲しいんだよなぁ。流石にスマホでみるのは画面が小さすぎてつらいのである。
【外に拠点があることの強みなど】
BOOK LAB TOKYOで働き始めたことの最大のメリットは外に拠点が出来たこと。今までは誰かに合うのは非常に面倒で、いちいちアポイントをとって、場所を設定する必要があった。その分、前後の移動時間などが発生し、時には徒労に感じられたものだ。
しかし、今は「渋谷のBOOK LAB TOKYOまで気が向いたときに来てね、前日にいるかどうかだけ確認のメール下さい。」と言っておくだけで、本当に多くの人と出会えるようになった。
務め始めてから、ぼくを訪ねてきたくれた人は、もう20人を軽く越えている。また、店舗に出ていることで新しい繋がりもできてくる。これが後々効いてくるのではないかと期待している。
もう1つ、ぼくより10歳年下の、若き実業家と一緒に仕事していることが、とても大きいように思う。経営のあれこれを横で教えてくれるからだ。つまり、ぼくもある程度は経営者的な視点を持って書店員をする必要があるということである。
経営なんて縁遠い世界の話だと思っていたのだが、段々とその世界の公式というか文法というかが頭に入ってきた。実際に経営者になろうとは今更思わないのだが(それこそ執筆活動ができなくなりそうだから)、「経営的視点」というものがいかに自分には欠けていたのかがわかって、目からウロコの毎日である。
ふー。
というわけで、このへんで一旦書くのをとめよう。従姉妹が子供を連れて遊びに来てくれたのである。
前にも同じようなテーマで考えたことがあったが、やはり結論は同じだ。
「文章が書き進められて、作品を世に残せるのであれば、今の生活が大正義」
ゴールデンウィーク中に成果を出さねば!!!
※
ちなみにこの文章は3000字強。
思いついたことをざざっと書くという最も省エネの書き方をして、執筆時間は1時間くらい。「売り物」にするような強度の高い文章の場合、執筆速度は半分以下になる。
この省エネが売れるレベルまで高まったら、物書き人生も楽になるだろうが、まぁそんなには人生甘くはない。