世の中にはブロガーと言われると怒って「自分は作家です」と主張する人もいる。実を言うとぼくもそういうタイプであった。
ブロガーと名乗るのは嫌で、ブロガーとは違う道を進むという決意のもと、拙著『サポーターをめぐる冒険』の出版を期に、作家と名乗り始めた。
といってもそれ以前は、ライターとは名乗っていたものの、ウェッブライターとしての「小さすぎる仕事」があるのみだったため、ブロガーと呼ばれることが多かった。
しかし、ぼくはブロガーとは名乗りたくなかった。
ブロガーと名乗った以上、金儲けを主軸にしないといけない
ブロガーとは、ブログで稼ぐ人のこと。
だから、ブロガーは「自由に生きてたくさん稼げる魅力的な私」を表現することに引っ張られる。
たくさん稼ぐ力があることは、「自由」と「魅力」の象徴なので、そこを目指さないわけにはいかないし、PRもしなければいけない。
しかし、ぼくは、お金を稼ぐ能力が高いことにはあまり魅力を感じなかったのだ。お金を稼いだことをPRする自分の姿を想像すると身震いしたし、「稼いでてすごい!」なんて言われたら、慌てて逃げ出してしまったことだろう。
ブロガーとして生きていくということは、ブログで稼げることを示すということに繋がるのだ。ただ、現在は、ブログで稼ぐことが当たり前の世の中になっている。
昔と違って、グーグルの広告配給サービスも効率的になった。「広告を貼っている収益目的のブログだ」と叩かれた時代など、もう信じられない人もいるかもしれない。
物書きとして優先した表現力の習得
当時の自分にとって、大事なのは、稼ぐことではなく、物書きとしての根源的な力を磨くことであった。
必要だったのは、表現力だった。
「見たもの、感じたものを叙述する力」については、今はまったく困ることがない。何をどうみてどう感じたのかというのを、誤読されずに書くことが出来る。もちろん、この記事のように内省的な内容では、共感度は下がるが、よりオフィシャルな記事では相応の表現に変えることが出来る。
最初はこれに苦労した。
回りくどいようだが、20歳の頃を描写したい。
表現者としてのぼくの原風景の一つ。
大学のキャンパス内で雨に振られ、情報棟に避難した。パソコンをつなぎ、HTML直打ちでホームページ「鳩ノ巣」を作っていた。
情報棟を出ると、空気が透き通り、眩いばかりの光の帯が、空から何本も落ちてきていた。空は青すぎるほど青く、足元の煉瓦は湿っていた。
900番講堂から学生が出てくるのが見える。講義が終わったのだろう。
ぼくは、情報棟の出口で空を仰いで立ちすんでいた。何分経っただろうか。しばらくぼんやりとした後、心が洗われたような気持ちになった。
かくも世界は美しい!!
この美しい世界に生きていられることはなんと幸せなのだろうか!!
この美しい世界を叙述したらどれだけの芸術になるだろうか。どれだけ多くの人の心を洗うことが出来ただろうか。
しかし、ぼくには表現する言葉がなかった。目で見たこと、心で感じたことを言葉にすることが出来なかった。
その時のぼくには出来なかった。技術が足りなかった。経験も足りなかった。どうやって習得したらいいのかもわからなかった。
だから、ホームページに書いていたのは、壮大なまでの「自分史」であった。非常に好評だった「大学受験記」であったり、駄目人間として大学に通う自分の心情を書いたりした。だけど、自分の経験したことを語るのは、表現としては決して一流ではない。それは、誰にでも出来ることなのだ。
もちろん、精度の差はある。上手な人も下手な人もいる。同時に、人が興味を持つような人生を送っている人もいれば、どの角度から掘り下げてもどこかで聞いたような話にしかならない人もいる。
そして、自分語りによって人生を切り開ける人もいる。それが悪いとは一切言わない。
ただ、それは人生の問題であって、文章表現の問題ではない。
人間としての問題であって、物書きとしての問題でもない。自分語りであれば、動画でも、ラジオでも成立する。場合によっては絵画とか詩でもいいし、音楽でもいい。
若い頃の僕でも自分語りなら出来たのだ。それもかなりの高圧力で書けた。誤字脱字は多く、文体も定まらなかったが熱量はあった。ただし、それだけでは書けないものがあるのだ。
それが、先程の情報棟から出た後の美しい風景である。この風景をどうやって書けばいいかわからなかった。半年の一度くらい思い出しては、あれをどう書くべきだったのかと考えた。でも、どうしても書けなかった。
しかし、今なら書ける(実際に書いている)。ようやく書けるなと思ったのは、やはり著書を出して、ブラジルまで行って帰ってきてから2年くらいした後だろうか。
ただ、あの風景はぼくしか見ていないから共感性は低く、また、単に周囲が綺麗に思えたというだけのエピソードなので、バズるような性質のものではない。
だけど、見たこと感じたことを正確に叙述するという能力は物書きにとっては絶対に必要なもので、それが身につかないうちにはお金を稼ぐことを目的にしたくないと考えたのだ。
もっとも、身についたといっても先は長く、さっきの文章も上手なわけではないし、「かくも世界は美しい!」という表現の陳腐さと言ったらない。物書きとは修行のようなもので、突き詰め出したらキリがないのだ。
ブロガーさんのマニュアルには、「文章は伝わればいい、うまい必要はない」と書いてある。それはそうかもしれない。しかし、技術があったほうが伝わりやすいのも間違いない。
内容はともあれ、この3000字くらいの文章を、思いつくままに1時間ほどで書けるのはやはり技術が習得できた証だろうと思う。
まだまだ修行の身だが、そちらは続けつつも、稼ぐことを考えてもいい頃合いだろう。稼ぐというよりも、収益を最適化するために労力を割くというほうが正確だろう。
ブロガーとして稼ぐために必要なこと
ぼくの強みは、多数のバズ記事を生み出したことと、その結果のドメインパワーだろうと思う。
バズ記事のPVを合計すると……
ハリルホジッチ発狂 33万
J初観戦 22万
ジャイキリ 25万
とこれだけで80万PVを超えているので、合計すると、バズ記事だけで100万PVを1人で叩き出していることになる。
ぼくは、良い記事を書きたいだけだし、自分の表現がしたいだけだったし、それだけの「圧力」があったからこそ、バズって行ったことも間違いない。多くの人に読んでもらえたことはとても嬉しいことだ。
バズを起こした記事の前提として「書く技術」があるのは疑いようもなく、方針は間違っていなかった。
しかしながら、それがまったく収益化なされていないという問題点もあった。もちろん、ある程度はあるのだが、生活するというレベルには程遠い。
そもそもブログなんか収益化出来るのかという話もあるのだが、ぼくの「はとのす」くらい実績があるテキストサイトだと、収益化しないほうがおかしいというような話らしい。
ブログに気合を入れた記事を書くことで、収入の足しにもなるならそれは非常に喜ばしい事態だ。そして、よくよく考えると、仕事を頂ける場合はブログ記事から始まっていることがほとんどなので、ブログを定期的に更新することと、時折大ネタを書くことは大事なことだろう。
最大の問題点は、書くことを目的として、読者にとって読みやすい導線を用意することを怠っていることだろう。
というわけでブログの改築と、より読みやすい記事が書けるように努力したいと思う。と、同時に、趣味で書きたいものを躊躇なく書いて楽しむことも忘れないようにしよう。
最近書癖を失っているので、今日から毎日更新を目指す。お盆休みで子供がいるのでくじけそうになりそうだが、短くとも更新しよう!!
皆様、はとのすをよろしくおねがいします!!
ブログ「はとのす」から生まれた本『サポーターをめぐる冒険』が、電子書籍化しました。表現に悩んでいた頃に書いたものなので、余裕綽々のこの記事と読み比べてみてください!
叙述力の教科書になるのはやはり『星の王子さま』 平易な言葉で魅力的な世界を描いた極めて優れた作品です。
軽妙な自分語りではNo.1の作品がこちら。ドイツで作った女を見捨てて日本に来た上に、それを小説に書いたことで有名な森鴎外が、自分の性の目覚めについて語った作品。ゲイの先輩に襲われたり、母から「おめームラムラするなら吉原いってこい、金やるから(意訳)」と言われたりするとても楽しい話。
それでいて、当時の一級の知識人が書いているので、文章の軽快さが素晴らしい。ジャズとクラシックが融合したRapsodiy in blueのような自叙伝。
安いし読みやすいし、エロもあるし、ブログのヒントにもなると思う。超お買い得。