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書評

村上春樹入門にお勧め ネタバレ無し 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』

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村上春樹を読んだことがない、読んだけどいまいちだったという人にはお勧めの本なので、簡単に紹介しようと思う。読んだことがない人に向けているのでネタバレしないように書く。といっても、公表されている「あらすじ」程度のことは書かざるを得ないので、内容について一切知りたくない人は急いで本屋に行くか。アマゾンでどうぞ。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

ネタバレありの感想は別の記事にするつもり。

ハルキ入門本として勧められる3つの理由

・読みやすい

内容が重すぎたり、マニアック過ぎたりすることなく非常に読みやすい。序盤が若干重いが、村上春樹の小説の中では最も受け入れやすいレベルだと思う。

初期三部作『風の詩を聴け』『1973年のピンボール』『ヒツジをめぐる冒険』は非常に面白いのだが、感覚的で、感性が合わない人は受け付けない。『海辺のカフカ』『1O84』も面白いけど、ファンタジー成分が混ざっていて意味不明な部分が多々ある。

大ヒットした『ノルウェーの森』が比較的似ているんだけど、登場人物が大学生で考え方が若い点と、ポルノグラフィーに寄っている点が難点(要するにエロすぎる)。入門本としてエッセイがお勧めなのだが、小説だとこの「多崎つくる」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が初心者にもお勧めしやすい。

・共感しやすい

大雑把なあらすじは、主人公のつくるは、高校生の時につるんでいたスーパー仲良しの友人達との縁が、とある理由から切れてしまいスーパー寂しい。寂しすぎて生きているのがつらい。というお話。

そんな話の何が面白いのかと言われてしまいそうだけど、よくよく考えてみて頂きたい。そういう仲間はいませんでしたか?毎日一緒に居て、どんな細かいことでも共有できて、大笑いできた仲間がいませんでしたか?そして、その仲間と、あの時と同じノリでまだ付き合えますか?もちろん、今でも付き合いがある場合もあるかもしれない。けど、昔のようにはいかない。もう、あの時のように全ては共有できない。それぞれの人生を歩み、それぞれの価値観を持つようになっている。

その時の輝きは一生揺らぐことはないかもしれない。けど、二度と元に戻ることも出来ない。あの時と同じように、初恋の相手のことを相談できるだろうか?あの時と同じように、ブルーハーツの歌詞について語れるだろうか?到底無理なのだ。その切なさのようなものが何となくでも理解できれば、『多崎つくる』は非常に読みやすい小説だと思う。そして、読むべき小説だろうと思う。

・喉の奥に詰まらない

村上春樹の小説は、出だしは重く、中盤から加速していく。段々と物語に入り込み、惹かれていくのだ。しかし、最後でノイジーなブレーキがかかることがある。え?最後そうなっちゃうの?とか、あの人は結局どうなったの?という疑問が残ることが結構な頻度である。

それは解釈の余地ともいえるし、全てを確定させないおかげで、こっちも気が楽になるという部分もあるのだが、読後感として喉の奥に何かが引っかかっているような感じが残ることが多い。でも『多崎つくる』は、割と飲み込みやすい。解決して欲しい問題は大抵解決したし、残された問題は知らなくてもいいものだと思う。一点だけ、疑問に思うことはあるが、混乱は小さかった。

村上春樹の小洒落た世界

高級ホテル感とでもいうのだろうか。村上春樹の小説の主人公は、大衆居酒屋にはあまりいかない。行くこともあるが、「世俗まで降りていく」というニュアンスの時に限定される。ホテルの最上階のバーとか、場末であってもちゃんとバーテンがいて、音楽についての気の利いた会話ができる場所に行く。

これは春樹がかつて自分でジャズバーをやっていたことも影響しているのだろうと思う。流れている音楽も、美空ひばりが流れていることはない。コルトレーンとか、ビルエヴァンストリオとか、ビートルズが流れていたりする。例えば、淡々としながら日常を過ごす描写について、我々の日常を現すとしたらこんな感じだろうか。

「あまりに暑いので汗だくになったため、タオルで全身を拭った。喉が渇いたのでおーいお茶を自動販売機で買って一気に半分飲んだ。仕事がちっとも終わらないが、さっさとやらないと今日も残業になってしまうので、気を引き締めてパソコンに向かった。帰りにからあげクンとビールを買って帰ろう」

一方、村上春樹の本を一冊とって、パラパラめくったらすぐに出てきたとあるシーン。

仕事は峠を越し、僕はカセット・テープでビックス・バイダーベックやウディ・ハーマン、バニー・ベリガンといった古いジャズを聴き、煙草を吸いながらのんびりと仕事を続け、一時間おきにウィスキーを飲み、クッキーを食べた。」

(1973年のピンボール p.131)

この感じ。
真似してやってみたこともあるんだけど、そこまでしっくりいかないから、自分の場合はやっぱりエビスと唐揚げになってしまう。けど、実際にはやらないからこそ小説で読むのは価値があるかなと思う。小洒落た上質な気持ちになれる。

食べ物と音楽の描写は特に優れているので、それだけでも読む価値があるのではないかと思う。
音楽についても非常にお洒落に語るのだが、それは長くなるし引用が大変だから割愛。

失うものと得るもの

この小説を読んで「喪失と再生の物語」と読み解く人も多いのではないかと思う。けど、ぼくに言わせれば何を寝ぼけたことを言っているのか感じる。

そもそも村上春樹の小説のテーマは「喪失と再生」なのではないかと思っている。ただ単に、喪失のウェイトが大きいか、再生のウェイトが大きいかだけだ。「ノルウェーの森」などでは、文庫の後ろに「喪失と再生」と思い切り書いてあるくらいだ。しかし、ノルウェーの森の場合は、どちらかというと「失ってしまったもの」に重点を置いた物語なのだ。

一方、この『多崎つくる』は「手に入れるもの」のほうに重点を置いた物語だと感じた。そのため、村上春樹の作品の中では、もっともポジティブでハートウォーミングな作品だった。村上春樹がこういった作品を書くようになったことに驚きすら感じたくらいだ。

かつての時代に置き去りにされたまま、失われてしまったものも確かにある。けど、失われなかったもの、永遠に残るものも確かにある。ぼくらは、不器用に、喧嘩したり、傷つけ合ったりしながら何とか生きてきた。

たくさんの後悔、苦い思い出、切なさ、悲しさと共に生きている。無論、それがあるからこそ、今周りに居てくれる人に対して、誠意を持って接することができる。それはわかっている。

しかし、過去に対するどうしようもない悲しさは常に抱えていなければいけないものだと思っていた。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、「巡礼」という1つの提案を示してもらえたように思えた。本当に大切だった思い出は、しまっておかなくてもいいのかもしれない。過去に閉じ込めておかずに、一度日の光にあててみてもいいかもしれない。

そうすれば、忘れていた白黒の思い出、古き良き時代に、鮮やかな「色彩」が戻ることもあるのだろうと思う。村上春樹の小説を読んで、こういう気分になったのは初めてだった。晴れ晴れとした良い気分になった。

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