大阪から、わざわざセレ女が会いに来てくれた(もちろん、試合観戦のついでだけど)。
それも2人もだ!
というわけで、“セレ女に囲まれる会”に行ってきた。
※石を投げないで下さい
セレ女に囲まれる会
セレ女だけではなく、色んな分野の女子サポに囲まれる会になってしまった。
近頃、サポーター界隈では揉め事が多く、うんざりしていたところだった。
セレ女が尋ねてくるというのは、なんか字面的に勝ち組だ。
最も予定表に「セレ女と会う」と書いていたのを妻に見つかって、微妙に問い詰められそうな気配になったのはここだけの秘密。
もう1つ。
今回初対面だったセレ女のお二人には、実はある場所で会っていたことがわかったのだ。
あの絶望的な、最低最悪の、この世の終わりのような空気の中でサンバを聞いたあの夜だ。
そういえば、受付の後ろあたりにいたような気がしないでもない。あの日は、シャバシャバのブラジルビールを飲みながら、苦い敗戦の味を噛みしめていた。最低最悪の夜だったが、同じ気持ちで過ごした人に出会うと強い親近感を覚えた。
これはもう運命みたいなものだ。この人達には、必ずロシアでも会う。その前にもどこかの代表戦で会うことになるだろう。そういう仲間の気配があるというのはいいものです。
トニーニョ・セレー女についに会えた
セレッソ大阪を愛する女性を「セレ女」というが、鹿島アントラーズを愛する女性のことは、監督名にちなんで「トニーニョ・セレー女」という……と誰かが冗談でいっていた。恐らく使っている人はほとんどいないだろうけど。この日は「セレー女」にも会うことが出来た(何のことやらわからなくなってくるが)。
セレ女達と話していると、サッカー観戦への熱が猛烈にあがってきた。サッカーの話をするのは本当に楽しいし、話しているとスタジアムに行きたくなる。
翌日は、FC東京戦は大阪アウェーだったので、鹿島アントラーズvs浦和レッズに行ってみることにした。
埼スタで開催するものと思っていたら、カシスタ開催であることに気付いた。
ああ、こりゃあかんな。カシスタなんか、突発的に思いつきでいけるところじゃない。何せパスポートがないと入れない「カシマ国」だと言う人もいるくらいだ(ぼくではありません)。
でもまぁ、浦和対鹿島は優勝争いも見越した大切な試合だったし、太鼓が復活したと言われる浦和も見てみたかった。というわけで、交通費はきつかったが1人車を飛ばしてきた。
試合はなかなか見応えがあるものだったが、書くと長くなるし、ぼくの説明には特に専門性がないのでまぁ書かなくていいや。
気になったのはやはりサポーターの応援について。
アントラーズは、アレを歌っていた。
「奴らを血の海へ♪」
という恐ろしい歌詞がついたあの曲。
いつも歌ってないのになぁと思っていたのだけど、聞いてみると毎回歌っているものらしい(その人が毎回行っているかどうかはよくわからない)。
「浦和相手だから、みんな気持ちを込めて歌ったんですよ!」とにっこり微笑んでくれた好青年は、いい感じに仕上がっていた。
浦和の応援について。
アウェーよりに座っていたので浦和の応援がよく聞こえた。
太鼓が復活していた。太鼓なしのときは正直物足りなさも感じたし、太鼓がないために、微妙にチャントがズレ始めることもあった。
太鼓というのは実に重要なツールで、音が鼓膜に響くだけではなく、心にも響くのだ。人の心を熱くする不思議な力を持っている。
その太鼓が復活した。
驚いたのは、このパターン。
太鼓なしでチャントを初めてしばらく続ける。
数分経って頃合いを見て、太鼓が後から参加してくる。
チャントが一層勢いを増す。
これは……ちょっと衝撃的なクオリティだった。太鼓なしで応援していたのは、これの練習をするためだったんじゃないかと思えてくるほどだ。
太鼓無しでも凄いのに、途中から太鼓が加わったら…… そりゃ加速するよね。
ぼくは浦和の応援に詳しいわけではないのだけど、それ以外にもいくつか変更点があるように思えた。よくわからないんだけど、何か違ってた。
さて、試合はいつもぼくの活動を応援してくれている「セレー女」様と、その旦那様と一緒に見た。一枚チケットが余っていたということで、有り難く使わせて頂いた。
ぼくの活動を応援してくれる人には、表だって応援してくれて、いつもSNSなどで話しかけてくれるタイプと、黙って見守ってくれている「隠れ」タイプがいる。今回お会いした「セレー女」様は、表だって応援してくれる人の1人で、記事についていつも感想を書いてくれるし、ブログに誤字があった時には瞬足で教えてくれる。
なんのかんので1年近く、交流していたのだけど、ぼくが突発的にカシスタに行ったおかげで不意に会うことが出来た。
いつもSNSで話しているから、知らない人という感じは全然しないんだけど、なんだかちょっと照れてしまう。不思議な感じだった。
感謝の言葉を一杯並べようと思ったんだけど、どうも照れちゃって駄目だ。
読者=共犯者の存在
ぼくは、正直言って、今うまく文章が書けない。
感覚的に物書きをしているせいで、感覚が狂い始めるとどうもうまくいかなくなってしまう。
心と身体のリンクが切れてしまうというか。
どうやって立て直したものかと途方に暮れていたところに、「セレ女」や「セレー女」という読者に出会うことで何か救われた気がする。
ぼくは表現者で原稿を作るのが仕事なのに、全然うまく書けなくなってしまっては、プロ意識の欠片もない人間だとさげずまれてしまうかもしれない。そう思うと、思考がマイナスのほうに触れていって、どんどん書けなくなっていく。
表現者は孤独だ。1人で自分の心と向き合わないといけない。
というのは、一理あるんだけど、そうかぼくには読者がいたのだ。
読者が1人も望めない状態で何かを書くのは結構しんどい。文章とは読まれることを必要としている。だから、ブロガーはアクセス数(PV)を気にするものなのだ。
ぼくは何と幸運なのだ。読者がいるのだ。
それだけじゃなくて、今後の活動を楽しみに待っていてくれるのだ。
ああ、そうか、それはただの幸せだ。そうか、ぼくは幸せな状態にあるのだ。
サポーターをめぐる冒険、様々な人の導きにより、ぼくは1冊の本を出した。
そのおかげで、今はとても幸せなステージにいるのだ。
辛く感じたのは、現状に満足しきれないからというのもあるのかもしれない。
そりゃそうだ、「食えて作家」という定義を考えると、まだ半人前なのだ(いや、10分の1人前くらいかもしれない)。
読者とは何だろうか。
よくわからないけど、いるのだ。いてくれるのだ。
おかげで、ぼくはとても幸せな気持ちでいられるのだ。
読者ってなんだろう。
会ったことがある人もいるが、会ったことがない人が殆どだ。
「読者をめぐる冒険」
こういうのも面白いかもしれない。
「一体ぼくの文章のどこが良かったんですか?」
なんて質問は出来るものじゃないんだけどね。照れくさいし。
「読者をめぐる冒険」もとい「サポーターをめぐる冒険」は終わらず。
明日は、アルビレックス新潟サポーターの皆様が「中村をビッグスワンに釣れていき、日本酒に浸けるプロジェクト」というのを企画してくれたらしく、ぼくは何もスケジュールを知らないまま車で運ばれていき、1泊して帰ってくる。
「中村さん、甲府戦と鹿島戦どっちがいい?」
「どっちでもいいですよ」
「そしたら、鹿島戦にしましょう。こっちのが勝ちそうだから」
「え? 鹿島のほうが強くないですか?」
「うちはね、優勝争いしているようなチームにはめっぽう強いの。でも、残留争いしているチームにはいつも負けるの。だから、鹿島には勝つわよ!!」
というチームらしいです。何が起こるかとても楽しみ。
そして、新潟から帰ってきたら、後はサッカー観戦をしつつも淡々と執筆をして年を終えよう。