9月14日から始まった地獄の狂乱は10月中に何とか片付いた。
とはいえ11月も地獄。
12月もきっと地獄さ。
「地獄地獄地獄地獄地獄地獄」と、芥川賞作品である『火花』に書き連ねた又吉直樹さんは、やはり偉大だなと思う次第だ。芥川賞はエンターテイメント賞ではなく、芸術であり、文学の歩みに新しい1ページを加えたことに対して与えられる賞である。
「地獄地獄地獄地獄地獄」という言葉の響きはとても気に入っている。
そんな又吉さんに、拙著『サポーターをめぐる冒険』を手渡しすることが出来たのはとても嬉しかった。柔らかく笑って受け取ってくれたので、こちらもとても気持ちが良かった。
公開前なのであんまり細かく書くとまずいかなと思うのでこれ以上書かないけど、他の方に献本することが出来た。
献本して、例えばどこかで紹介してもらって、その結果、本が幾分か売れたとしても、それでは地獄からは抜け出せないのだ。
ぼくはポンコツ。どこからどうみてもポンコツ。次の作品が生み出せずに足踏みをしている無能な作家。作家と名乗ることもおこがましいと自分では思っている。でも、やめるもんでもないしね。
自分の作品作りに割く余力がない。書いてもあまり良いものにならない。そういう時は心底失望する。
作品作りを犠牲にして、仕事に身を捧げても、誰からも感謝されることもないことは既に学習済みではあった。いや、感謝されないでもないかもしれないが、金銭的・社会的な見返りは、働いた分の賃金以上には存在しないし、そういうものがあったとしても満足はできないだろう。
仕事に埋没して、作品作りに手が出せないうちは、潜水しているようなものなのだ。
つまり、仕事とは潜水であるということになる。
ダイビングというと華やかな字面だけど、要するに潜水のことだ。潜水夫の資格を持ち、研究調査のために何度も潜水した自分は、潜水なんか楽しいものではないと心の底から思う。
海中は暗く陰気で、海水は冷たく、頭の芯まで凍りつく。そして、常に命の危険と戦わなければならない。この間、潜水夫には自殺者が多いという話も聞いた。有名なフリーダイバーのジャックマイヨールも自殺しているのだ。
深淵を覗く時、深淵もこちらを覗いている。
海中を探索していると、心の中の闇を覗き込んでしまうのかもしれない。
天気の日の潜水はご機嫌なのだが、ある一定の知識にもとづいて海を見ていると、そこは命のスープではなく、死のスープであることがわかる。日々、膨大な数の命が生まれ、死んでいく。
潜水を始める前は、念入りに道具の確認をする。なぜか、道具が壊れていたら死ぬからである。
知り合いのベテランダイバーが、レギュレーターという呼吸ユニットが故障して、緊急浮上した話をしてくれたことがあった。彼は人魚のように泳ぎがうまかった。
呼吸できなくなったので、慌てて重りを捨てて緊急浮上する。水深はわずか10メートルであった。呼気が苦しくなり、意識を失いそうになり、目が見えなくなり、目の前がブラックアウトしそうになった瞬間に水面に辿り着いたのだそうだ。
水深が12メートルなら死んでいたかもしれない。
潜水は死の国への冒険なのである。
日本人に自殺が多いのは、仕事を潜水と認識しているからかもしれない。
とは思ったが、欧米人にとってどうなのか、南国の住人にとってどうなのかはよくわからないので妄言にすぎない。
1ヶ月半。
ある種の怒りと共に走り抜けた。怒りは重要な感情だ。怒りをコントロールする必要はあるが、ある程度発露しないことには、嵐の中を進むことは出来ない。
ぼくは何かを得ただろうか。
それとも、ただ消耗しただけであっただろうか。
潜水を「誰にでも出来る安全なレジャー」と説く人は大勢いる。実際に事故率で考えると安全なアクティビティと説得することも可能だ。本質的には、死の国へのツアーであったとしても、明るく楽しい探検であると解釈することも出来る。
世の中のありとあらゆることは、ポジティブに捉えることが出来る。それは自分にとって良かった、役に立ったと捉えることは可能だ。自分を騙すことも、洗脳することも出来る。
やめるやめないという話ではなく、続けるにしても、それが何の意味があるか、どの程度創作活動と折り合いがつけられるかを時折検討し直す必要がある。
また今の自分の態度にも誤りがなかったも、もう一度検討し始めよう。
地獄地獄地獄地獄は間違いなかったとしても、地獄には地獄の歩み方はあるものだ。たとえそこが死の国であっても、宝物を持ち帰ることは出来る。共に戦う仲間も出来るかもしれない。
そして、ぼくには武器がある。
練り上げてきた、言葉を操る力。
正直言って、芥川賞作家と比べれば子供のお遊戯のようなレベルだ。
しかし、武術の達人になってから戦場へ行くわけにはいかない。
「戦闘、開始。」などという間もなく、戦いは既に始まっている。
敵と戦うのも、仲間を作るのも、すべては言葉の力によって成し遂げるべきだし、それが出来るだけの戦闘力はあるはずだ。
そう思って、一編の記事を書いた。
BOOK LAB TOKYO “航海日誌として”|BOOK LAB TOKYO|note
潜水夫の憂鬱を抱えながら、休む時は休み、戦う時は、心を打ち震わせ、戦う。
悲劇のヒーローみたいな顔をしたくなることもあるけど、この刺激こそ、人生に望むものそのもののような気がする。
マーク・レントンが、「俺はワルだから」と最後に大笑いしたことを思い出そう。