東大に11年在籍した後、タクシードライバーになりました

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嵐が去りゆき、夜の帳が下りる

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9月半ばからの一連の騒動がようやく終わりつつある。

だから、あの時、ぼくは怒ったのだ。激しく怒ったのだ。1ヶ月が吹き飛ばされることがわかっていたから。いや、現実には2ヶ月ちかく吹き飛ばされた。

嵐の中で、何度か自分を見失った。
労働の厳しさに、心が折れそうになったし、一時期は実際に折れていたような気もする。

こんなことをしていて何になるのか。
さっさとやめて新しい道を探すほうがいいのではないか。

納得がいかないこともあるし、給料や待遇が良いわけでもない。
「現実的な判断」として、そのように考えたのも自然な成り行きだろう。

しかし、今のところ道を変えるつもりはない。
嵐の中で、書き手として一つ成長できたと感じているからだ。

物書きを鍛えるのは、歯の浮くような書き方講座でもないし、論理力や語彙力でもない。喜怒哀楽の感情が溢れた環境に身を晒すことによって、初めて文章は上達していく。

ああ、この人は一生文章がうまくならないだろうなと感じることがあった。他筆だし、それなりにインパクトがあるし、きっと引く手はあるだろうけど、そういう問題ではない。

文章が上っ面なのである。お花畑に住んでいるのだ。
もちろん、悪いこととはいわない。お花畑には多大なる需要がある。

だけど、ぼくは、もう少し潜りたい。

だって、こうやって頑張れば成長できている実感があるから。そして、力強く歩いていく度に仲間が出来ていくから。

仲間の共に、という価値観は現代を象徴するものとされている。それはOne Piece的な価値観と言える。

会社のためでも、自分のためではもなく、仲間のために戦うという価値観。

それは何だか違うような気はするけど、仲間のためにと思う方が文章は強化される傾向に行くことがわかった。これは、自分のためにの文章を突き詰めた結果、ガス欠になったここ数年と照らし合わせても非常に正しいと思う。

仲間のために行き、仲間のために書く。

それが答えなのだろうか。

そして、仲間とは誰だ?

仲間が増えたような、あるいは孤独が深まったような。

高い負荷がかかる日々が終わろうとする頃、深く深く酒を飲む機会があった。

終電が去った後、夜の酒場で、酒を流し込む。

夜の帳というものは実際に存在していて、終電のクソ野郎がいなくなった後の街は、静かに心を癒やしてくれる。

もっと大事な話もあるだろうけど、口をだすのはそれほど重要ではないことなのだ。しかし、そうやってゆっくりと、解放されていく。たとえ翌朝、カラッカラに乾いた状態で、ネットカフェで目覚めたとしても、何かが前に進んで、何かが解放されるのだ。

愛だな、と思った。

朝のネットカフェで目覚めても許してもらえることも愛だし、終電後まで付き合ってくれる人がいることも愛。バーテンダーも、愛を持って接客してくれる。

深夜1時にスプモーニを注文したら、こんな答えが帰ってきた。

「実はですね……、バーとしてはあるまじきことにグレープフルーツジュースを切らしておりまして……。代わりにこちらはいかがでしょう」

といって、何だか忘れてしまったがオレンジジュースのカクテルを勧められた。その言葉にも、何かしら愛を感じた。


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