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本当に苦しい時、上手くいかない時、未来に希望を見出せなくなってしまった時、私を支えて、立ち直らせて、前を向かせてくれたのは、いつもバスケットボールだった

そして、バスケットボールで出会った友人たちだった。

バスケットボールの音が好きだ。

体育館に響くドリブルの音、バッシュのゴムが擦れる音、シュートが決まった時のネットの音、バスケ仲間の声。

どれだけ気持ちが落ち込んでいる時でも、バスケの音を聞くと心に温もりが戻ってくるように感じられる。

【バスケ歴】
初めてプレイしたのは体育の時間
小学生の時、トラベリングとダブルドリブルを教わる

・中学生の時の体育で突き指をする

・高校生、クラス対抗バスケに出場
まぐれで3Pシュート1本を含む7得点をするも一回戦負け

・21~22歳 §草創期§
予備校時代の友人に誘われてバスケを始める。
新宿区コズミックセンターの体育館解放に通う。
スラムダンクを参考にしながらシュートフォームを作る。
1年ほどで活動しなくなる。プレイする場をなくし、バスケから遠ざかる。

適当なフックシュートとリバウンドを覚えたくらいであまり上達はしなかった。ハーフコートでのプレイだったため体力すらつかず。

・24歳~28歳 §黄金期§
流行り始めていたSNS”mixi”の「安西先生バスケがしたいです(通称安西)」コミュニティのバスケイベントに気まぐれに参加する。

5分で目の前が真っ白になる。久しぶりのバスケはとにかく楽しかった。これ以来、週に1、2回程度バスケをするようになる。

2005年8月に「mixiバスケ部(通称ミクバス)」が始まる。現在では、数多くのバスケイベントが立ち並ぶコミュニティだが、当時は“本家ミクバス”の練習だけだった。

「安西」と「ミクバス」を通じて、バスケットボールの楽しさを知り、一生ものの友人とも知り合う。

「ミクバス」初心者組を中心に男子チーム「ライジング」を結成。初心者でも戦える場所がある喜びを胸に、全身全霊を込めて戦い、格上相手に奇跡的な勝利を続ける。しかし、1年ほどで方向性の違いから脱退。

男女両チームを持つ「HeartKnots」を結成、主催した。チーム名の由来は「鳩ノ巣→はとのす→はとのつ→はーとのっつ→HeartKnots」(Named by せっちゃん)。 メンバーは、上級者から初心者まで、女子高生からアラフォー選手までと様々だった。「上達することが最高のエンターテイメント」の理念のもと、「下手でもいいから一生懸命やろう」「華麗に攻めれないなら必死に守ろう」と泥臭いバスケを展開する。

チームのブランディングに成功したこともあり、練習や合宿に30人以上集まる大盛況の日々が続く。充実した時間ではあったが、28歳の時に大学院に進学すると殆ど参加できなくなる。

研究活動で潜水調査を行う関係上、怪我のリスクが高い競技バスケからの引退を宣言する(そして、最初は嫌々ながらもサッカーを始める)。

その際、バスケ仲間のHさんに「いつか必ずコートに戻ってくる」と予言される。

・28~31歳 §低迷期§
年間2~4回程度細々とプレイする。やる度に劣化していることに気付かされる。身体にも少しずつ中年太りの兆し。31歳になって基礎代謝が大きく下がり、これではいけないと走り始める。

・31歳 §再起動§
サッカー中心に活動していたところ、バスケ仲間が主催していた「西田辰巳さんの講演会」(※後ほどレビュー記事をリンク)に出席する。日本人でも育成段階での工夫次第ではNBAに通用するという話を聞いて、強い刺激を受ける。

また、講演会で「50代だけど現役プレイヤー」の方のお話を伺う。「もう年だからバスケはできない」などと言っていた自分が恥ずかしくなる。

そして、再びコートに立つことを決意した。

・32歳 §挑戦へ§
バスケ仲間の鈴木知也と共に、Tornadoes Academy東京の立ち上げを志す。
当初はライティングスキルを用いて広報活動などのサポートをする程度のことを想定していたが、Tornadoes関係者の圧倒的な熱意の影響を受ける。

Academyは子供の夢を育てる場所。
だけど、自分が夢を持っていない大人は、子供に夢を与えることはできない。
何歳になっても自分の夢を追い続けよう!

こういったポジティブな雰囲気の中で、次第に選手としての情熱が戻ってくる。
今の目標は、Academyでコーチングができるくらいまでスキルを高めること。

【Physical】
175 cm, 65 kg
体脂肪率15%前後
垂直飛び 若いころ75 cmくらい。 今(31歳)60 cmくらい

【Position】
3,4番。
チーム事情や相手のレベルによっては2,5番をやることも。

【Playstyle】
・初心者期

リバウンド&ゴール下の「左手は添えるだけ」シュートが武器。時々、フックシュートも混ぜるが、プレッシャーがあると入らない。意味がない。

・全盛期
オフボールで、動き回ってミドルレンジでキャッチ&シュートが最大の武器。

オンボールでは成功率の高いミドルシュートとドライブインの二択を常に迫る駆け引き主を得意とした。

相手によってプレイスタイルを変えていた。ディフェンスがアウトサイド寄りの選手ならポストアップや押し込んでからのステップインでねじ込もうとした。インサイド寄りの選手なら3Pラインまで下がってドライブインを主体に組み立てた。

ゾーンの場合はミドルレンジでフラフラと彷徨いつつ、ゴール下に合わせて入ったり、キャッチ&シュートを狙った。

3Pシュートはあまり決まらないが、撃つべき流れと感じたら撃つようにしていた。

地道なフットワーク練習の甲斐もあってか、ディンフェンスは得意だったが、パワーで押し込んでくる選手とスピーディーなガードを相手にすると無力化してしまうことが多かった。

ミドルレンジからの飛び込みオフェンスリバウンドが得意だった。

・再起動期
3Pラインがいつの間にか遠くなっていて、3Pシュートがさらに入らなくなる。ドライブインの仕方を忘れる。様々な要素が連動しているから、考え出すとうまくできなくなる。

ジャンプ力&リバウンドが超絶劣化。全く跳べなくなる。

ストップ&ジャンプシュートも撃てなくなっている。得意のミドルシュートも入らなかったらどうしたらいいの……、

という状態。

・挑戦期
フィジカルをとにかく一刻も早く元に戻すこと、スリーポイントやクロスオーバーなどのスキルを身につけていくことを目的に練習中!

 

【Fantasy NBA】
2006年から、チーム「ライジング」周辺の仲間でYahooUSのFantasy NBAをやり始める。14チームで開始したが、2013年には18チームまで拡大。

年に1度のライブドラフトは、“祭り”と化している。引っ越して東北や九州や果ては海外にまで居住する仲間もいるが、それでも問題なく楽しめるのがこのゲームの良いところ。

私が運営するチーム“Nyajima Hatoz”は、毎年プレーオフに出場する強豪ながら優勝はできそうにない。ゲームに使う時間は週に10~30分くらい。

 

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