地元っ子は、臨海公園カヌー競技場整備に不支持@定例探鳥会(2013年7月)


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日本野鳥の会東京支部のイベント「定例探鳥会@臨海公園」に参加してきた。野鳥の会には入会しようと思うものの、資料請求中でまだ入っていなかった。でも、探鳥会には参加しても問題ないということだったので勇んで参加してきた。

何度か参加したことがあるYoung探鳥会とは違って、アダルト、ベリーアダルトな方々が多く落ち着いた感じだった。物静かなおじさま、おばさま方とぼそぼそ鳥の話をしながら歩いて行くのは、非常に楽しい時間だった。こういう感じもとてもいい。

さて、臨海公園は、出来た時から通っているマイホームパーク!! 小学生の時には自転車に乗ってよく遊びに来たものだ。当時は野鳥がいるなんてことに気付きもしなかったが、バードウォッチャーになってから、この公園の真価に気付いた。

野鳥は妖精みたいなものだ。愛情を持っていないと姿を見ることができない。

 

観覧車のすぐ横を歩くバードウォッチャー達

今回の探鳥会では、公園の東側も念入りに歩いた。渡りの時期は、西側も良いポイントになるようだが、夏場はあまり期待できない。しかし、西側の地区というのは非常に重要な意味を持っていた。というのも、このあたりはオリンピックで使用するカヌーの競技場の建設予定地になっているからだ。日本の野鳥の会東京では、この競技場の建設に反対していることもあり、公園東側の鳥類相、生物相を把握し、周知させることは大切な活動なのだろう。

ぼくもこの件については、100%賛成。せっかく生物が根付いた環境を、一度壊してしまうのはあまりにももったいないからだ。不可逆な環境破壊はするべきではない。もちろん、公共の福祉を考えた際にやむを得なく環境破壊をしなければいけないときもあるだろう。ぼくの住んでいる街だって、住宅が一つもなければ野鳥のパラダイスになっていたかもしれない。

しかしながら、十分に都市化が進んだ東京において、残されたわずかな自然を破壊する必要が本当にあるのだろうか?

この問答は、高度経済社会に生きる我々現代人には難しいものだ。我々が東京都の職員で、オリンピック推進の職務についてしまったら、「自然が大切なのはわかるけど……」と言いつつ、最も経済効率の良い方法として自然破壊を選択してしまうかもしれない。

こういった流れを止められるのは、自然保護団体のあげる声以外はない。民主主義国家である以上、多くの人の賛同を集めた上で、自然保護を訴えられたら聞くしかない。濫用してはいけないが、唯一有効な手段であることは間違いない。オリンピックは正直見たい気はするが、野鳥たちの暮らす場所を奪ってまで見たいとは思わない。

サッカーの競技性や文化としての側面を、経済学の立場から分析した名著『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』においては、オリンピックやワールドカップなどの巨大なスポーツイベントがやってきても経済的には得をせず、開催地の人の心が満たされるだけだと言っている。

2004年5月に南アフリカがワールドカップ開催国の座を勝ち得た日、ソウェトの人々は歓喜のあまり叫んだ。「金が来るぞ!」

(中略)

国がワールドカップやオリンピックの開催地に立候補すると、政治家達は「莫大な経済効果」があると説く。

(中略)

現実には、スポーツイベントを開催してもまったくリッチにはなれない。国が開催したがる理由はべつにある。開催すれば幸せになれるからだ。

(『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』 pp. 283-306 ワールドカップのしあわせ)

これは文化祭に似ているかもしれない。文化祭なんて労力の割りに収益は微々たるものだ。30人がかりで1ヶ月かけて準備したところで、収益は5千円なんてこともあるだろう。それでも、一生懸命頑張って何かをやり遂げたら達成感はあるだろう。この達成感こそが「幸せ」なんだろうと思う。これはオリンピックにもそのまま言えることだ。我々の税金を元に競技環境が整備される。我々は間近で競技を見ることができて満足するかもしれない。

しかし、支払った額を考えると、決して得はしていないはずだ(一部の業者は別かもしれないが)。

平洋戦争後に身も心も傷ついていた日本にとっては、首都東京でオリンピックをやることは非常に大切なことだっただろうと思う。多くの人々の心を励ましたエピソードは、今の時代にも伝わっている。しかし、現在、我々は十分に幸せなのではないだろうか?

オリンピックがあることで生きる望みをつなぐような人が東京にどれだけいるだろうか?

ましてや2020年のことだ。住民の満足度を考えても、経済を考えても、もっとやるべきことはあるように思う。

1960年の東京オリンピックが行われた時、猪瀬直樹氏は13歳、石原慎太郎氏は27歳だった。戦後を肌で感じた後に、東京オリンピックを経験したこと、それを境に日本が再生していったことは、記憶の中で燦然と輝いているのではないだろうか。

もしかしたら、我々や、我々の子供の世代にとっても同じような思い出になるかもしれない。しかし、そのために、東京に残っている自然を破壊しないで欲しい。臨海公園の誕生からずっと見守ってきた立場としては、この環境を子供の代、孫の代まで伝えていきたい。

そういう意味で、オリンピック誘致には反対しないけど、臨海公園に競技場を作るのには反対という立場には強く共感できる。

「はとのす探鳥記は、日本野鳥の会東京の主張を支持します!!」

……どうでもいいが、猪瀬直樹氏とは大学のゼミに出席していたので面識がある(覚えて頂いてはいないと思うけど)。「大学生は本を読む職人だ。本を読め。俺の本をもっと読め。」と怒られた思い出がある。何冊か読んだことと、その感想を告げると途端に機嫌がよくなった。

「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理