東大に11年在籍した後、タクシードライバーになりました

はとのす 

はとのすワーク 書くことについて

批判記事は容易だが、賞賛記事は難しい。

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ここのところ更新頻度が落ちてしまっている。しかし、これについて反省する気はない。
文章というのは、心のエネルギーを文字に託したものだ。書けなくなる原因というのは二つあって、心のエネルギーを消耗してしてしまった場合と、心と文章がうまく噛み合わなくなった場合だ。


前者は、書くべき内容がないという状態。こういう状態であっても、締め切りに追われていれば書かざるを得ない。文章を「道」と見るならば、書けないのに絞り出して書くという行為はあまり良いものではない。結果として人に評価されるものが書けたとしても、自らの内面が充実していくことには繋がらないような気がしている。

※道とは、柔道、剣道、華道など、技術を極めることを通じて精神を高めていく活動のこと。

もちろん、「締め切り効果」というものは時には有効で、書くべき内容ーアイディアーが十分にある状態ならば、鞭に叩かれながら走るのも悪くない。しかし、鞭に叩かれてもアイディアがない時にはどうしようもない。瓢箪から駒が出ることもあるかもしれないが、どうにもならない取り繕ったようなアイディアしか浮かばないこともある。

大切なのは、心のエネルギーを十分に確保しておくこと。

心のエネルギーというのは、「感情」と置き換えるとわかりやすい。感情が高まっている人は、そのエネルギーに押し出されるように文章を書くに至ることがある。

例えば、トラブルにあってストレスを溜めた人が、普段はほとんど書き込みをしないにもかかわらず、突如SNSに長文を綴るというケースがある。心に負担を溜めている人は、感情的にもなるものだし、心にネガティブなエネルギーを溜めているとも言える。

会社の愚痴、家庭の愚痴、財布や携帯を落とした、不法者に絡まれた、身内の不幸、病気や怪我、試合に負けたことなどの書き込みの多くは、熱の籠もった文章であることが多々ある。

それに比べてポジティブなエネルギーに導かれて文章を書くのは難しい。どうも、ネガのほうがポジよりも強く背中を押す効果があるようだ。ポジを書くのは難しい。

ポジティブな心のエネルギーを溜めることがまず難しい。他人を心から尊敬して賞賛するよりも、妬んだり揚げ足を取ったりするほうが楽だ。人を褒める時は「イイネ」一つ。人をけなすときは、長文の熱の籠もった文章を綴る。

これが人間の本性ではないだろうか。

そういう意味では、世の中の批判ばかりを綴る方が楽ではある。しかしながら、そんなことをしていると気付くと周りは敵だらけになっているだろう。物事や人様の欠点なんて、その気になって探せば簡単に見つかる。

完璧な人などいないし、完璧なものなどない。

だから、粗探し的な文章は、労力さえ割けば誰にだって書ける。しかし、賞賛する文章は別だ。これは別次元に難しい。

おべっかを書いてはいけない。実力以上に褒めてはいけない。広告のようになってはいけない。

対象のありのままの姿に対して、心をオープンにしておくこと。心で感じ取る力ー感受性ーを大切にすること。自分の心で感じたことを信じること。

口で言うほど簡単なことではないし、世俗的な言い方をすると「結構疲れる」。心をオープンにしておくことも疲れるし、賞賛した文章を書く方が怖い。神経を使う。

批判するというのは、まるで自分が何かの上に立っているかのような錯覚を覚えることがある。偉い立場になった体で書けるので精神的には楽だ。一方で、賞賛する記事というものは、「何かへの支持」を表明するものとなる。ある意味では、賞賛した対象と運命共同体になるようなものだ。

重い。圧倒的に重い。

だから、記事を量産するというのは難しい。本当に賞賛するべきものなのかどうかを、自分の目でみて、心で感じて、頭でじっくり考える必要がある。スパインバスケについて、ジェイソンについて、トルネードについて、深く心に訴えるものがあったので文章にした。もし、そうではなかったら、文章にしない。あるいは、書いても熱の籠もっていないものになるだろうと思う。

非常に疲れるし、効率は悪いし、しんどい部分もあるのだけど、なるだけ物事の良い面を見つけて記事にしていきたいと思う。

もう一点。
文章を書くには、心で感じることが大切。という意味合いにおいては、「取材」をすると書くのがとっても楽だ。ジェイソンの記事もスペインの記事も、自分の目で見たものを書いただけだし、その場にいるから心で感じることも楽だった。

今は取材のために必要な経費も出ないし、労力に対する代価もないから、それほど頻繁にいけるわけではないが、機会を見つけてなるだけ外に出て行こうと思う。お金をもらっていないということは、自由に書けるということでもある。

自由な書き物ができる時間、すなわち物書きとしては1番幸せな時間だ。

自分を高めるための時間として、今を大切に生きたい。

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